妖精界や数多の世界への扉どころか、近隣の他の街のことさえ全く関係なかった幼少期。
　隣村のことですら、時折訪れる行商人や滅多にいない旅人が大人に話すのを端聞く程度。
　シルヴェスタという小さな村だけが自分の世界であることに微妙な違和感を覚えだした頃、あたしは彼と出会い契約を交わした。



　
　シルヴェスタでは子供たちが10を迎えると同時に、最初のエンブリオとの契約を行う風習がある。
　当然エンブリオがそれを認めなければ契約が交わされることはないが、
　あたしの知る限りではそれが成立しなかった事例というのは一例も……いや、一例を除いてない。

　その一例っていうのは同年代の子の話だが、彼の名誉のため伏せておくことにする。
　もっとも、彼はその後なんとか別のエンブリオと契約してるので体裁は保たれたみたいだけど。


　王が交代する以前、エンブリオとの契約に必要なネクターの咲く近隣の谷は、村の大人たちによって管理されてはいたものの、
　誰もが手に入れようと思えば手に入れることができるものだった。
　あたしが知っているのは村を発つまでのことだけど、恐らくは新王が独占を始めるまではその状態であっただろう。

　エンブリオの存在は、メルンテーゼという世界の常識であり、身近な日常のことだ。
　現に契約していなくとも、人々は多くのエンブリオたちと日常的に接してきている。それは子供であったあたし達も変わりがない。
　むしろ、多感な子供の時期のほうがより多くのエンブリオと触れ合っていたのではないだろうか。

　だけど、自分と心を交わし契約する新たなエンブリオは、あたしの日常にほんの少しの変化を与えた。
　

　それ以来、ファズとあたしは常に傍にいた。
　数年間で色々なことがあったけれど、その全ての経験を共にしてきたとも言える。
　ファズはあたしの行動に対して何か口を出したりすることは決してなく、自分から話しかけてくることも殆どない。
　それでもあたしの決断の要所で、背中を押してもらった、とは思っている。

　メルンテーゼを一度去ると決めたそのときもそうだった。

　代わる代わるに説明された内容によれば、彼女ら妖精たちは女王の命により『運命の星』と彼らが呼ぶ、力を持つ人間たちを集めているらしい。そして彼らの力をもって、あらゆる世界を飲み込もうとする"闇"という力を封印することを目的としている。
　その勇者サマたちを集めるためにあたしが持つという"ゲートキーパー"の力を使うということだ。そしてその力の行使には、あたしをここまで連れてきたレーヴェという子が必要である、と。

　あたしは隣を飛行する小さなレーヴェをじっと見返す。

　先頭をゆく炎の羽の妖精がさらりと暴露をし、続くゴーグルをつけた妖精がそれに慌ててフォローを入れてこちらに笑いかけてくる。顔を真っ赤にした虹色の羽の子を落ち着いて、と宥める様子を見ると、彼女はおそらく苦労性だ。自分が知った相手に、よく似た性格。思わずその様子に、くすりと微笑んだ。

　虹色の妖精はどうやらからかいがいはありそうだ。そっと心にメモをして、ぱたぱたと手を振ってあげた。また相手が言葉を返してこようとしたとき、炎の妖精がぴたり、と宙で動きを止める。

　兵士が一揆勢の行く手を阻む。
　広庭へと入ってから、初めての統率された妨害だった。
　妖精レーヴェが眉を顰める。

　王国正規軍。
　王が変わる以前。一度メルンテーゼを離れる前に、彼女はそれを村で見たことがあった。

　軽口を叩きながらも目を細めて一団を眺めた女は、傍らの、先日より行動を共にした一揆の「仲間」へと視線を流した。

　レーヴェと共にやや後ろへと後退しながら、アレックスは彼女のエンブリオを召び出す。
　求めに応じてゆらりと姿を現した少年姿は、２人の前へと無言で動いた。

そう言って、妖精は興味深そうに近づいてくる。

　クロエは向けられた視線に気づき、そちらに目を向けた。

暫し思案顔を浮かべる…。