遠くで、小鳥の囀る声が聞こえる。
　生垣の向こう、少年の声が聞こえる。
　少年の声だけが、ゆったりと、庭園に転がる。

「……ねぇ？　今日は、いい天気だね？　絶好のピクニック日和だと思わないかい？　それじゃぁ、始めるよ。まず、君は『僕に嘘を吐(つ)かない』事だけは約束して？　それが、まずは『一つ目』。君の『右手』の親指は、今、内側を向いているね？　まずはそれを認識して？　……大丈夫。心配しないで？　僕は、ちょっと道を訊きたいだけなんだ。『一つ目』を思い出して？　ねぇ、今日は、いい天気だね？　絶好のピクニック日和だと思わないかい？　それじゃぁ、始めるよ？　『これ』は君の腕だ。釘を落とす。刺すような痛みがあるだろ？　だから、これは、君の腕なんだ。この『痛み』を認識して？　大丈夫。血なんて出ないように、優しくしてあげる。ねぇ、今日は、いい天気だね？　絶好のピクニック日和だと思わないかい？　それじゃぁ、始めるよ？　君は、これから僕に大事な事を話してもいいし、話さなくてもいい。僕としては、話してくれた方が嬉しいけれど、うん、この際、そんな事『どっちでもいいや』。君の好きにしていいんだよ？　釘を落とす。痛いかい？　痛いわけないよね？　これは、『君の腕』じゃないんだから。そうだろ？　大丈夫。うん、大丈夫だから、僕に任せて？　すぐに、『痛くないように』してあげる。だって、痛いのは嫌だものね？　そうだね、いい子だ。ねぇ、今日はいい天気だね？　絶好のピクニック日和だと思わないかい？　それじゃぁ、始めるよ。『一つ目』を思い出して？　それじゃぁ、始めるよ？　釘を落とす。痛いかい？　それじゃぁ、いい天気だね？　絶好のピクニック日和だと思わないかい？　釘を落とす。これは『君の腕じゃあない』。『痛い』なんて気の所為さ。ねぇ、今日は、釘を落とすよ？　絶好のピクニック日和だから、君は僕に大事な事を話してもいいし、この『右腕』は君のものじゃあない。それじゃぁ、『四つ目』だ。いい天気だね？　釘を落とす。今日はやけに腕が痛いね？　それじゃぁ、始めるよ？　釘を落とす。『一つ目』。釘を落とす。『七つ目』。釘を落とす。『九つ目』。釘を落とす。釘を落とす。釘を落とす。『八つ目』。……何？　聞こえないよ。大丈夫。ちゃんと、僕が、聞いていてあげるから、君は、何も心配しなくてもいいんだよ？　……うん、解ってる。ちゃんと、解ってるよ？　それじゃぁ、釘を落とすよ？　ねぇ、今日は、いい天気だね？」


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「……やぁ、今日和？」
　庭園の生垣の傍ら居た少年は、現れた少女に、薄っぺらい微笑みを向けた。
　ゆっくりと、振り返る姿。歳の頃では、15やそこら。この日差しの中だと言うのに、少年の肌は、薄気味悪い程に青白い。
　彼の足元には、兵士と思しき人間が倒れていた。
「……こんにち、わ？　……その。……それでは、うん……ご機嫌よう」
「……君、一人かい？」
　小鳥が囀る声。
　硬直した少女は、二呼吸程の間を置いて、踵を返した。その背中に、少年は構わず声を投げ掛ける。
　少年は指先をひらひらと振る。
　余りに細い、骨のような指先。少女は、声に釣られるように、振り返ってしまった。その指先を、目に留めてしまった。
「……見ての通り……でも、この子は、いる」
「……そっか、エンブリオは、『もう連れてる』んだね？　此処らじゃ見かけない服装だったから、僕と同じで『迷子だった』のかと思ったよ」
　牽制めいた、動き。少女は、エンブリオを呼び出した。
　少年の頬笑みは変わらない。彼はエンブリオを顕現させすらしない。或いは、彼はこの世界で最低限必要なものすら、連れて居ないのか。
「……迷子？」
「……そう、『迷子』」
「貴方も、なの……？　でも、貴方は私とはまた、違う」
「僕も、『この世界』に来たのは初めてだからね。『迷子』には、『道案内』が必要だろう？」
「……貴方は……その、……『なに』？」
　思わず、少女は、問い掛けて居た。『あの笑顔』が、怖いと思った。常より表情の変化に乏しい少女とは、また違う。少年の表情は、微笑みの形を作ったまま、ずっと、変わらない。
　一歩、彼が足を踏み出した。
　ゆらり、と、顔の横に掲げた腕。指先は、思案めいて、顎に添えて。それが、何故か勾引かすような仕草にすら見える。
　突き飛ばせば、少女の腕力でも揺らいでしまいそうな体。少年は、ゆっくりと口を開く。　

「……僕は、『呪術師』のソルト。『ソルト＝エルト＝タクト＝アルトセルト』。覚えてくれるかな？　これが、君の『一つ目』の問いへの答え」

　無意識に半歩、少女の足は、草を擦るように下がっていた。
　少年は足を止める。そこから、更に、半歩。距離にして、三歩と半分。
　少年は、少女が『これ以上は近付かれてはいけない』と思う直前で、足を止める。

「……ねぇ、『おいで』？　僕らが君に『道案内』をしてあげる。『友達』になろう？」

　そう言って、呪術師は、にこりと笑った。
　嫌に耳に響く声。差し出した片腕。細い、指先。
　少女は、息を呑みながら、少年の細めた瞼(まぶた)に掛る睫(まつげ)の向こう、ガレーナ色の瞳を覗き込んだ。
　何故か、呼び出した風の精霊の力は、行使出来なかった。否、『そうする事すら忘れていた』。

「……ソルト。私は、……有城冬花(ありしろ とうか)」

　大粒の、少女の瞳が、瞬く。
　元より抑揚の少ない声色は、心なしか硬い。
　それでも、少女は、差し出された掌の上に、恐る恐る、人差し指を乗せた。
「……、……友達は、難しい。でも、道案内は欲しい」
「……そっか。それは、残念。でもいいよ。道案内はしてあげる。よろしくね、『アリシロ』？」
「……よろしく」
　平然と、呼んだ。少女の『名前』。
　まるで、親しい人物のファーストネームでも呼ぶような発音だった。
　少年は、長い間、少女と手を重ねては居なかった。彼の肌は、ぞっとする程に、冷たい。
　それこそ、返事を聞くよりも早く、呪術師は振り返り、歩き出してしまう。
　見た目に反して、少し掛け足に成らなければ追い付けないくらいの速さだった。
　半ば掛け足になりながら、少女は、少年の背中に声を投げる。
「……ソルト。2つ3つと問いを投げたら、あなたは、返してくれるの……？　そうなら私は……あなたに、聞きたいことがある」
「……いいよ。『答えてあげる』。『二つ目』でも、『三つ目』でも、僕に解る事なら、だけどね」
　一度、振り返った、視線。立ち止まる、足。張り付いた笑顔だけは、変わらない。
　ポケットの中。服越しに、少女は、ぎゅっと、スマートフォンを握り締めた。
「……向こうに、僕の『友達』が待ってるんだ。彼等に『聞かれたくない事』なら、此処で聞こうか？」
「……いや。確認と、人探しだから。寧ろ聞ける人が多い方が、有難い。……お友達も、その、ソルトみたいな人なの」
「……真逆(まさか)、『僕みたいなの』が、何人も集まっていたら、それこそ世界の終わりさ」
　溜息のような、自嘲的な台詞。
　心配は、要らない。けれど、決して敵に回してはいけない。
　何故か、少女は、彼の薄っぺらい微笑みを見て、そう思った。
「なら、早速、君をみんなに紹介しなきゃね。大丈夫。『安心して』？　みんな、何で僕なんかと一緒に居るのか解らなくなるくらいに、『いい人』ばかりだから」
　歩きながら、話す背中。曲がり角。生垣の向こうに、人影が、二つ。
　少女と出会って、数分。
　結局、呪術師は、自分の傍らで倒れていた兵士に、一瞥すら呉れなかった。

「……やぁ、『クロ』？　『ルド』？　新しい仲間を連れてきたよ」

　のんびりとした口調で、呪術師は『友達』に向けてそう言った。
　薄っぺらい笑顔で、しゃなりと歩きながら。

白銀髪の少女がそう心配そうに貴方に訪ねて来た。

　沈黙する。眼に入ったものを認識して沈黙する。
　狼は良い。あの粘着質なのも、すでに一度見ている。『そういうものである』と、青年はこの世界を訪れてからの出来事で経験し、学んでいた。——が。

　青年は、ゆったりと笑んだ。

　青年は、人面のそれを、とりあえずは、食物として、認識した。

　潰す方向で行く事になったらしい。

じい、と目の前の其れを見る。
少なくとも自給自足の生活では見た事が無いものだ。

ルドも食材だと認識しているようだし。自分の知識が足りないのだろう。
作って欲しいと振られたと言う事は、食材と言う事だと、認識した。

にこり。笑顔で尋ねた。

視線を外すタイミングを、うっかり逸してしまった。
これはこれで、別の意味で怖いと感じる笑顔だった。

無表情の背後に、雷めいた衝撃が落ちる。
三者三様の笑顔を代わる代わる見ては、数秒の沈黙。

毒された瞬間だった。

　やってみる方向で行く気らしい。

皆を振り返り、問う

そこからはたと、顔をあげて。