3.


　見た目は年端のいかぬ、可愛らしい女の子。
　腰よりも長い金の髪に指を通せば流水のようで、爛々と輝かせる翠緑の瞳は朝露に濡れた青葉に似ている。
　彼女が動けば芽が吹き、口を開けば花が開き、笑ってみせれば咲き誇る。
　そんな女の子の話を、しようと思う。

　　　＊

　ポポロと名乗る少女が空に浮かぶタンポポ荘の前に立つ。少し遅れてやってきたのは、ここに住みたいと希望した一揆参加者の一人だ。まさか傘のような物ひとつでこんな高所まで運ばれるとは思いもよらず、未だに口が半開きになっている。風に流されなかったのは一体どういう仕組みなのか。

　少しだけ首を傾げて、ポポロは誰に言うともなしに呟く。
　それはどういう意味かと問う。

　意味がわからない。
　ちっとも要領を得ない言葉に、もう一度問う。
　するとポポロは、眉根を寄せて悩みはじめた。経験や先天性からくる理解を言葉で説明するというのは難しい。

　ポポロは目の前のタンポポ荘に向かって歩き出し、そのまま何の躊躇もなしに歩みを止めることなく壁にぶつかる。
　そうはならなかった。
　あるはずの壁を意に介さず、ポポロの全身が音もなく壁の中に埋まっていった。
　そして消えた場所ではなく、数歩分となりの壁からポポロの顔だけがにゅっと出てくる。軽いホラーである。

　わかったが、わかりたくない。
　試しに壁に触れてみる。伸ばした手が突き抜けることはもちろんなく、壁は壁としての役割を果たしていた。
　壁の中から出てきたポポロがそれを見て、楽しそうに笑う。

　そう言ってポポロが入り口を指差すと、扉が独りでに開いた。
　なるほど、この家そのものという話はさておき、目の前の少女が非常識な存在であるというのは確からしい。
　では、自らを「家」だと名乗るこの少女は何者なのか。興味がわいて尋ねてみれば、ポポロはそれにあっさりと答えてくれた。

　神様、という単語に思わず目を剥く。

　話の途中、屋内に入ったところで住人思しき者とすれ違う。相手も挨拶を返し、ポポロと気さくな言葉を二言三言かわしてその場を離れた。まだ一揆がはじまって間もないはずだが、ここの住人はみな友好的なのだろうか。

　いいのかそれは。

　どうやら本気で言っているらしい。
　屈託のない横顔を眺め、ちょっと足りない子なのかなと思いつつも、不思議な魅力があるなとも思う。

　突然歩みを止めたポポロが指し示した先には木製の扉があった。入り口だけ見ても他とは雰囲気が異なる。焼けた紙のような照明、手前に立てかけられた宣伝文句の看板、ひもで吊された「OPEN」の文字。
　ところで、ピアさんとは一体誰のことか。

　言うが早いか、ポポロはさっさと方向を変えてカフェバーとやらへと歩き出す。慌ててその後を追う。

　扉を開けると、ぬるい熱気が流れてきた。
　ポポロの声にいくらかの客が振り向く。その表情はみな明るい。空いている席より埋まっている席のほうが多く、なかなかの繁盛ぶりだ。冒険者の酒場を思わせる壁の張り紙を除けば、余計なものがないシンプルな造り。店内の落ち着いた雰囲気と少し噛み合わない騒がしさが、不思議と気分を高揚させる。
　ポポロは飛び跳ねながら真っ直ぐにカウンターへ向かう。その表情は緩みきっており、ぶれない視線の先にはピアと呼ばれた銀髪の少女が、無表情のままカップに紅茶を注いでいた。

　銀髪の少女がポポロを視認するなり悪態をつくも、途中で面倒になったのか言葉を止める。後ろにいる住人希望者を一瞥して、細い息を吐いた。

　端から見ても棘の混じった言葉にポポロは悪びれるどころか、なぜだか嬉しそうに返す。
　そして機嫌よくその場で二回転半。行きましょう、と声をかけて、橙色の光が灯る道を踏み歩く。

　　＊

　長く広い直線的な廊下に、ドアと玄関照明がずらりと並んでいる。
　等間隔でないのは相部屋もあるからだそうだ。
　聞けば、部屋の位置や間取りは自由に変えられ、しかもその作業は瞬く間に終わるらしい。

　非常識な話だが、どうやらそういうことらしい。住人を募集する以前は二階建ての一軒家程度の大きさだったとか。

　ポポロは元気よく壁を紹介した。
　扉がない。

　何をどうしたわけでもない。ポポロがそう言うと、目の前の壁が色水にまったく別の色を流し込んだようにぐにゃりと形が歪んで、あっという間に部屋の入り口が生まれる。非常識もこう連続で起こると慣れてしまう。いや、ただ単にまともな感覚が麻痺しているだけなのかもしれない。
　ドアを開けて中に入り、部屋を一通り眺めてみる。
　想像以上に設備がしっかりしていた。電気が使え、浴室やベッドルームまであるとは思わなかった。洗面所に備えられた水道の蛇口をひねってみれば水も出た。透明な色をしていて汚水には見えない。

　——は？

　聞かなかったことにしよう。そう思った。
　次にリビングに備え付けられたキッチンを見てみる。床に食料を保存するための倉があり、コンロの形状をした加熱装置がある。これは本当に使えるのだろうか。点火スイッチらしきものをひねってみると、確かに火が点った。
　これには素直に感心した。一体どういう仕組みなのだろうと視線を下げて火元を見てみる。

　ガスではなく、タンポポの葉によく似たナニカが燃えていた。

　——焼身自殺？
　思わず後ろを振り返る。そこには、にこにこ笑顔のポポロがいる。
　深く考えないようにしよう。
　目の前に神様に、心の中でそう誓った。

　　　＊

　案内もそこそこに、エントランスに戻るとポポロはくるりと振り返って、常なる笑みを見せつける。

　素直に、いいところだと答えた。
　しかしこれほどの住居の提供に、対価を求めないことが疑問だった。
　それ、よく言われます。そう言ってポポロは笑う。

　ポポロのその言葉に、何か違和感を感じた。
　それはすぐにわかりそうな、簡単な齟齬のように思えたが、少し考えてみても思い当たりはしなかった。
　まあいいか。嘘を言っているようには見えないし。
　手を差し出すと、ポポロがはしゃいだ笑顔を見せる。この少女は本当によく笑うなと思う。
　握手を交わす。
　そのとき、おそらくここに住む誰もが考えたであろうことが、脳裏に浮かんだ。

　——何にせよ、しばらく退屈することはなさそうである。

　クロエはタンポポ荘管理人の少女に手を引かれ、目的の場所に向かい歩いていた。

　やがて、少し大きな洋風の建物が見えてきた。

　ポポロの、思った以上にパワー溢れる反応に圧倒されているうちに、今度は急に手を引かれて転びそうになる。

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　そんなこんなで、たんぽぽ荘へ連れて行かれたクーリア。

半ばヤケの入った様子。近づいてくる貴女を追い払おうと、男は身を起こそうとする。
しかし急な動きが傷を刺激し、男は激痛に顔を歪めて再び木へともたれかかった。

男に注目する貴女の、そのあまりにも無警戒な様子に男は毒気を抜かれた様子。
それでまだこんな棘のあるセリフを吐くのだが。

男は諦観と自嘲の混じった表情で、貴女の誘いに言葉を返す。

男は力の抜けきった手で、貴女に向かってしっしっと追い払うような動作をする。

手を引く少女にされるがまま、タンポポ荘へと入っていった。

それが、少し前の話である。

そして詰められた距離にびっくりして二、三歩下がった後、

(神様という単語に驚くも、タンポポ荘が優良物件だと聞くと興味が移ったようで—)

(とびっきりの笑顔には、とびっきりの笑顔を返した—)

(またとある日、リチェッタにて—)

驚いているようだ！

タンポポ荘の入り口から入ってきた、小柄な少女が一人。
一つに結ったサイドテールを揺らしながら、きょろきょろと中を見回して。

と、ポポロを見つけると嬉しそうな笑みを浮かべる。
そのままポポロの方へと、ぱたぱたと小走りで近づいてきて。

どうやら家賃は要らないことを知らないらしい。
ははは…、と少女は恥ずかしそうに苦笑した。