紅いネクターの花びらが、隠れた胸のポケットで揺れていた。


＊　＊　＊


そよそよと吹く爽やかな風が、足元をゆるり駆け抜けてゆく。
色鮮やかな花、あるいは青々と茂る草。前を進むたまご色。
永遠とも思えるほどそれらが広がる美しい庭園を、二人は歩いていた。
片やてちてちと可愛らしく。片や、草を踏む足音もなく。

「ざっと眺めて回っただけでも、二・三十はあったからな。飯屋。
　中央ら辺しか歩いちゃいねーが、結構広いんだろ？この世界。
　地方の店もなかなか……楽しみだなあ。腹ァ空かせておかねえと」

揺れる彼女のおしりを追いかけ、隣に並んだかと思いきや、それはまた離れ。
追いついたかと思いきや、またまた離れて行く繰り返し。
ルリアンナ達の元を出発する時に“前に出すぎるな”と言ったはずだが、
どうやら彼女はお構いなしのようだ。男は、やれ、と首をひそかに竦めた。

同じ方角を——楽園の在り処を、幾多の人々が目指しながら歩いて行く。
ひとの形、けものの形、まものの形、見覚えのない形のものたち。
彼らの足を止めんと現れる敵を横目で眺めながら、男は小さく笑って、
彼女が差し出してくれたマドレーヌを有り難く頂戴することにした。

「うん。…うまいな。ヤドランカ、料理、得意なのか」


＊　＊　＊


にゃーにゃーと鳴き声が遠くでする。

襲い掛かってきた猫たちの尻を叩いて追い払った後、しばらく。
新たな食事処の開拓をせんと周囲を見回していた男は、何となく、
相変わらずてちてちと前を行く彼女のシルエットを眺めていた。
その肩越しに、猫たちとは違う別の影が見えたのは気のせいだろうか。

「そういや、おまえの家族ってみんなそんな姿してるわけ？
　してるんだったら、そのうち見に行きてーんだけど。すげえ見たい。
　……つうか、…アレだ、あんまり先に——
　前に出すぎだっつってんだ……おい、お嬢さん？」

刹那、彼女の背中がその影の方へと寄って行く。ガラス越しに赤を細める。人のようだ。
男の足は自然と、青々と茂る草を柔く踏みしめながら駆け出した。

城門を抜け、広庭を進み始めたその晩、夜営の支度を始めたころに。
かまどの準備をしていた少女が、てちてちと寄ってくる。

何やら揉めている少女に追いつき、その手を引いて距離を空けさせる。
現れた高圧的な態度の男らを眺め、ふん、と鼻を鳴らし。

指輪から黒い靄が這い出すのと同時、異形化した指先で兵士を指して。

おろおろと立ちすくんでしまった少女を守るように、エンブリオがくるくると舞う。

少女の持つ羽根ペンに留まると、エンブリオの姿は溶け、ペン先に色が宿った。

赤い双眸が、倒れた兵士たちの腕や足をじいっと黙して眺め。
やがてそれは、ゆるりと少女の方へと向けられた。