「おい」と小さく声を荒げる。
声には僅かではあるが、明らかに苛立ちを交えていたというのに、
それを向けられた老婆は、さして気にした様子も見せなかった。

にっこりと笑って、今度は星形の板のようなものを胸の前で掲げて見せた。

正直な所、この時点で既に、ハーヌはこの場から逃げ出してしまいたかった。
目の前の老婆の笑みも、根拠のない強引さも、
その言葉が嬉々とした色を帯びたまま、しかしひたすら太く鋭利であった事も、
何もかもが歪んでいるように思えた。

言葉にしがたい一種の気持ちの悪さが、ハーヌの背筋に冷たいものを這わせる。
実際に出してみて、初めて自分の声が震えていた事を知った。

平常心を保とうと、無為に宙をまさぐる。

ビブリアが首をかしげる。
目を見開き、実に不思議そうな顔でこちらを見つめてくるので、
ハーヌもまた、決してビブリアが自分をからかっている訳ではないという事は理解していた。

だからこそ、言い様の無い不気味さを感じた。

僅かに思案してみせた後、その考え込んだ姿まま、ビブリアは静かに言葉を紡いだ。
瞳がゆらゆらと左右に揺らぐが、
決してそれが動揺を表したものではないという事をハーヌは知っていた。
模索しているのだ。記憶を手繰り、言葉を探し、表現を選ぶ。

そう言って、先程から胸の前に掲げていた板をハーヌの方へ差し出す。
それは上下左右の8方向に伸びた星形の板で、その先端にはそれぞれ穴が開いていた。
8つの穴の内の3つには、既に石のようなものが嵌め込まれており、
それらはそれぞれ白、赤、緑の鈍い色をしている。

丸い。
その石を見て「玉」という言葉が脳裏に浮かんだが、
その表現にハーヌは僅かに違和感を覚えた。
確かに球体ではある。
だがその表面は凹凸が激しく、お世辞にも美しい形状であるとは言えなかった。
むしろその歪さは禍々しささえ覚え、
どう見ても高貴な立場の者が好んで持つような代物には思えなかった。

人と会話をしていて、これほどまでに気分が悪くなったのは初めてだ。
咄嗟に指の腹で軽く口元を抑える。

—イライラする。
それは憤怒というよりは、嫌悪に近く、嫌悪というよりは恐怖に近く、
更に恐怖よりは倦厭に近く、倦厭よりも嘔吐感に近かった。

言葉は通じるのに、話が全く噛み合わない。
同じ物を見ているというのに、本当に同じ物を見ているのかさえも疑わしい。

そう言ってビブリアは紋章台に嵌め込まれた赤い石を指差す。
正直、ハーヌにとってこれが何よりもの救いとなった。
このままこの話題で問答を続けるのは、精神的にも肉体的にも限界だった。

陽の光を受け、僅かに石の表面が透ける。
元よりまじまじと石を見ていた訳ではなかったが、
それでも、ハーヌはこの時初めてその石が半透明であるという事を知った。

それもかなり鮮やかで、とびきり上等の。

実際、旅先でそういった装飾品を目にする事はあったが、
それを手に取ってまで見たという記憶はなく、
少なくともこの時点では全く思い出す事が出来なかった。

ビブリアが指で小さく赤い石の輪郭をなぞる。
斑な乳白色の中に鈍い赤が差し込み、その濃淡が怪しく模様を描き出していた。

考えれば考える程、不可解な疑問は増えていく。
目の前の老婆の存在は、ハーヌにとっては不信でしかなかった。
彼女の様子から、それらが嘘であるとはとても思いはしなかったが、
それでも、それらを信じるというのも、また同じくらいに難しかった。

ビブリアは相変わらず不思議そうに首を傾げたままでいる。

ここでハーヌは考えるのをやめた。
もういい。これ以上は、もういい。
やめておくべきだと、彼の本能が告げた。
どうせそれを形にしたとしても、
湧き出る疑問に答えてくれる者など、おそらくここにはいやしないのだから。