アタシは一度、王城へと帰還していた。
食料や飲料水を初めとする、必需品の補充などのため。
本格的な戦争であれば、補給線の確保などの兵站は必ず行われる。
けど、これはあくまで反乱のためか、そこまで大規模な統率は行われていない。
寧ろ、各々の参加者が好き勝手に、ゲリラ的に活動している。
これは反乱の首謀者が討ち取られれば一気に瓦解してしまいそうだけど……まぁ、それはどうでもいいこと。

行く先々で食料を調達しながら侵攻ルートを選択していく。
これを全ての参加者に好き勝手に模索させるのは少々無謀にも思える。
アタシも例外ではなく、侵攻ルートの模索にはかなり難儀していた。
というよりも、考えるのが段々面倒になっていた。

そういった時、アタシは決まって歌を歌う。
雑音（ノイズ）を断ち切るように、自分の中に自分の音を響かせる。
こうすると、とても心が落ち着くから。

ジャラ、ジャラ、ジャラリ、ジャラ、ジャラ、ジャラン。
鎖の音、アタシが愛する音の一つ。
金切り声にも似たその音色は、苦悶を約束してくれる歌声。
もっとも、一番好きなのは、その後に訪れる悲鳴だけれども。

そうやって心を落ち着かせながら、アタシは王城付近の塀や屋根を飛び回っていた。
夜風の匂いが鼻をくすぐる。
でも、その匂いに違う匂いが──よく知った匂いと、珍しい匂いが同時に──混ざった。

音の反響がその姿を捉える。
金色の髪を棚引かせる、アタシと同じぐらいの背丈の少女。

良く知った匂いの源はすぐにわかった。
彼女の持つ袋から、ネクターの香りが漂っている。
つまりは、彼女も反乱の参加者ということ。
そしてもう一つの珍しい匂いは、彼女の全身からほんの僅かに漂っていた。
雷が空気を引き裂いた後に漂うような、刺激的な香り。

居ても立っても居られなかった。
アタシが彼女に好奇心を抱いたと認識した時には、もう既にアタシは屋根から舞い降りて彼女に話しかけていた。

彼女が警戒の表情を浮かべると同時に、パリ、と静電気が走るような音。
アタシは自分の予想が当たっていることに、心の中でそっとほくそ笑む。

狼狽しているのか、呆然としているのか。
どちらにしろ、いきなりのことで困惑しているのは確かな様子。

アタシは単刀直入に告げる。
回りくどい言い回しは、好きじゃないから。
生臭く刺激的な──確かどこかでオゾンとか、そんな名前で呼ばれていると聞いた──特徴的な匂い。
ほんの僅かな濃度ではあったけれど、アタシの嗅覚で感じ取るには十二分だった。

ぐっと襟を立ててその中に顔を埋（うず）める。
触れられたくないものに触れられてしまった、という印象。
実際、話を切り替えようとしているのは明白。
こういう時は、公平（イーブン）に話を持ちかけるに限る。

アタシは「体質？」とわざとらしく鸚鵡返しに聞き返して、少し考え込む振りをしてから。

と、持ちかけてみた。

予想通りに食いついてきてくれた。
素直な子で、とても好印象。

アタシは前髪をかきあげた。
アタシは、本来ならば目があるべき場所に何もない……揶揄ではなく、本当に何も。
どこかでのっぺらぼう、という伝承の話を聞いた。
アタシは、目だけがないのっぺらぼうと言った風体。

恐る恐るといった様子で尋ねてくる。
怖気付いて逃げられるリスクはあったけど、興味を惹いてくれて良かった。

アタシは淡々とした調子で答える。
彼女は頷き、相槌を打ちながら聞いている。

彼女の表情に疑問が浮かぶ。
アタシは内心で笑みを浮かべた。
こちらも気になっていた言葉があったから。
尋ねるには絶好の機会を向こうから作ってくれた。

改造人間と、彼女は確かにそう言った。
彼女がもし何らかの被験者で、電撃を纏っているのであれば。
それは、アタシが興味を惹くには十分すぎるもの。

彼女は「ホントにコウモリみたいなのか」などと少し表情を柔らかくして頷いていたけれど。
アタシの質問を受けて、表情がまた強張（こわば）る。

酷く投げやりな様子で、彼女は答える。
でも、アタシはそこに嘘の音色を感じ取った。
「笑える」というあからさまな嘘の影に、小さな嘘を。

アタシはそう尋ねる。
とりあえず、彼女はアタシと同類か否か。
まず確かめたいのはそこだったから。

言葉を詰まらせた様子で何度か口を開いては閉じ、そう答える。
この言葉は多分、本当のもの。
残念ながら、彼女はアタシと同類ではない可能性が高い。
でもアタシは、それとは別のものを感じ取っていた。

それは、痛みに対する怯え。
他人を傷つけることと、それによって自分が傷つくこと。
彼女が、咄嗟に体質を隠そうとしたことは、恐らくそれに起因する。
だから、この申し出には、間違いなく躊躇する筈。
アタシはそう確信していた。

手を胸の方に抱え込み、目を逸らす。
思ったとおり、彼女は躊躇した。
アタシは根気強く手を差し出し続ける。

彼女は逡巡していたが、徐（おもむろ）に手を差し出して。

そう言って、アタシの手を取った。
彼女の言う通り、腕の筋肉が痙攣するぐらいの痺れを感じる。
でも、苦痛を感じる程ではなく、少し拍子抜けした。
アタシから言わせてみれば、全く足りない。

彼女は力を制御できている。
本気を出せば、アタシに大火傷を負わせることぐらい出切る筈。
やっぱり彼女は、過剰に傷つけ、傷つくことを恐れている。
それは、とても勿体無いこと。

彼女には傷つける力がある。
彼女には傷つくことで成長する力がある。
そんな痺れるような魅力をこのまま放っておくなんて、アタシにはできなかった。

ぐいと目元を拭い、握り締める手の力を強めながら、彼女はそう答えてくれた。

アタシに痛みを与えてくれるなら、それはとても嬉しい。
行く行くは彼女が痛みに快楽を見出してくれれば最高なんだけれども。

初々しい、照れた様子で答える。
ちょっと乱暴な物言いなのは、きっと無意識に他人を拒絶してきたからではないか。
アタシは、そう考える。
せっかく綺麗な声をしているんだから、アタシの手でもっと素直にしてあげたい。

正直に言って、アタシのやり方は失敗する可能性の方が高かったと思う。
それでも受け入れてくれたことに関しては、誇張抜きで本当にありがたい。

嬉しいことを言ってくれる。
きっと、仲良くやっていけそう。

と思った矢先に、アタシが変なことでも言ったかのように尋ねてきた。
……実際変なことなのかもしれないけど、好きなんだからしょうがない。

嘘が嫌いなアタシは素直に答える。

彼女は、あまり物事を深く考えないタイプみたい。
それも非常にありがたい。
それに、アタシは決して無理強いをするつもりはない……そう、無理強いは。

彼女は、得心が行った様子で頷く。

その言葉に、今度はアタシが食いついた。

彼女はぶんと手を振り上げて答える。

悩みがついでに片付いた。
飢餓の苦しみは嫌いじゃないけれど、今はそういう訳にもいかない。

今度は、自然に手を差し出そう。
彼女が躊躇せずに握ってくれることを願って。

でもやっぱり、彼女はちょっとだけ躊躇した。
微笑みながら手を握り返すと、彼女もはにかむように笑う。

腕が痺れる感触は全然物足りなかったけれど、それが少し心地良かった。