ぼやけた意識が次第にはっきりしてくると、心安らぐような水の匂いを感じる。
さらさらと転がるように流れていく水の音と、少ししっとりとした風が心地よい。

思わず声をかけられ、自然と刀の柄に右手が当たる。





顔を上げると、小川のほとりの草むらの上で、
黒い甲冑を身に纏った傭兵が、片膝を立てて寛いでいた。


その様子から、自分達は今安全な場所に居ることを察する。


しかし…砂地での激闘の後の記憶がやけに曖昧だ。
巨大なサソリの尾撃を受け流しながら、段々と力を失い重たくなる自分の体を感じて…

　少しずつ暑く乾いた砂漠での出来事が思い出される。

お互いの第一印象は、良くはなかったはずだ。
しかし、皮肉交じりに口の端に笑みを浮かべたその男の顔は、
どこか人懐こさや愛嬌を備えているようにも見える。


同じ徒党を組んだ初日に、図らずしも強敵と対峙したせいで、語るべくもなくお互いの全力を見ることになった事は、
武人であり口下手な斬慈には好都合である。


そして、重量の在る鎧を纏い、自らも傷つきながらも、まだあって日も浅い意識を失った大の男をここまで運んできたのだ。
この男が、腕も力も確かであるという何よりの証拠である。



すっと右手の人差し指の力が抜け、刀の柄から滑り落ちた。


















オースと名乗った傭兵の男は、胸元から拳より少し小さめな箱を慣れた手つきで取り出し、トントンと指で叩く。
もう一つの小さな箱から、カシュッと気持ちよい音を立てて炎が炊かれたかと思うと、すぐに紙煙草の先端に小さな明かりが灯った。
自らの故郷には見たことの無い煙草だ。


少し興味ありがちに横目でみていた視線に気づいたのか、あんたもどうだい？とすすめてくる。
新しいものを見つけた子供のような目をしてしまったかもしれない。
その男の好意に甘えながら、初めて吸う短い紙煙草に火を貰う。

























煙草を口実に、拙いながらもお互いの故郷についての話が、二、三交わされる。
しかし、男同士の会話など、長く続くはずも無い。

短い一文が、サク、サクと交互に出た後、いい酒でも手に入ったら飲もうぜなどという話を最後に、特に話すこともなくなってしまった。



　スゥと強めの煙草の匂いを奥に感じながら、何とはなしに自分の胸元に手を当てる。

蠍の一撃を受けて、大きく斜め横に袈裟切られ、深手を追ってしまったであろう胸元…




！？

くい、と、顎で小川の裏手にある岩のほうをしゃくると、休んでいる女の半身が陰から覗いている。

砂漠で日除けにしていたボロの布切れを毛布代わりに纏っている。恐らく寝ているのだろう。

寝息までは聞こえなかったが、静かなところを見ると相当疲れているに違いない。





致命傷となる肺まで届きはしなかったものの、出血から考えたらどう考えても大きな傷跡になるであろう一撃を覚えている。

放っておいたら、サソリの毒がなかろうとも、出血でショック死していてもおかしくない。
今や斜めにラインの入った瘡蓋程度しかないことを考えると、
相当尽力してくれたのだろうと思う。



それに、猛毒に朦朧としていたはずだったのに、いつの間にかそれもなくなっている。
混濁した意識の中で、霞んだ視界の端にみた女の姿は、その治療の時のものだったのだろう。


流れ出した血の量は多かったのか、今尚若干の貧血ぎみな倦怠感があるのは否めない。
ただ、何かー ー
何か、今までと違う、自らの血潮に流れる、どこか心地良いような力の脈動を感じていた。















思い巡らせた事柄とは裏腹に、チラと一瞬だけ女の姿を伺うと、目を伏せながら短く小さく息をついた。

暫しの間、小川の流れと呼応するように、吐き出された煙がゆるく風に流れ
二人の傭兵達の合間を縫っては、空に消えた。


時折、斬慈はちらりと後ろにある岩のほうへ視線をむける。


息を吐き出すたびに、チリチリと少しずつ短くなる煙草の灰を、
トンとはじいては過ぎていく時間を楽しみながら、

オースは思い出したように口の端でにやりと笑った。

頭を振りながら起き上がる…