思っていたよりも、時間が掛った。
　
　時間にして、数分。
　まず、二匹、猫型のエンブリオが、茫(ぼう)と立ち尽くす少年の眼の前で、勝手に倒れた。
　最後に、粘性質の生物に何度か棍を突き立てて居た青年が、仕舞いとばかりにそれを踏み潰す。
　全部、動かなくなった。それが、合図。

「……さ、お弁当にしようか？」

　何も起こらなかったとばかりに、呪術師は『友達』に振り返って、薄っぺらい笑みを顔に貼り付けた。


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「……ねぇ、『ルド』？　君、草とか食べるかい？」
「……確かに人間って雑食だから草食べれるし、俺人間だから食べれると思うけど、出来れば調理済みのが良いんだけどな」
　本当に、暫く進んだ場所で、『ピクニック』は始まった。
　手近な座れる所にランチマットを敷き、クローシェが嬉しそうに小奇麗に纏まったランチボックスを広げ始める。
　途次(みちすがら)拾った食べられそうな草をちらつかせながら首を傾げる。蒼髪の青年は、少年の口の中に手近なサンドイッチを放り込みながら、笑う。
　咀嚼と、嚥下。少年の細い喉が揺れる。
「……もう、一度にそんなに口に入れたら、喉につまるじゃないか」
「悪い悪い。……はい、飲み物」
「ルドさん大丈夫ですよ、大概の草はどうにかすれば生でもいけます。味とその後はさておきまして」
「……思い切り良いのな、クローシェ。味はともかくその後は何事も無い方が良いなぁ」
「調べるのも面倒で、食べた方が早かったので、つい。意外と、どうにかなりますよ？」
「……何を言っているんだい、ルド？　僕の友達は、必要に迫られたら土だって食べてたよ？」
　少年の一口は、小さい。
　兎か何かのようにサンドイッチを食む様子に、青年も、娘も、笑みを零す。長閑な、日差し。嗚呼、今日も『いい天気』だ。
「……うん、クロは料理が上手だね？」
「上手と言っても、切って挟んだだけですが……有難う御座います」
　話しながら、飲み物とサンドイッチは、全員に行き渡る。

「……いや、うん。必要なら土を喰うってのは、分かるけど。出来れば修羅には生きたくないなぁ……」
「土は、食べると修羅に生きることになるんですか……」
「うん、あの形相は、『修羅』と言っても過言では無かったね。土とか、光るスパゲッティとか……多分、僕はあれを食べたら死んでしまうと思う」
「……中々前衛的なものばかりを食べられてた方だったのですね……」
「……光るスパゲッティとか、俺も色んな所渡ってきたとは思ってるけど、初耳だぞ……？」
「僕も、一度しか見たこと無いけど、あの光るスパゲッティね、『動いてた』よ。うん、「命懸けだ」って言ってた」
「……ええと。待って下さい。まず、私スパゲッティは「動く」ものだという認識が無いんですけれど。そして「命がけ」というものだとも、思ってないんですが……」
「むしろどうしてそれを『食物』だと認識したんだよ……？　それでどうして命がけで喰おうとしたよ……？」
「……彼はね、妹思いの、いいやつだったよ。……妹の、手料理だもの。出された料理を、食べない訳には行かなかったんだ」


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　少年は、追憶する。
　彼の唯一と言ってもいい『親友』は、際限無くお人好しだった。

　ある日、彼等の仲間の料理人が、所用で暫く留守にする事になった。
　ぱっと、彼の妹の顔が明るくなった。反面、呪術師の親友の顔は、修羅と化していた。
「……これから、何が始まるんだい、アシュレイ？」
「……『食事(たたかい)』だよ、ソルト」
　繰り返す。呪術師の親友の顔は、修羅と化していた。
　彼は妹を溺愛している。妹の趣味は、『創作料理』である。
　彼は「みんなは下がっていてくれ」とナイフとフォークを構えながら、神妙な面持ちで席に着いた。

——最初に出てきたサラダが、尖っていた。

　比喩ではない。子供なら殺せそうなくらいに鋭利な、野菜なのか何なのか解らない素材が、皿から突き出していた。
　それを、彼は迷わず口に運んだ。
　周囲の仲間は戦慄していたが、呪術師は驚かなかった。
　彼は、妹の為なら、そのくらいはする。多分、ゴムで出来た蕎麦くらいなら躊躇い無く食うだろう。

——次に出てきたパスタが、薄緑色に発光していた。

　周囲の仲間はドン引きしていたが、呪術師は驚かなかった。
　呪術師自身に魔法の才能は無いが、物に光を灯す魔法なら、知っている。何かの拍子に作った料理がああなっても不思議ではない。

——良く見ると動いている。

　周囲の仲間は静かに青年の無事を祈り出したが、呪術師は驚かなかった。
　最初は、熱い料理の上に薄く削った干物を乗せると動いているように見えるあれだと思った。だが、明らかに麺の強度を凌駕して鎌首を擡(もた)げたパスタを見て、呪術師は『あれは料理ではない』と断定した。
「……アシュレイ？」
「……話し掛けないでくれ。ソルト、今、僕は『食事中』だ」
　何故か、呪術師の脳裏に、死んだもう一人の親友の姿が浮かんだ。この青年は、死のうとしているのではないかとすら思った。
「……久しぶりだな、『パスタ』……！！」
　呻くように絞り出した声は、恐らく呪術師の耳にしか届かなかっただろう。
　彼は『あれと既に戦った事がある』と理解した時、初めて呪術師は戦慄した。
　どっちかって言うと一度対面した経験があるにも関わらず、再び『あれ』に挑み、なおかつ『勝利』しようとしている親友の横顔に戦慄した。


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「……うん、クロの作る料理は、とっても、おいしいよ？」
　少なくとも、彼女の作ったサンドイッチは、料理である。
　呪術師は、薄っぺらい微笑みを浮かべて、『友達』の黄昏色の瞳を見詰める。
「……彼、言ってたよ。「唯一、妹が打ち込める趣味が、これなんだ」って。……本当に、彼女の料理が、クロくらい上手だったら、良かったのにねぇ」
　追憶は、遠い。正確には、少年は『思い出す』という事を必要としない。『忘れられない』のだ。あの後気が狂ったように胃薬を喉に流し込みながら、パスタを完食した親友の顔を、呪術師は忘れない。虫の息で血を吐きながら仲間の医者に心臓を叩かれていた親友の顔を、呪術師は忘れない。彼は、呪術師の居た世界では『英雄』だった。彼は、際限無くお人好しだった。
　視線を逸らした、先。人影。
　何気なく、と言った様子で、少年は立ち上がった。
　ふらりと、笑顔を貼り付けたまま。

「……やぁ、今日和。今日は、いい天気だね？」

　現れた、数名の兵士。恫喝めいた、警告の声が上がる。
　当然だ。彼等は、『一揆』の加担者。言うならば、『侵略者』なのだから。
　呪術師は、それに声を投げ掛ける。今日は、何だか懐かしい気分だから、出来るだけ、優しく。

　まるで、何かの台詞をそのまま読み上げたみたいな口調だった。

　薄い笑みを浮かべる顔に対するのは、文字通り作り物のようなおぼろげな笑顔。
　瞳を覗きこむ彼は、あるいはこの姿形でなく、『そのもの』を見ているのだろうか。

　彼が動いても、耳元でだれかが警告を発しても、私はそのまま。
　怖いものからは逃げるべきだという、本来下されるべき判断を、私は本能的に下さない。

彼の手に刻まれた文字を凝視する。

そうして恐々と手を差し出した。

　くるりと、棍を回す。軽く、まるで準備運動のようにして。

　楽しめそうだと、そう言わんばかりの好奇を浮かばせた。

笑顔のまま、少年は、

緩く、片手をひらひらと振った。

右目で、『それ』を視る。
それは、呪い。右目のもの、同質、いや、それ以上の、『塊』。
————まるで、この世の、全ての悪意。

どさり、少年の身体もまた、地に臥した。