Thanks!【エレイン（107）、チドリ（557）、クロム（750）】



　　　　　　　　　　　　　「生きていて楽しいかと聞かれたことがある。
　　　　　　　　　　　　　　死んでいて楽しいのか私には解らなかった」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　———— 生き延びた兵の言葉

試合で便宜上倒れてからというもの、ヴィンテは大量の治癒力を放出し続けている。
擦過傷程度しか負っていないにも関わらず瀕死の怪我人が飛び起きるほどの治癒力を私に流しこみ続けていた。
白い肌から汗のように治癒力の結晶が滴っている。傍から見れば焦りの汗に見えるのだろうか。

対して拾った木箱の上で足をぷらぷらさせている女王陛下は可笑しそうに笑うだけで何もしない。
元より治療などする前から傷は完全に癒えているのだから当たり前だが。
女王陛下の手の中、拾った蒲公英は辺りに漂う濃密極まりない力を受けて謎の漲りを見せている。
具体的には十数えるうちに綿毛になり、それが飛び散る頃には花弁が再生していた。

懐から短いロープを出す。地面に投げやればひとりでに伸びて円を描いた。私と女王陛下とヴィンテを囲む2mほどの円。
軽くロープに触れたのを合図に白い魔力が立ち上る。この魔力自体には何の力もない。言うなればカーテンだ。
簡易更衣室や治療室に使う魔具である。この食事風景はあまり他人に見せるようなものではないための配慮だった。
食前に祈りのように跪き、頭を垂れるヴィンテの顔は溢れる欲求を隠し切れてない。鷹揚に頷くと即座に食事を開始した。

己の存在を治癒力として放出しているヴィンテは『魂の破片』や『命の欠片』を主食とする。生命力を必要としているからだ。
健康な生命体ならば多少生命力を失った所で痛くも痒くもない。せいぜい倦怠感を感じるくらいだろう。
しかしヴィンテは常に全力で動いているかの如く燃費が悪く、従って必要量も多くなる。
万全な状態の者でも数時間眠らなければ回復しないほどに大食いだ。

全身を巡り生気を蓄えた血。今まさに生命から離れたばかりの肉。
そういったものを摂取しなければならないほどこれは飢えている。

どうでもいい事だが、ヴィンテが初めに失う機能は『呂律』だ。生きるために必要でないものから機能が落ちる。
今のところそれ以上機能が落ちたところは見たことはないが。

女王陛下の手を頂き、手の甲に口付け空白の時間を詫びる。最後の言葉はヴィンテに向けたもの。
身体の一部と生命力を奪われること自体はどうでもいい。が、度々食事の手間が要るのは面倒だ。
本来問題になりそうな喪失に伴う疲労感など、伸びをした後の感覚にも劣る。
ヴィンテは食事をしながらこくこくと頷き、漸く『食糧』から口を離した。レース編みのハンカチで拭い私の服を直す。
頬が赤いのは常として治癒力の結晶である汗は引いている。過剰放出は止まったようだ。
のんびりと立ち上がった女王陛下にも汚れがないか確かめ、魔具を解除した。

ペコペコと頭を下げるヴィンテを軽くはたき不可視の術を掛ける。女王陛下が椅子にしていた木箱を持ち上げ袋に詰めた。
みるみるうちに片手に収まるほど縮んだ袋を懐に収め、歩を進める女王陛下の後につく。
その後ろにつくヴィンテの気配。家畜かペットか、どちらかというなら家畜だ。

人間は家畜に寄生している。そう提唱した者がいるそうだ。機械的に増やされ潰される家畜にとって一方的に利益を貪る害だと。
私は逆だと思っている。逆というよりは前提が違う。寄生ではなく『共生』だ。
双方が利益を享受する。片方は糧を得、片方は子孫繁栄を約束される。外敵もおらず、追い立てられるわけでもない。
全てを野生に頼ればすぐに狩り尽くしてしまうだろうに。現実を見ない者の理想はどこまでも高い。

今のところは解らないが、エンブリオにも利があるのならばこの世界の者とエンブリオは共生していると言えるのだろう。



城門から続く長い道を囲む庭。手入れのしっかりした庭は人工物なのにそれを感じさせない。庭師の腕というべきだろうか。
広々とした庭は居心地が良い。吹き抜ける風は花の香り、陽の光はリンゴの香り。鼻歌を歌いたくなる。
機嫌よくなびく羽衣を感じながら進んでいくと、先に人影が見えた。

百合に似た花が咲く一角。小さなスコップと腐葉土、如雨露が置いてある。まだ湿った土がついているようだ。
当然そこには人がいて、私たちに気づいてゆらりと立ち上がった。
コノエが庇うように前へ出る。エレインとチドリが横に並んだ。二人は既に武器に手を掛けている。
クロム（最後の同行者。コノエに荷物を人質にされた）は状況が解っていないようで兵士とコノエ達を何度も見比べていた。

計四人いた兵士たちはスコップを一箇所にまとめて置き、立てかけてあった武器を手に取る。
コノエも右手に刃を召喚した。白いサーコートが翻り、黒鎧の集団に鮮やかなコントラストを描く。
リーダーというか一番ノリが良いらしい兵士がにやりと笑みを浮かべた。お疲れ様、の言葉を送りたい。

兵士たちが武器を構える。後ろに腐葉土と如雨露がなければもっと絵になるのにとても残念だった。
それが見えていない兵士は気分よく雄叫びを上げる。

無言で刃を、杖を、斧を構えるコノエ達。わたわたと長物の包を解いているクロムはこれが奇襲なら死んでいると思う。
私はその後ろからのんびりと声を投げかけた。

兵士は目印に、と石畳の傍らに百合のような——多分、これがウインサムチラーブなのか、それを一株置いた。
植え替える前らしいそれは多分勝負が終わればあの花の群れに混ざるのだろう。
念のため他の目印を、と思い魔力で陣を描く。爪先で描いた十字は淡く青い光を発し昼間でも見えるようになる。
全員でもう一度場所を確認し解散した。出鼻を挫かれた感がすごくても、日は傾きかけ徐々に橙色を帯びてきている。
このまま戦闘に入れば夜に差し掛かるのは必至、野営の準備に手間取ることになってしまう。
遠目に見れば兵士たちはまだ庭の手入れをしていた。庭というよりあの花壇が持ち場というか私有物なのだろう。
あの面々は『ウインサムチラーブ同好会』と勝手に呼ぶことにする。

庭を汚さないようにという願いを汲み、ちらほら設けられている休憩所のような石畳に陣取った。
そもそも物理的な火を使う習慣は私たちには無いけれど。徐々に閉じていく花のせいか、風の香りはやや弱くなっていた。



火の爆ぜる音すら聞こえない静寂の夜だった。魔術の炎は上に掲げられた肉を静かに静かに料理へと変えていく。
チドリ、エレイン、クロムは既に食事を終えたどころか眠りに落ちている。
起きているのは女王と騎士、その所有物のエンジェルだけだ。
薄手ながら極上の座り心地の敷布の上で女王は火を見つめていた。騎士がくるくると回す肉の串を目で追う。
塩胡椒を振りかけたものと甘い醤油に漬けたもの、甘辛いタレを塗ったもの。三種類六本が三者三様の匂いを漂わせていた。
『豊かな食生活を』の指令とともに騎士が買い求めてきたもので、牛や豚ではない見た目をしている。
鳥のような、鳥ではない、兎に似た肉だ。倒し、屈服させたのは猫に似たエンブリオだったがあまり関係ないと思いたい。
よく焼けた表面にほんのりと脂が浮かび、香ばしい匂いを惜しげもなく振る舞い始めた肉を騎士が取り上げた。
味見は済んでいる。白に金の装飾の施された皿に三種の串を乗せ、清潔な布巾を添えて女王の元へ運ぶ。

布巾を使って串を掴み、はしたなく大口を空けてかぶりつく女王。騎士はそれを咎めもせず、どこか満足気に眺めていた。
最高の加減で焼かれた肉は柔らかく裂け、僅かに肉汁を垂らしながら口の中へと消えていく。
赤い舌が唇を舐めその美味さを雄弁に語った。目を細め、恍惚とした吐息を漏らす。その表情、仕草がこれ以上ない誉れである。

不穏な単語にエンジェルがびくりと震えたものの二人の雰囲気は至って穏やかだった。
騎士も女王の横で、ごく普通の王政国家では許されないような真似だが肉にかぶりつく。
エンジェルも騎士の物から分けられた肉を差し出され尻尾を振らんばかりの勢いで飛びつき咀嚼し始める。
頂きます、は勿論全員が言った。特に食事を必要としない三人だが、命を粗末にするわけではない。食す以上は美味く、残さず。
気付け代わりの夜食を平らげながら騎士は遠くを見やる。広庭には多くの者が野営していたが、その中の一つだ。
合わせて女王も視線を向けた。彼女は眼鏡こそしているが視力は悪くない。

異様な一団というか、違和感を感じる一団である。試合をした一団だった。
あの兵士たちのようにリーダー然とした者は居らず、かといって和気藹々とした友人たちの集まりでもないように見える。
目的を同じにしている風ではない。かといって嫌嫌でもないらしい。
それはともかくとして、視線を感じて仕方がないのである。どうも見られているような、聞かれているような。

お茶をしていたら馴れ馴れしげに名乗ってきた女——モルトという名だったはずだ。
警戒する必要はないが警戒対象として。三人はいつまでも、謎の一団を見ていた。

柔らかく窘められてしょげていたが、撫でられると心地よさそうに目を瞑る。
尾でも生えていたらちぎれんばかりに振っているだろう。

余裕を見せる従者に負けじと大げさに嘆いて見せる。