「メルンストゥーラ」と呼ばれる道具がある。
十三枚一組のその石製のコインは、平たく言えばタロットカードのような占い道具で、さして珍しくもないありふれたものだ。
かつてメルンテーゼのどこかにあった黄金郷…カダイエ発祥の文化の遺産と伝えられている。

カミユもまた、メルンストゥーラを所持していた。
ただしカミユが持つのは十三枚の揃いの一組でなく、そのうちただの一枚きり…表裏それぞれに意味を持つ十三のストゥーラ（アルカナのようなもの）のうち、十一番目の「天使」のストゥーラそれのみだった。
表には目を伏せた天使の顔が、裏にはいくつもの目を持つ天使の姿が、それぞれ導きと迷妄の象徴として描かれている。

さらにその表と裏の狭間、本来ならばそこには表裏と同じ材質の側面があるばかりなのだが、カミユの持つ天使のストゥーラには、琥珀かあるいは蜂蜜のような金茶の石が挟まれていた。それは「さして珍しくもない、ありふれた」メルンストゥーラとは少し違う。

その天使のストゥーラこそ、カミユが自分をアルームへ連れてきた人物から受け継いだ、唯一それきりの遺品だった。
しかし、カミユがそのストゥーラを後生大事に持ち歩いていたかといえばそうでもなく、長らくカミユはそれを自分に与えられた小さな机の、その引き出しにしまい込んで忘れたままだった。紐を通すこともできず持ち歩くには不便であったし、そも、そうしたところで何らかの意味を持つこともなく、もういない、記憶もおぼろな誰かの姿を重ねることもない。カミユはもはやアルームの幸せな子どもであって、誰かの置き土産に縋るほど、日々に憂いを感じることもなかったのだから。

けれどアルームに人のいなくなり、ルーアハの導きによって村を出ることを決めた時。
祈るような、縋るような、わずかでもいい、何か…選ばなくてはならなかった。これがあれば大丈夫、と思えるものを、何か。殆ど無意識に。当たり前のように。閉じられていた窓が開かれて風の吹き込むように、カミユはそのことを思い出した。
そうして自身の最後の荷物として、「天使」のストゥーラをその手にとった。


もちろん、その時カミユは知る由もなかった。




それが世界に一組きりの、「本物の」十一番目のメルンストゥーラであり、
黄金郷カダイエの守護者、マァブムを呼び覚ます鍵の一つであったということを。

そしてその目が開く時、導きが迷妄に替わるということを。






黄金郷カダイエ…
遥か昔、メルンテーゼのどこかにあった黄金郷。
生活の豊かさを巨大なエンブリオ・マァムブに依存。一人では担えぬその契約のために十二人の契約者が存在した。
しかしそのうち一人が姿を眩まし、黄金郷の民はマァムブとの契約を保てなくなってしまう。
そのままカダイエは見る見るうちに衰退の一途を辿り、やがて黄金郷の民はメルンテーゼ全域に散り散りになった。
時は過ぎ、カダイエはおとぎ話の中の存在になったが、その文化はメルンテーゼの各地に継承されている。

メルンストゥーラ…
黄金郷カダイエ発生の儀式及び占いの道具。
マァムブとの契約のため、十二人の契約者がそれぞれ一枚ずつを所持していたとされる十三枚一組の石製のコインで、表裏によって意味が違う。簡単に言うとタロットカード。
元々はマァムブストゥーラと呼ばれていたものが、メルンテーゼに伝わる際に誤訳されメルンストゥーラとなった。

マァムブ…
黄金郷カダイエの象徴であった巨大なエンブリオ。
世界に一組きりの本物のメルンストゥーラ、「マァムブストゥーラ」を契約の鍵とする。
いくつもの部屋を備えた角蝉のような姿をしており、現在はマァムブストゥーラを所持する十二人の生活拠点となっている。

ふいに視界にシルマリィの姿が入り、思わず目をそらす。
本人とは逆に、カミユの背後のルーアハが、じっとシルマリィを見つめ続けている。

鍋のふちを手で撫でやると、嬉しそうに鍋が身震いする。

小さくクスリ、と笑って。

ワクワクソワソワ

バケツをかぶった猫に多少興味を示す