新たなエンブリオ、マーメイドとの契約を結ぶ。
　エンブリオの契約方法は様々だそうだが、ジヴィーテの人間は代々その身に紋を刻む事で契約としてきた。身に刻む紋は、エンブリオとの契約が続く限り残される。本人、あるいはエンブリオの意思で契約が破棄された時、紋は瞬時に消え去るのだ。
　契約方法は長子のみに伝えられる。つまり、契約を行うには姉様の協力が必須だという事だ。
　つまり、今私は姉様と共に居る。他の同行者からは、少し離れた場所だ。事情を話し、私達だけが別行動を取っている。
　離れた場所とはいえ、何かがあればすぐに駆けつけられる距離だ。問題は無い。

　前述の通り、紋を刻む方法は、姉様だけが知っている。私は詳しくは知らされていない。
　傍目には東国で言う刺青のようなやり方なのだが、どうやらそれに何らかの技術を加えているらしい。
　痛みこそあるが、加減を間違えなければ出血は無い。そういうものなのだ、と姉様は言う。
　事実、最初の時は痛みだけで出血は無かった。尤も、痛みの余り意識を手放しそうになったが。

　右足の甲に浮く小さな血球を見ながら、そんな事を考えていた。
　少し慌てた様子の姉様は、やはり以前までのような鷹揚さ——悪く言えば、大雑把さとも言えるだろうか——が姿を潜めているような気がする。

「ねぇ、姉様」
「なんだい？もう少しで終わるよ」
「最近、姉様は変だよ」
「そう？」
「うん、上手くはいえないけれど」

　そんな事を口に出したのは、失敗だっただろうか。姉様の表情が、少し曇った気がした。
　その手には、わずかに血に濡れたスティレット。私の中の記憶を、嫌でも刺激した。

＿/＿/＿/＿/＿/＿/

「リューティク。お前は明日から、姫ではなく王子となるのです」

　憔悴した母様が、私に向かってそう言った。
　まだ幼い頃だ。父様とボラージェが、病気で亡くなった。葬儀を終えて何日過ぎただろうか？
　このあたりは記憶が酷く曖昧で、数日記憶が無いなどという事もざらだった。
　母様の声色は有無を言わせず、一切の質問と反論は認めないだろうと幼い子供にも解る物だった。

　そこから数時間、何があったかは覚えていない。
　気が付いた時には、手のひらから血を流す姉様が私の前に居た。
　座った私の膝元には、無残に切り刻まれた無数のドレス。
　６歳の誕生日に、「今までで一番似合う」と父様がまぶしい笑顔で褒めてくれた、ラベンダー色のドレスも。
　３歳の誕生日に、「お前はそろそろレディとしての教育も受けなくてはいけない」と言い、まだ早いと笑う母様に少し不機嫌になりながらもプレゼントしてくれた、私が覚えている中で一番古い淡紅のドレスも。
　全てが切り刻まれ、唯の襤褸切れと化していた。
　それらは、まだ健在だった父様が、毎年誕生日の度に——否、誕生日のみならず、何かと理由をつけて設えてくれたものだった。
　私が姫である証。姫であった、私の証。僕にとっては、不要な物。捨てなくては、いけない物。

　その翌日から、「私」は「僕」となり、そして「僕」は記憶と同じく酷く曖昧な存在となった。

人目をはばからず、上着と鎧を地面に脱ぎ捨て汗を拭く。

令嬢然とした振舞いかと思いきや、最後に不敵な笑みを見せたリューティクの言葉に
ヘクターは一時目を丸くしたが、後に同じように笑い返した。

晴れやかな笑顔の、異質な存在に向かって親指を向ける。

マッスルポテトを指差して。

倒れたキラーウルフの上に座り込む、勝利の余韻を楽しんでいる。

対峙した面々を舐めるように見回し、ニィと口元を歪める。

相手に向かって、ひらひらと軽く手を振る。