山をくだり、街に着く。
　そこに人々の笑顔はない。
　路地裏には痩せこけた犬の死骸が放置されている。

　ゴードの記憶にあった麓の街は、いつでも活気と笑顔に満ちていた。
　それは、彼が街へおりる時が大体豊作の後で、大量の作物を運んでいたからだという事も無論影響しているのだが、それにしても記憶の街と違いすぎた。

「お若いの、あんた、お山の農場の人じゃないのかい」

　声をかけられ振り向くと、枯れ木のような老人が立っていた。見覚えは無い。

「医者の所に農場の人が来ていたが、誰か病気だったのかい、助かったのかい？」

「なんと……そうか、あの農場でも人死にが出たのか……いよいよ駄目かも知れんなあ」

　老人は枯れ草のようなかすれ声でしみじみと呟くと、少し咳き込んだ。その黄ばんだ瞳は、老人が生きることを既に諦めているかのようにも見えた。

「あんたは一体どうしたんだね？　見れば、逃げ出した顔でも自由を喜ぶ顔でもない。何をしに街へ？」
　危険な問いかけであった。
　正直に答えて密告されては困る。誰かに聞かれても困る。命が惜しいのではない、目的を果たさずに斃れるのが惜しいのだ。
　だが、曖昧な答えで誤魔化せるほど、その場しのぎの嘘で逃げられるほど、ゴードの怒りは冷めてはいない。

　数秒の黙考の後、ゴードは怒りを抱いたまま冷静に、冷酷に決断を下した。

「ほう！」
　黄ばんだ目が見開かれる。
「ほうほう！　そうか、あんたはそのために街に来たか！」
　驚いた顔に喜色が滲んでいた。ゴードが予想していなかった反応だ。
「それならば、きちんと準備をしたほうがええ。そうしなさい」
　老人はゴードに歩み寄ると、薄汚れた硬貨を見せた。随分と年季が入っている。
「これは先王、いや前の前の王様の顔が掘られた古いお金さね。これを持って、街の南の出口から、四件手前の道具屋で準備をするとええ。マリアンヌという婆さんが一人でやっている店だ」

　怪訝そうに睨むゴードの手に、老人は枯れた蔦のような指で硬貨を押しつけてニヤリと笑った。
「マリアンヌの店でこのお金を出してこう言いなされ。『ルリアンナの店はここでいいのか』と。後は行けばわかる」
　そう言って、また枯れ草のような声でカサカサと笑うと、老人は街角に消えていった。

　それが大規模な一揆を扇動する参謀役の名であると知るのは、少し後の事である。

　胸に秘めた殺意すら躱された感があった。
　ゴードは手の中の硬貨を握りしめると、言われたとおり南へと歩を進めるのだった。

　ゴードは鎌の刃を研いでいる。