「——まぁ、勢いよく乗り込んだは良かったのだけどね。」
ふぅ……とため息をついて、
机に座る魅月。
何の変哲もない教室。
黒板に時計、
教壇に並べられた机と椅子の数々。
——極一般の普通の教室。
ただ一つ——
その全ての文字が反転している事を除けば。
「しっかりと前もって調査すべきではあったわね。
　——これ、なんとかしたら図書館にいって調べないと——
　霊達に手伝って貰うとしてもそれなりに時間がかかるのだけど——
　まぁ、自業自得ね。
　それにしても——
　“トイレの鏡は異世界に繋がっている”
　といった感じなのかしらね。この怪異。
　——花子さんとかそういった類だと思ってたから完全な不意打ちよ。
　本当に。
　吸い込まれた後、留まるのは不味いと思って思わずここまで来たけど——
　さて……」
辺りを見回す魅月。
しかし、教室の中には何も無い。
だが——
窓の外の世界は歪んでいる。
恐らくは鏡の中の学校は外とは隔絶されている世界だからなのだろう。
故に、当然の如くそこから逃げるというのも得策ではないし——
(そもそも——
こういう場所で建物はよほどの事をしないと壊れないし、
外に飛び出した先がもっと厄介な異世界っていう、
どう足掻いても絶望っていうオチしかないのよね——
かといって此処に長居というのも——
面倒な事が起こる以上に待っている人はあんまり待たせたくはない。
さて——)
瞳を閉じて立ち上がる。
そして精神を集中し——
魅月の耳に声が飛び込んできた。
『——けて——』
小さくか細い声。
こんな所に人が居るはずもない——とは言い切れないが可能性は低い。
ならば、この声を発しているのは霊か怪異か、
だとするのならば——
「誘っている——ととらえるのが普通だけれど——」
魅月はそう考えるが、すぐに首を振って否定する。
「——冗談でしょう……」
その声が聞こえて来たのは窓の外から。
それが意味する事は即ち——
「——異世界からの救援？
　またなのかしら——
　……親しい人に会える楽しみはあるけれど——
　それにしても……ええ——」
頭痛がしてきたとでもいうように軽く首を傾げて手を額にやる。
「——態々私の世界ではなく異空間に向けて発信とか。
　普通誰にも届かないわよ。この救援。
　まぁ、たまたま私がいたからいいものの——
　これもまた運命という奴なのかしらね……
　さて——」
そっと窓に手をあてる魅月。
この行為自体に意味はない。
ただ、声の聞こえた方向に集中する為のイメージの補助。
そして瞳を閉じて意識を掌に集中する魅月。
「…………」
声が鮮明に魅月に聞こえ始める。
それはとても小さな声だけど、はっきりと助けを求める声。
だから魅月も声を送る。
『——期待に添えるかは分からないけど、
　暇が出来たらそちらに行くわ。
　招待状の一つでも送って貰えれば嬉しいのだけど。』
その声に応えたのだろうか？
１分もしないうちに、
窓の隙間から一枚の封に包まれた手紙が滑り落ちた。
宛名も無ければ署名も無く、
飾り気のない簡素なもの。
それを魅月は拾い上げてそっと服の中へと仕舞う。
「——思ったより反応が早かったわね。
　というか半ば冗談だったのだけど、
　本当に招待状が来るとは思わなかったわ……
　ま、全部終わったらゆっくり読みましょうか。
　——まぁ、貰った以上行かないという訳にはいかないし、
　そうね。夏休みの観光って辺りがいいかしら……」
まるでもう此処から脱出出来るかのように予定を組みながら、
教室の扉を開けて廊下に出る魅月へと、霊が集まってくる。
この隔離された世界を調査していた霊達が。
この世界から抜け出したいと願い続けた霊達が。
霊達が告げる話から必要な情報を取捨選択する。
この世界を支配するなにがしかがこの世界を形成する核を壊し、
なにがしかが居るはずであろう脱出口を抜ける為に。

「——完全に迂闊だったわ……
　核を破壊するのに私が態々向かう必要なかったのに……」
どうしたものか、と考える魅月。
その前にいるのはおぞましき黒き何か。
その姿は一定せず、
様々な形にその姿を変えて魅月へと苛烈な攻撃を仕掛けている。
時には牙で、
時には爪で、
時には剣で、
時には——
攻撃方法も無数。
形無きモノであるが故に。
その攻撃を霊で防ぎ、
いなし、
回避しながらため息をつく。
「——最初から霊に任せておけば良かったわ。
　最初から本当に厄介な相手。
　——破壊した後辿りつけるかギリギリの時間しかないし……
　ええ、本当にカッコなんてつけるものではないわ……
　まぁ、不幸中の幸いは、
　アレの核とこの空間の核が同じって事かしらね。
　——逃げられる心配だけはないわ。」
だが、そんな言葉とは裏腹に魅月は攻撃を一切せず、
防御に回り追い詰められていっている。
この状態で勝利の事を考えるなんて傲慢も過ぎる——
たんなる虚勢ともとれるだろう。
だが——
これが虚勢ではないとしたら、
彼女は勝利を確信しているには違いない。
果たしてどちらなのか？
防戦一方で追い詰められながら、
魅月は告げる。
形無きモノへと。
「——そろそろ反撃してもいいかしら？
　現実から逃れたいって意志、
　現実への絶望。
　負の感情の集合体。
　だから貴方は同じような者を集める。
　そしてこの世界に閉じ込めて、
　更に負の感情を増幅させる——
　そして、貴方は負の集まりであるが故に、
　集められた者達にとっては見たくないもの。
　だから、誰も気付かない、出られない——
　出ようとしても入口は貴方が居る限り閉じられているのだから。
　ああ、逃れれない、逃れる事など出来はしない。
　ここは楽園にして地獄。
　現実への否定。
　そろそろ解放されるべきよ。
　淀みはいつかははらわないといけない。
　そして、
　自分の負の面と向き合える事が出来るのだから——
　キチンと向き合いなさい。
　つらい？苦しい？
　ええ、だけど、機会はあって、向き合えば解放されるわ。」
——それと同時に、自分の周囲に漂う者達にも。
形無きモノ、そして漂う者達に動揺が広がる。
形無きモノは己について理解されたが為、
漂う者達は死んでなお震える恐怖に立ち向かえと言われたが故に。
だが、このままでは、形無きモノがなりふり構わず攻撃し、
結局何も変わらないだろう。
だからこそ、魅月は漂う者達に一言告げる。
まるで背中を押すかのごとく——
「——まぁ、永遠に囚われて苦しみを得たないなら別よ？
　私に出会うという事はそういう事なのだもの。
　それから——“私を殺す事は出来ないわ”
　それに……解っているのでしょう？
　——そんな弱い心、魂では——
　私に何か及ぼす事すら出来はしないという事を。
　——安心なさい。後の事は私がやってあげる。」
手を伸ばす。
命令するように。
懇願するように。
祈るように。
それと同時に、形無きモノへと漂う者達が殺到する。
ある者は命令されたが故に。
ある者は勇気を振り絞ったが故に。
ある者はただ逃れたいが故に。
ある者は——
それぞれが抱くものは違えども、
死した魂となった彼等は次々に形無きモノに当たり消えていく。
それは解放であり浄化。
それと同時に形無きモノの一部が次々に光となって消えていく。
そう。
形無きモノは未練の塊。
漂う者等は未練が故に囚われている。
故に形無きモノと漂う者達は同じ存在でもある。
故に、
片方が消えたのならば、同じ存在も消えるは道理。
もちろん、形無きモノの負の感情は此処に囚われた者達だけのものではない。
だから、それで消え去る事は無いし、
それで終わるという訳でもない。
——だが、勝つのにそれで十二分。
「——最初から最後まで力押しで勝っても良かったのだけど——
　折角だもの。
　自分の落とし前は自分でつけさせないといけないわよね。
　——さ、チェックメイトよ。」
そのまま隙をついて形無きモノへと肉薄する。
狙うは一点。
形無きモノの核となる部分。
当然の如く核はあるといっても人の手では触れる事は出来ない。
故に拳を叩きつけた所で何の意味もなく、
もし効果があっても女の細腕ではそれを砕くなんて不可能な事。
——だが、魅月自身、そういった存在と闘い続け理解している。
なればこそ、そんなミスは犯さない。
ならば、その拳を当たるようにして、
壊せるだけの力を加えればいい。
其の為に必要な事は——
「これで二つ目。
　この一撃で押し通らせて貰うわ。
　手に霊を集めて殴ればそれで終われる。
　——さ、散りなさい。
　貴方はもうお役御免よ。」
霊に命じ、自分の左腕に意識を集中。
そして全力でその左腕で拳を作り——

——パキン——

硝子が割れたような音が鳴る。
澄んだ小さなその音は、
黒く淀んだ核へと叩き込み壊れた音。
響き渡る悲鳴。
そして揺れるように世界が——鏡の中の学校が崩れていく。
「さようなら——
　まぁ、私も早く逃げないとね。
　巻き込まれたら戻る時間が面倒だし、
　何度か死ぬ事になるし良い事はないわ。
　全く、面倒事ばかり——
　自分が決めた事だから仕方ないとはいえ嫌になるわね。」
ため息をつく間もなく、
崩れゆく学校の中を駆け抜ける。
最初から逃走ルートは決めてある、
もし歩く場所が崩れていたとしても、
霊の道の上をあるけばいい、
もし障害があったとしても、
吹き飛ばせば問題ない。
これが本当の世界であればそれは至難の技なのだろうが、
ここは偽りの世界。
なればこそ、実像よりも虚像である霊の方が力を強く持つ。
一心不乱に駆け抜ける。
そして、最後の扉を開けると光が広がり——

「脱出成功。
　後５つね。
　——時間は……ああ、思ったよりたってないのね。
　良かったわ。
　時間の流れが速い世界でなくて良かったわ。」
携帯を弄り時間を同期させ今がいつなのかを確認する。
経過していたのは数分ほど。
そして辺りを見回すと吸い込まれた鏡の前に出て来ていた。
つまり——元の場所へと。
「でも、予想してたより時間が余ったわね。
　このまま他へ向かってもいいのだけど——」
手紙を取り出し封を開ける魅月。
「先に読んでしまいましょうか。
　血で汚れて読めなくなったとか最悪だしね。
　そうは思わない？」
虚空に向かって問いかける。
そこには何も存在しない。
普通の人に見えるような何かは。
そして、クスリと笑い手紙を読む。
そこに書かれていたのは簡素にその世界への向かい方。
指定の時間に指定の場所にくればいいというシンプルなもの。
「——どういう状況なのかも書いてほしかったのだけど、
　流石にそれは求め過ぎなのかしら？
　まぁ、向こうにいってから聞けば大丈夫かしらね……
　切羽は詰まっていたみたいだけど猶予がある……
　という事はこちらと向こうの世界の時間に差異は多少はあるみたい。
　恐らくこちらの時間の流れの方が早いのかしら？」
時間を確認する。
ご丁寧にも時間は夏休みに入ってすぐ。
「——あら、学校を休む必要もなさそうね。
　これなら行っても問題ないわね。
　夏休みは長いもの。
　丁度旅行にいったと思えばいいかしら。
　——それなら迷惑も心配もかける必要もないし——
　……
　なんだかんだでいまの私には心配してくれる人がいるのよね……
　まぁ、嬉しくもあり、
　なんだか妙な気分でもあるわね……
　後は場所だけど、態々座標で書くなんて——
　嫌がらせ……
　というよりはこちらの地名とか知ってるなんて期待する方が無粋ね。
　幸い……日本国内の……」
丁度良いと思い笑いつつ、
座標がどこだったか思い出し——
ため息をついた。
「——気がきいているのか、それとも喧嘩を売っているのか。
　まぁ、偶然だと思うのだけどね。
　——まぁ、でも——
　一度戻ってみようと思っていたし丁度良かったのかしら。
　久しぶりの里帰り——
　とはいっても今あそこどうなってるのかしら。
　墓参りもしたいけれど、
　墓すら残ってない可能性の方が高いわよね……
　手向ける花くらいはもっていくつもりだけど……
　…………
　いけないわね。もう既に全てが終わった感じになっていたわ。
　後５つも残っているのに。
　さて。と。片づけを始めましょうか。
　後５つくらいすぐに終わらせないと。
　少なくともなまった勘を取り戻さなきゃ——
　その後に控えている戦いについていけないもの。
　きっと、ね——」
書かれていた場所、それは始まりの地。
今や忘れ去られ存在した事すら彼女しか知らない村があった場所。
即ち、魅月の故郷。
——これが何を指し示すのか。
それとも単なる偶然なのか。
期待に胸をふくらませ、
同時に寂しさを抱き、
静かに魅月は次の場所へと向かって行く——

こちらはとても子供らしくニカッと笑った。

彼は少しだけ考えるような仕草をするも、笑顔でこう答えた。

彼はあたまをなでられながら、そう答えた。