あのあと。

　王城の庭園そば、手じかな場所に腰を下ろして、収穫物を使って料理を始める。
　実際には料理というほどのものじゃない。川の水でよく洗った梅の花と赤しその水分を切り、小さな袋に入れて申しわけ程度に塩を入れて、最後に重しの石を入れる。それだけのただただシンプルなものだ。
「酢があれば鮮やかになろうにの」
「そんな金ない」
　あのラルフという男がパワーストーンをいくばくかでも持っていれば酢の小瓶位は買えたかもしれない。けど、ボク自身はパワーストーンを持ってないしラルフもルリアンナもネクターはくれたけどパワーストーンはくれなかった。そんなぜいたく品なんて買える余裕はないし手の届くものじゃない。
「かわいいね——」
「浅漬けなら多分、少ししたら食べられる」
　きれいかは別だけどね。
　そんなことを言いながら、ユノに“名前”のこととこれからのことのくぎを刺す。

　ソア＝ムジョルニア。
　それがボクがヘイムさんにつけて貰った、ボクの名前。
　生身のにんげんだったころに、ヘイムさんから呼ばれてた、それはボクだと指し示す、ボクの名前。

　ボクには名前がない。
　農奴として地主さまの言うとおりに水を汲み、畑を耕し、草を抜き、畑をまもっていたそのころには、そんなたいそうなものはなかった。
　おい、とか、おまえ、とか、コイツ、とか、そんな呼ばれ方でこと足りてたし、ボクもそのことに疑問とか思ったことはなかった。
　ユノの言うとおり“ボクである”ということをねねやにーにに知られたくない、それだけならば別に、仮面をつけているのだから言葉をほとんど話さなければ万が一にも知られることはない——と、おもう。
　そもそもそこまで正体を隠す必要かあるのか？　とは、ルベウスに言われた、けど。
　でも一揆に参加するということは、いまのおうさまにケンカを売るってことだし、ねねやにーにによけいな迷惑がかかるのは極力減らしたほうがいい——と、おもう。

　ボクは間違っても、ゆーめーじん、なわけじゃない。
　けどねねやにーにたちには“ボクは死んだ”ことになっている。……というのも、この王城に来る前によって様子をそっと見たときに、知ったことではあったのだ、けど。

　それはそうだとおもう。

　冬山に水を汲みにいって１週間もゆくえ知れずなら、死んだと思ってふつーだろうし、にーにやねねだけじゃなくちびたちもいるのだから、そこまで地主様にとってはボクにこだわる必要もないだろう。

　ボクの家族にとってはどうだったろうか？

　それも考えたけど、もしボクならば「そんなもんだ」とあきらめるというか受け入れるし受け入れてきたことを考えたら、仕事がつらくなる程度でいつも通りな気が、した。
　それでもそっと気づかれないようみんなの様子を見にいったときには、ボクがいなくなった分いそがしそうにたいへんそうにはしていたボクの家族が、でもさみしそうな感じがぜんぜんしてなかったのには、少しココロがぽっかりと空いたような、そんな感じがした。

　もっとも、いまのブリキのからだは、文字通りぽっかりと、あいているわけだけど……。

　胸のところにあるちいさなブリキの扉、それに鍵をかけている金色の錠にそっと手をふれる。
　なんともなくそうしているとユノが察してきたのか、ユノから心配そうなカンカクがゆらっとこちらへと伝わってきた。
「——じゃあ、どう、呼ぶ——……？」
「そうだな……どうしよっか……なあ……“ソウ”で、いっか、な」
　たしか、のこ、とか、ジチテキナムラソシキ？　とか、そんな意味だった気が、する。
「簡単だね——」
「あたま、良くないからね、ボク、は」
　わるかったな。
　その通りだよ。意味とかむずかしいこと考えてないよ、ソアを１文字変えただけでーすよ—だ。
　仮面の下でぷんむくれれば、ユノがくすりと小さく笑う。
「わかった——じゃあ、よろしく、ソウ——」
「よろしく」
　名前のことをくぎさして、話さないこともあらためて伝える。
　浅漬けを渡しながら、よけいなことはしゃべらないでとあらためてくぎをユノに刺す。
　もっとも、山小屋を出てからこっちず〜と、特にあの２人組を見てからどーみてもはしゃいでいるユノが余計なことを言わないかはものすごーくしんぱい、なのだ、けど、でもかわりに話してもらうのだから、そうもいってられないわけで……。

　な〜んてぼやぼやおもってたら。
「おー、ソウが一番乗りだったか、やっぱりソウは早いな！　マシェもサヤも何もなかったな！」
　いきなり後ろから、きいたこともない大声がそこらじゅうにひびきわたった。


「マシェとほぼ一緒にこっちに来れたぞ、千巌は途中でちょっとだけ道に迷ったけど、一人でもなんとかなるんだな！」
　とにかく病気なんて言うものは影も形もありません、そうはっきりわかるくらいに元気な声。
　なつかしい、ていうほどじゃないけれど、とにかくなつかしい田畑と山の匂いがふわふわする。
　ぼろの布をまとう割には似つかわしくないきれいな槍とシルクハットを手に持った、下半身が一本の木でできた義体——と思う——の、おんなのこ。それが声の主だった。
「……む、本当だぞ、ちょっとだけだぞ迷ったのは！　しばらくは大人しくないといけないんだろ？　面倒だがしょうがないな。
　千巌はいきなり戦ってもいいけどな、あのラルフっておっさんみたいに！」
　マシェとサヤ、はよくわからないけれど、多分……チワヤ、ていうのがコイツの名前なの、か……？　でも、ボクがついさっきユノにくぎ刺したときにいった名前をボクに対していったってことは、ついさっきの会話聞かれてたって、ことだ、よな……どこから……？
　みょんみょんと飛び跳ねながら威勢よくまくしたてるソイツの声を耳から耳へと抜けさせながら、ぼやっとそんなことを考える。
「あいつ、すごい体力だな、千巌ももう３回くらい混ざって戦いたいぞ！！」
　それにしても元気だ、ラルフのことは絶対言えないとおもうくらいに元気だ。
　すんごくブリキのからだにひびく……。
「……ん？　なんだ、ソウ、黙ってしまって。動かないともったいないぞ！！」
　ソウハイワレマシテモ。
　てかルギウスもそうだったけどこんなんばっかかメルンテーゼ。
「あなた、ソウの事、知ってる、の——？」
　だまって見上げているボクの代わりに、ユノがそれっぽい質問をソイツに投げる。
「いいや知らないぞ！　ついさっき知ったぞ！！　話し声が聞こえてきたからな！！！
　だが名前は知ってるぞ！　おまえがユノで、ソウがソウっていうんだろ？」
　ヤッパリキイテタカ。
「どこから——？」
「ソウがおまえになんか渡してただろ！　そこらへんからだ！！
　ソウもしゃべられるんだろ？　なんでしゃべらないんだ？　さっき話してたんだししゃべられないわけじゃないんだろ？
　せっかくしゃべられるんだ、しゃべったほうが楽しいぞ！！」
　これ、うるさい。
「ソウは、からだがそんなによくないし、あんまり話すのもとくいじゃない、から——」
「そうか、ブリキのからだって大変なんだな！
　千巌もかかし１００％だったころはしゃべられなかったし動けなかったからな、何となく気持ちがわかるぞ。
　だったら無理はしたらいけないな、気が向いたら話してくれ！！」
　かかし、１００、ぱーせんと……？
「……。
　ねえ、エンブリオのにおいがするかかしさん。あなたは、どちら、の、ひと——？」
「千巌か？　千巌は千巌っていうんだぞ！　気軽に千巌って呼んでいいからな！！
　一揆にソウもおまえも参加するんだろ？　そういう連中で千巌を怖がらなかった奴は２人目だぞ！！」
「さっきの、マシェとかサヤっていうの、は——？」
「マシェならそこの木の影でふるえてるぞ！」
　びっと千巌が親ゆびを差したほうを見てみる。と、白い猫みたいなのがガタガタ震えながらこちらを窺っていた。
　……何してるんだ、アイツ……。
「サヤはあそこだ、そろそろラルフと戦うんじゃないかな！」
　人さし指が指した先には、見たことのない黒服を着た、きれいな鴉の濡れ羽色。
　長い髪のきれいな女がすっと手を動かしたと思ったら、次の瞬間どこからともなく手のうちに現れる、身丈ほどもある規格外の大きな草刈り鎌。彼女がそれを握りしめて構えたと思ったら、次の瞬間にはラルフの目の前へパッと——文字通りパッと消えて飛んで現れていて、その首にサイズの刃を掛けて引いていた。
「２人ともここに来る前迷子になってたみたいだぞ、どこ行けばいいかふしぎにしてた！
　マシェは千巌のすぐ後にラルフと戦ってたからな、終わったときに声を掛けたら飛び上がったぞ！」
　さっきみたいなこの大声でいきなり声かけられたら驚くよ、なあ……。
「けど、いっしょに行こうって言ったらついてきた！」
　ヨクツイテキマシタネ。
「ルリアンナってやつも誰かと一緒に進んだ方がいいって言ってたぞ！
　ソウも一緒に行かないか？　からだがよくないなら千巌が守ってやるぞ、ソウを襲ってこようとする変な連中の前に立ってやるぞ！」
　基本的には、いいやつ、なのか、な……。
「それにひとりでいるより一緒にいった方が楽しいぞ、いっぱいいっぱい戦えるしな！！」
　でも戦うのがだいすきっこみたいだ。
「ねえ、ソウ。どうする——？」
　実際、誰かと一緒に行くあてもない。なら、そんなワルイヤツじゃないみたいだし、一緒してもいいんじゃない、かな……？
　そんなことを思いながら、ユノのコトバと彼女の誘いに、ボクは首を縦に振った。


　見たこともない色とりどりの草花が咲き乱れる王城庭園。きれいで澄んだ空気には、２人の声が良く響く。
「みんな無事だな、てっきりマシェは参加せずに隠れてついてくるのかとちょっとだけ思ったぞ」
「……ぇぅ……」
　元気で大きなはっきり声と、びくびく小さなふるえ声。
　先頭で元気いっぱいにぴょんぴょんはねている“かかしにんげん”という千巌と、最後方でびくびく小さな道具（銃というらしい）をもっておっかなびっくりついてきている“ほわいとらいおん”というマシェ。
　黒い服を着た“じょしこーせー”というサヤとボクの合間をはさみ、ふたりは終始しゃべりながらこの広庭を歩いている。
「あのラ……ラなんとかは、殴り足りなかったからな、千巌、今日はいっぱい暴れていいんだよな？」
「やっぱり、やるにょね……あんまり、期待しにゃいでね……」
　だまっているボクとサヤを挟んで２人はこんな調子でやりあいながら、ボクたちはてくてく庭園を歩いている。
　ボクは単純に振られてもボクからは返さないけれど、サヤは振られるとちゃんと返す。ただ積極的には会話には入ってはいない。風景を眺めてほうっとため息をついたり、遠くの空を見ていたり。ただ特別でもなんでもないそんな動き１つ１つも、どことなくきれいでサマになる、そんなふしぎな女の子だった。

　ただサヤは、戦いのときはふしぎを通り越した……なんていうか、おどろき？　の子だった。

　千巌は前に立って槍を振り回しながらおたけびをあげて引き付けて、猫やどろどろを刺し薙いでいる。
　マシェは後ろの方で逃げ腰だけど、それでも銃を構えてエンブリオと共に弾いている。
　ここまではボクでもちゃんとわかる、なんとか。

　でもサヤはちがう。
　今マシェと千巌の間にいたと思ったら、次の瞬間には大鎌を手に握った状態でねこの真後ろにいてその首を刎ねていた……と思ったら今度は刎ねた首だけがその場に残ってて、刎ねた本人はお空のほうにいて。で、次の瞬間にはもうそこにはいないで、遠くの方で水の跳ねる音が聞こえてて、見ればそこにいたはずのアメーバがその場でサヤの鎌の滴になってる、とか、して、て……。

　……。

　しかもこれ、エンブリオの力を借りたモノじゃなくてサヤ自身の力らしい。
　でもこんな、ボクにはわかるを全力で通り越してる力を持ってても、このメルンテーゼにいきなり飛ばされて“まいご”になって、おうちに帰れず帰り方を探しているって状態、らしい。

　わかるを山いくつも通り越してると、いろんなことを感じられなくなるらしい。
　もっと何かを感じてもいいはずだろうけれど、そっかとしか思えなかった。

　いつの間にかにボクの帽子の中に転がり込んだ、小さなお客にも気づかなかったし驚かない。
　そこまで“わかる”を全力で、通り越していたようだった。

シャリン——、シャリン——
　どこからともなく音がする。

　　　シャリン——、シャリン——
　　　　それは、だんだん近づいてきている、そんな気がする。