それは摩擦だと彼女は語った。
　良いか悪いかは別として、そういうものなのだ、と。
　他に方法はなかったのだろうかと、アムルイは思う。
　良いか悪いかを別にしないで、どうすればいいかを考えるために。

　——————————————————

　緑色に透き通る軟体生物に白刃が吸い込まれる。
　一度、二度、三度。
　アムルイにとってそれは、誇るほどではないが自慢の技だった。
　一撃の威力は軽くとも、その鋭さと手数で補う。
　非力なアムルイには理に適った技であり、使いこなすための鍛錬を怠ったことはない。
　だが命中したのは初撃のみ。与えた傷もごく浅いものだ。

「—————っ！」

　思わず歯噛みしたアムルイの横を抜け、着物姿の少女が駆ける。
　その手に構えた大鎌を器用に操り、黒猫の姿を持つ魔物を薙ぎ払った。
　この一撃によって魔物達の態勢が崩れ、大きな隙を晒す。

「——その生命を刈り取る！」

　続いたのは禍々しい鎌を構えた銀髪の少女。
　鎌は妖しく燐光を放ち、振るえばそれは魔弾と化して魔物を打ち据える。
　魔物達は追撃を警戒したか、反撃に転じる様子はない。
　ならば今の内にと、最後の仲間が魔法を行使した。

「天の恵みのあらん事を〜」

　褐色の肌を持つ少女がそう告げると、アムルイの体が柔らかな光に包まれる。
　これまでに負った傷が瞬く間に塞がり、活力を取り戻させた。
　——これなら負けることはない。
　アムルイを含め、全員がそう思ったのは間違いないだろう。
　しかしアムルイだけは、さらにこう思ったのだ。
　自分がいてもいなくても、と。

　——————————————————

　薔薇色の、燃えるような平原の夕暮れ。
　空には太陽を砕いたかのように、無数の星が瞬き始めている。
　ゆっくりと押し寄せる紫色の夜は、むしろ星の輝きを強調しているかのようだ。
　魔物との戦いを終えたアムルイ達は、そんな平原で野営の準備をしていた。
　さすがに魔物と遭遇した場所でそのまま野営するのは危険なので、移動したために少し遅くなってしまった。
　こうした野営はアムルイも慣れたもので、拾い集めた太い枝を地面に刺していき、ロープをしっかり結んで簡易的なハンモックにする。
　地面でそのまま寝ると、思った以上に体温を奪われてしまうというのもあるが、一番の理由は虫除けだ。
　ある程度の高さがあれば、仮に毒虫がいたとしても、そうそう襲われるものではない。
　さすがに寝心地はあまり良くないが、安全のためなのだから仕方ないだろう。

「ふぅ……」

　一通りの作業を終えると、さすがに少し汗ばんでいた。
　不快感よりも体臭的な理由から、後でしっかい拭いておこう、と思う。
　獣の中には人の体臭を追って襲って来るものもいるので、汗をちゃんと拭いておくのは大切だ。

「お疲れさまです〜。もうすぐご飯ですよ〜」

　間延びした声に振り返れば、褐色の肌の少女——アイサが焚き火で料理を作っているところだった。
　焚き火には鍋がかけられており、中身は戻した干し肉と、豆類を中心としたシチューのようだ。
　不思議なのは焚き火の周囲に刺さった棒で、何か、生地のようなものが巻いてある。

「アイサ、それ何？」

「ねじりパンですよ〜。小麦粉だけで作れますから、こういう時に便利です〜」

　味はどうなんだろう、という気もしたが、シチューと一緒に食べるから問題ないのだろう。
　むしろ問題は他にあり、アイサに頷きを返したアムルイは、その問題へと目を向けた。

「蛍もそろそろ起きたら？」

「起きてる起きてる。僕は横になっているだけさ」

　野外だというのに、枕を高くして寝転がる着物姿の少女——蛍が面倒臭そうに答える。
　野営の知識や、料理の技術がないのなら、下手に手伝うよりは大人しくしておく、というのも正しいのだろう。
　正しいのだろうが、何だか微妙に納得がいかないのも確かである。

「そう。じゃあ寝ててもいいよ。夜の見張りは蛍にお願いするから」

「寝ながら見張れって、矛盾してると思うんだけど」

「うん、その時は起きよう？」

「僕には……無理だ……」

　やる気のない返答に、どうしたものかな、と思案する。
　無理にやらせる気はないし、そもそも無理にやらせてヘマをされた方が危ない。
　ただ、野営時の見張りに関しては、できる人だけがすればいい、というものでもないのだ。
　誰だって当然のように疲れるし、怪我や病気でできない時もあるだろう。
　そういう時、他にできる人がいなければ、全体を危険に晒してしまう。
　何か考えておいた方がいい——などと思っていると、アイサがこちらを見て笑っていた。

「……なに？」

「いえいえ〜。仲がよろしいようで〜」

「そう——かな。そうだと、いいんだけど」

　このメンバーは一揆に参加する時、王城前で何となく集まった希薄な繋がりだ。
　信頼関係は築く前の段階で、それぞれどんなことができるのかも、まだよく分かっていない。
　それでも仲良くできるのなら、それはいいことだとアムルイは思う。
　ただ、続けて思うのは、

「でも、アイサ。こんな風になってる私達だけど、パラダイスとは仲良くなれないのかな？」

「ん〜……」

　問いかけに、アイサは少し考え込むようにして顎に指を当てた。
　答えを待つことしばし。アイサは穏やかな笑みを崩すことなく答えた。

「それは摩擦なんですよね〜。良いか悪いかは別で、そういうものなんです」

「……どういうこと？」

「例えばですね〜。私とアムルイさんは、こうして話ができますよね？」

「うん」

「ですけど、言葉が届かなかったらどうするでしょう〜？
　言葉が通じなかったら、でも構いません〜。
　そんな時、アムルイさんはどうしますか〜？」

　問われて、アムルイは考えた。
　言葉が届かない。それは距離があるということだ。
　言葉が通じない。それは言葉の意味が伝わらないということだ。
　届かないのなら近付けばいいだろう。
　通じないのなら身振りで示せばいいだろう。
　でも、本当にそんな単純な問題なのだろうか？
　アイサはパラダイスと一揆の関係を、摩擦だと最初に答えた。
　良いか悪いかは別で、そういうものなのだ、と。
　だからアムルイは仮定する。
　パラダイスには言葉が届かなくて、言葉が通じないのだと。
　そう仮定して、でも、と思い出す。
　先に通じない言葉を発したのは、パラダイスではなかったか——？
　ネクターの独占という、理解し難い行為こそが、パラダイスの言葉なのだ。
　真意を確かめるために問いかけようとしても、パラダイスは王であるが故に偉く、言葉が届かない。
　言葉を届かせるためには、無理矢理にでも会いに行かなければならない。
　だから、

「——そういうことなんだね、アイサ。
　私達とパラダイスの間には、色んな距離があって。
　パラダイスの話した言葉は、私達には通じなかった」

「はい〜。ですから摩擦なんですね〜」

「うん。知るために、伝えるために、私達はパラダイスに会わなきゃいけない。
　だからお互いは衝突して、——摩擦、一揆が起きた」

「仲良くできるかどうかは、それが終わってからです〜。
　まずは理解し合うために、一揆を成し遂げる必要があるわけですね〜」

　それがアイサの答えなのだろう。
　ちゃんと理解できたかは怪しいが、その答えにはアムルイも納得した。
　ただ、他の方法はないのだろうか、とも思う。
　アイサは自分よりも物知りで、自分よりも先が見えているのだろう。
　だからアイサの出した答えに納得して、満足していればいいのかもしれない。
　しかしそのままでは、アイサの考えを借り受けているだけだ。
　結果が同じだとしても、それでもアムルイは考えたいと思う。
　その努力を諦めてしまった時こそ、自分の言葉は本当に届かなくなってしまうような気がした。

「——なんだか小難しい話をしてるじゃないか。
　話し込むのはいいけど、せっかくのシチューを焦がしたりしないでくれよ？」

　と。いつの間にやって来たのか、銀髪の少女——リアスが、ややシニカルに言う。

「あら〜、大丈夫ですよ〜。
　周囲の見回り、お疲れさまでした〜」

「お帰り。何か変わったことはあった？」

「先に行った連中の足跡が多過ぎて、痕跡なんて調べるだけ無駄だったよ」

　リアスが肩をすくめて嘆息するように、一揆に参加した者の中でも、特に血気盛んな連中はかなり先行しているらしい。
　いかに平原が広大だとはいえ、通るルートはある程度、限られてくる。
　王国軍の動きも気になるところだが、その痕跡を見つけるのはやはり難しいようだ。

「ま、近くに誰かいるってことはなさそうだ。
　今夜は安心して眠れそうだね」

「見張りは必要ですけどね〜」

　その後、食事を取りながら見張りの順番を決めると、明日の予定を軽く確認して眠ることにした。
　即席のハンモックはおおむね好評だったが、蛍は別にどこでも眠れるんだろうな、というのが共通認識になっていた。

　——————————————————

　翌日————。
　平原を進む彼女達の前に、武装した一団が現れた。
　夜を固めたような漆黒の鎧に身を包み、明らかに殺気を放っている。
　確認するまでもない。
　彼らこそが王国軍の兵士であり、初めて接触する明確な敵だ。

「ふふ、来たか馬鹿どもめ……」

　兵士達は武器を構えて笑い、

「即刻立ち去るがいい！　世界に害をなす虫けらめッ！！」

　問答無用とばかりに突撃する。
　そう、これが言葉が通じないということ。
　彼らの発した言葉に、意味らしい意味なんて一つもない。
　彼らはパラダイスの代弁者であり、一方的に告げるだけの存在なのだ。

　だから、アムルイは僅かに震える手で剣を握った。
　震えを抑え込むように、いつもよりも強く。
　自分なりの考えや答えなんて、未だ出せてはいないけれど。
　まずはこの、目に見えた最初の距離を乗り越えて行こう。
　いつか答えを出す、その日のために。