お転婆娘たちがラルフという男と手合せを無事に終え、屋敷に戻ってきて暫くした後。私は一通り明日に備えた準備を終え、時間を持て余していた。部屋に籠るのも気が引けたので広間の様子を眺めていた。（顔を合わせて初めての日ともなれば、協調性が大切だ）ルクリやトーカなどの若い者たちはやはり元気が有り余っているのか、お喋りをやめる気配はない。
そんな中に颯爽と現れたのは、白衣を纏った女性だった。

「花屋敷、ってここで合ってるかしら？」

長い髪をかき上げ唐突にそう言い放った彼女は、広間を一瞥すると白衣の裾を翻し佐久呂の前へと歩み寄った。一見すると高圧的な態度だが、彼女の纏う雰囲気がそうさせない何かを感じさせる。髪や肌の色を見るに、ツグミと同じ東洋の出であると考えられる。
そんなことはどうでもいい。彼女の服装は限定された職業を物語る。
白衣。それが意味する職業は医者、教諭、さらに——科学者。
私の眉間には自然と皺が寄っていた。
「噂を聞きつけてやってきたんだけど、まだ席は空いてる？」
「噂……て、早速うちら有名になったんとちゃう？」
「多分、私たちが店先でひと悶着起こしたからだと思うのですが……」
佐久呂の言葉にカレンが呆れた口調で返す。確かに往来で騒ぎを起こせば名前は自然と有名になってしまうのも致し方ない。
席は空いているから断る理由もない、と歓迎ムードな一同に対し、私の心は次第にささくれ立っていた。決して彼女が悪いという話ではないことも分かっている。しかし、初見でこれ程までに敵意が芽生えてくるのは、予想される彼女の職業をもってこそだった。

少し私たちの話をしよう。
私とツグミが佐久呂に拾われるまで——この世界の表現に準えれば、分割世界のひとつに暮らしていた時の話だ。
その世界を占めていた人種は人間だった。その世界の特徴として、その中に稀に変わった人間が存在した。
物理法則を無視した能力を行使出来る人間。その者たちは「能力者」と呼ばれた。
私、そしてツグミも何の因果か能力が発現し、その括りの一つとして束ねられた。元居た世界では能力者というのはとかく生きづらく、その存在は蔑視の対象だった。あるいは畏怖、だったのかもしれない。とにかく古き良きものが好まれる社会であったが、それに倣うように新しく出現した能力者は蓋をされるように社会の隅に追いやられることとなる。

私の能力について触れるならば、敵と遭遇した際に使っているあの手品のようなものがそれだ。
一見玩具のようなものを爆発させているように見えるが、実際はもっとシンプルな現象だ。
簡単に言い表すならば、「穴を拡張させる」ことで対象を破壊する。その際に発生する衝撃派や、飛び散る破片で攻撃していることになる。私の持つ能力はこの「視認した穴を拡張させる」ところにある。
私が穴である、と思えるものならば大抵のものに応用は効くらしい。
勿論ツグミも能力を持っているが、これは皆の前ではまだ見せたことはない。

さて、私にしろツグミにしろ能力者にその能力が如何にして発現したのか。のみならず、私で例えるならば穴を拡張する仕組み、物理法則を無視した衝撃波——大抵の能力者が仕組みを全く理解しないまま感覚で使っていることもあり、現代科学で説明のつかない現象は増えていく一方だった。
それに目を輝かせていたのが私たちの世界の科学者だ。
能力者を収容し研究する施設を作り、国家を巻き込んで収容計画を立ち上げた行動力にはいっそ感服したものだ。
知っているだけでも何百といった能力者が収容されたと聞く。能力者同士が結託していたという訳ではないが、私は収容された報告を聞く度に身を削られるような恐怖を味わっていた。
その計画から、科学者から逃げる為に私たちは世界を逃げ出した。

つまり能力者にとって科学者とは敵の第一人者であり、良いイメージを抱くという方が無理なものだ。
私も例に漏れず、科学者が嫌いだった。

他の面々との自己紹介が終わったらしい（断る理由もない。彼女が屋敷の一員として迎えられるのはある意味当然だ）彼女がこちらに歩いてきた。私はツグミを自らの対面に座らせていたことに内心舌打ちをした。何かあった時に、大勢の前で冷静に立ち回る自信がない。
その女性——神彅真那霞は、私の顔を見るなりその口を開いた。
「貴方、交渉役って言われている割りには顔が怖いのね？」
眉間に寄せられた皺を指してのことだろうが、初対面で指摘されるとは考えていなかった。
「……これは失礼」
咳払いを一つすると、私は努めて平静を取り繕おうとした。
こういう時にツグミの無表情さを貼り付けることができたら、と思わずにはいられない。表情は相手の心情をくみ取るのに最も有効なものの一つだ。
答え如何によっては敵対関係もありうる質問を私は投げかけることにした。後々明らかになるよりも面倒が少なくて良い。さらに私はどちらかというと嫌なものは先に済ませるタイプでもある。

「一つ、聞きたいことがあるのだが。……君は、良い科学者か？　それとも悪い科学者なのか？」
「科学者に良い悪いは無いと思うのだけど？」
真那霞はほぼ即答に近い返答を返した。彼女は結論から先に言う傾向にあるらしい。理由を、と目線で伝えると、考えていたのかいなかったのか、目線を上にやった。んーっと、という間延びした声を出す間に言うべき事は纏まったらしい。
「科学者は、自分の好きなことについて探求したいだけだと思うわ。善悪の判断や倫理に振り回されるのは二の次」
あの計画の根底が探求心である、などと考えたくはない。
生きるものが自ら知識を蓄えようとする様を見ることが私は好きだった。身近な例で言えば、ルクリなどは村から出てきたばかりで初めてのものに目を輝かせている。少々無鉄砲で後先を考えない行動も見受けられるが、それが知らないものを知る為のものだとするならば、咎める必要があるだろうか。（少なくとも、カレンは肝を冷やしているようだが）
知識を得れば、それを使った生き方が出来る。
——あの計画を結びつけたくない。
私は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。真那霞はそんな私の状況を楽しんでいるようにも、興味を示していないようにも見える。

「私のいた世界には、そんな科学者は居なかった」
私は吐き捨てるようにそう言った。ツグミが視界に入る。恐らく話は聞いているのだろうが、やはりその顔は無表情のままだった。
真那霞は肩を竦め、お決まりの言葉を口にする。
「それはご愁傷様」
彼女は首から下げた装置を弄び（生憎、科学の方面に対する知識は備えていなかった）少し口を尖らせた。
「私も科学者は手段のひとつだと思っているから、一概にはそう言えないかもしれないけど」
聞けば教諭としての資格を所持しているらしい。さらに研究している内容についても少し知ることが出来た。
魔導医学、魔導物理学——と、耳にしない言葉が挙げられる中、生体物理学と言われた時には反応せざるを得なかった。
「先に言っておこう。……私はともかくツグミに手を出したら承知しない」
「ツグミ？　……この子のお名前かしら？　そういえばまだ貴方の口から名前を聞いていないのよねえ」
「人の話を聞いているのかい」
「話をする前に自己紹介して？」
彼女はやり手だ、と心の中で結論付けた。それと同時に、心のささくれが次第に収まっていくのを感じる。最初に感じた雰囲気と同じもので丸め込まれているような感覚に陥る。
「……ユーグ。ユーグ・グランジェと言う。こちらはツグミだ」
「綺麗ねえ、この子の顔」
「……自己紹介をしろと言ったのはそっちの筈なんだが」
ツグミの顔をつつきそうだったので顔で牽制する。
彼女の言動には毒気がない、と気づくのに、冷静な頭ではさほど時間はかからなかった。
しかしこのまま丸め込まれるのは非常に癪であったので、彼女を議場に引き戻す。
「……もう一つ聞こう。君は分別ある科学者かい」
真那霞は少し呆れた顔をしてこちらに向き直った。

「……意外と頑固なのね」


＊＊＊＊＊


「ツグミ。慣れない土地で疲れただろう。今日は早くお休み」
「……………………おやすみなさい」

まどろみが訪れるまでの時間、私はツグミの事を考える。
花屋敷は東洋の技術に乗っ取って作られた屋敷だ。ある程度慣れたとはいえ、畳張りの部屋のみではどうも過ごしにくい。百日紅に許可を貰って、宛がわれた部屋（二部屋が襖で繋がっている）のうちひとつを板張りに張り替えて貰った。そこにベッドを置き、寝室としている。
ツグミは寝ろ、と命令されれば寝る。逆に言えば言われるまで眠ることはない。寝つきはとても良く、五分もたたぬうちに眠りの世界に落ちてゆく。眠りに落ちる間何を考えているのか、夢は見るのか、だとしたらどんな内容なのか——……私が知らないことはいくらでもある。
初めて私たちを見る者に、ツグミが如何様に映るのか想像に難くない。
ツグミは問いかけることでしか反応を返さない。行動においても自分から何かをすることはない。
傍から見れば奇異に映ることだろう。何もしなければそのまま衰弱して倒れてしまう——まるで鳥籠の中に住まう鳥だ。
誰かの手によって生活を支えて貰わねば生きていけない儚い存在。
その存在を支えることは、私にとって全く苦ではなかった。むしろ今となっては私の行動原理の全てがツグミにある、と言ってもいい。
害を与えるものは全て消す。至ってシンプルで簡単な話だ。

ふ、と意識が途切れそうになるのを感じ、私は寝るという決断を下す。慣れない土地で疲れているのは私も同じらしい。
しかし鳥籠の中に住まう鳥、とは我ながら詩的すぎる。
それに、昔の記憶が呼び起されそうな気がして、私はそこで考えることをやめた。
寝床に入れば静かに眠っているツグミが居る。私はそっとツグミの口許に手をやり、吐息を確かめた。
——生きている。当たり前のことだったが、私はそれが何にも代えがたいものだった。
徐々に意識が眠りに誘われるのを感じる。
意識が闇に溶ける瞬間、私はこうも思った。

ツグミが鳥と違う点と言えば、自らの意思で鳴く——話すことが無いことか。


＊＊＊＊＊


私はこうして、毎日のようにツグミが寝たことを確認し寝床に入る。
——朝を告げるのも私の役目だ。

兵士は聞く耳をもっていなそうだ！

ユーグはいつも以上にツグミの手を固く握っている

倒れる兵士には見向きもせず、歩き始めた