メルンテーゼの地、人気のない平原に一陣の不自然な風が巻いた。
風はぐるぐるとその場を取り巻き、中心にかけて空間が水面のように揺れ、その中心部に人影らしき輪郭が現れる。
徐々に人の形が定まるとともに取り巻く風も空間の揺れも次第に収まり、
完全に元の風景に戻った時、その場には二人の人影が立っていた。
セフィラータの住人、ヘッセとキルケゴールの二人だった。
周囲の状況を確認し、危険がないことを悟るとヘッセは警戒した面持ちから一変、伸びをしたあと満足気な声で言った。

***

王城前近く、人々が生活の拠点とする街や村より外れた場所にひっそりと一つの小屋が立っていた。
元々現王が圧政を敷く前、その場所にも住まうものはあったのだろうが、今は逃げ出したのか空き家となっている。
その場所を簡易結界と転送口（ポータル）で繋ぐことで、アルファはメルンテーゼに仮の工房を設けていた。
使用許諾はおそらく受けていないだろうが、もしトラブルが合った場合はすぐに撤収させるつもりだろう。
情報官から受け取ったアルファの座標はこの中だった。ヘッセは軽く扉をノックした後遠慮無く入っていく。

内部は足の踏み場もない、というほどではないにしても雑然としていた。
一番部屋を専有しているのはアルファが創ったと思しき人形の数々だ。
ただし素材も形もてんでバラバラ、ビスクドールからぬいぐるみ、
色紙で折った人型らしきもの、ぜんまい仕掛けのロボットなどがあらゆる場所に置かれている。
唯一それ以外のものといえば作業に使うであろう機材や素材、
それから中央付近に置かれた大きな作業机だ。制作に使う様々な形の道具がそこだけ整然と並べられていた。
当のアルファといえば脇目もふらずに人形制作に夢中になっている。
作業台に向かい機械的に手を動かし続け。二人が入ってきたことなど気づいていないようだ。

アルファの目の前で手をひらひらと動かすと突然の外部からの呼びかけにびくっと身体が跳ねた。

言いながら下げていた剣を剣帯から外すとアルファの前に差し出す。アルファの目の色が変わった。

促されるまま渋々、自分の武装を転送。エメラルドの輝きとともにキルケゴールの手の中に一本の長杖（ロッド）が現れる。
そのまま作業台の空いているスペースへ、ヘッセの剣とともに乗せた。

概念武装は調査官に与えられる特殊な武器である。「歪み」という概念を打ち消すために生み出された装備であり、
個々人の適性により形は様々に作られる。ヘッセの場合は剣、キルケゴールの場合は長杖といった具合だ。
アルファと知り合ったのも武装のメンテナンスをたまたま引き受けてもらったことがきっかけだった。

食い入るように武器を見つめていたアルファが工具を手に取り早速武器に手を伸ばす。
複雑な機構にたじろぐこともなくものの数分で最初の構造を分解し終えた。そこでぴたりと何故か彼の手の動きが止まった。

鬼気迫る剣幕で二人を睨みつけるアルファの手が握っている道具を今にも投げつけそうに見えた。
それは困るとばかりにヘッセは身を引く。

戸惑う相方の背をやや強引に押しながらヘッセは部屋を後にした。
扉を静かに閉めた後、説明を求めるといった視線のキルケゴールに対し、彼はにんまりと笑って言う。

突如の通信を知らせるコール、都市から二人宛の回線が開かれる。取り出した端末に一人の女性の姿が映し出された。
金髪を綺麗に纏め結い上げた亜人の女性が鋭い目で二人を一瞥する。

ウルリーケと呼ばれた女性が画面の中で嘆息する。きつい眼差しでヘッセを見つめたまま黙りこんでしまった。
彼女は二人の先輩にあたる補佐官で、立場も上の相手だ。
バックアップや面倒事の一切を引き受けてもらっている手前、機嫌を損ねるのはまずい。
重苦しい沈黙、やや罰が悪そうなヘッセを見かねて、代わりにキルケゴールが口を開いた。

一息に話し終えた後、ウルリーケは再び重い息を吐いた。
それから手元で何かを動かし、ひと通りの手順を終えてからまた二人に話しかける。

キルケゴールの詫びの言葉にふっと相手が笑ったような吐息がした。
それが本当に呆れているのか定かで無い内に通信は切れてしまった。
後に残されたのはなんとも言えない空気のみ。ヘッセは困ったように頭を掻いてから皮肉げに言った。

片手を軽く振った後、きた道をやや楽しげに戻るヘッセの後ろ姿を、肩をすくめながらキルケゴールは見送った。

コロの馴れ馴れしい様子に辟易しているのかぎこちなく距離をとる。

傍らに小奇麗に縫われた瀟洒なドレスが放置されている。