幾度も目にする光景。
　あの角を曲がった先に、魔術商会と書かれた看板の建物がある。
　モノクルを付けたローブの老婆は、店に入ると迷うこと無くアンティーク調の鏡の前に立った。

「その鏡に興味がおありですか？」

　声の主は、振り返らなくても老婆には分かっている。
　紫の髪に紫の目の女性、魔術商会の店長ノウァの艶やかな声。
　
「ええ、異送鏡に。鏡に映った者の、思い描く場所へ行くことができる転送の門に用事があるの。」

　振り返らずに答える老婆に、ノウァは思わずきょとりとしてしまった。

「あの……あなたは何処でこの鏡の事を知ったのですか？」
「ふふ、全く同じ応えね。そして私はこう答えるわ……此処であなたに教えてもらったのよ。」

　振り返った老婆は、思いつめた表情でノウァの方へとつかつかと歩み寄った。

「え？どこかでお会いしましたでしょうか？私にはちょっと覚えがないのですけど。」

　訝しげな表情で見つめるノウァに、老婆は苦笑いをして頷いた。
　
「ええ、そうでしょうね。此処とは違う世界の同じ時間と同じ場所で、ノウァに教えてもらったのだから。」

　老婆の言葉に、やっと意味を察したノウァは興味深そうに彼女を覗きこんだ。

「つまり、あなたは……異送鏡で時を遡った事があるのですか？」

　ノウァの質問に、老婆はやや怒気を孕んだ目で彼女を睨めつけたが、ため息を吐くと首を横に振ってまた苦笑いをした。

「もうこのやり取りは何度目でしょうね。怒りに任せてここでノウァを刺した事もあったわ。今はもうその気力も若さも無くなってしまったけど。」
「あの、一方的な話ばかりで内容は深く察せませんが、何かを変えようとして失敗したという事でしょうか？でも、それなら諦めて他の手段を考えるとか……」

　ノウァの言葉に、また老婆は首を横に振ってため息を吐いた。

「何をしても何かを変えたつもりでも、結果は何も変わらなかった。張り詰めた糸を爪弾いても、ただ目先の物事が振れて変わったように見えるだけで、同じ結果へと辿り着く。それに気づくのに私は遅すぎたのね。同い年だった親友も、最後には私が誰なのか気づいてもくれなくなったわ。」

　老婆は、今までの思い出を噛み締めるように目を細めた。

「もっと遡れば或いは……でも、駄目ね。きっと災厄の火種は遥か昔にあるのよ。でも、私は時の海に地図もコンパスも持たずに旅立ってしまった。助けたい親友も助けられずに、またこの場所に独りでやってきた。そして、結局異送鏡を使うの。今までしてきたことが無駄じゃないって自分に言い聞かせるために。」

　肩を落とす老婆に、ノウァは宥めるように背中を優しくさすった。
　この老婆が、何度も異送鏡を用いて過去に遡ったのかは分からないが、彼女から発せられる不幸のの匂いは、ノウァにとって極上の逸品だった。
　簡単に過去が変わるのならば、誰だって同じ手段を考え、それを行使して都合のいいように未来を変えようとするだろう。
　変わった未来もあるのかもしれないが、それは目先の変化でしか無く老婆が言ったように、張り詰めた糸の端のように、人が足掻いて爪弾いとところで同じ結果へと収束するのだ。

「あなたが親友を助けたいって思った気持ちだけは嘘ではないから、また旅立たれるのですのね。」
「ええ、そうね。ありがとう。私も今頃になって、地図とコンパスの代わりになる術を見つけることが出来たわ。私には出来なくても、残りの時間で未来を変える特異点を見つけることはできるかもしれない。」

　モノクルの老婆は微笑んでノウァから離れると、確りとした足取りで鏡の前に立った。

「対価は、いらないのよね。もう貰っているって言うんでしょう？」
「ふふ、やりにくいですね。ええ、どうか良い旅路を。」

　ノウァは目を細めて老婆に手を振った。

「旅立つ前に、せめてお名前を教えて下さいますか。次にあなたが会う私は覚えては居ないとは思いますが。」

　ノウァの言葉に、老婆は苦笑いしつつも頷いた。

「私の名前はウルド。ノウァ、私はもうあなたを恨んだりはしていないわ。自分の運命を切り開く手段と、親友を助ける機会を貰ったのだから。」

　そう告げて鏡の中へと溶けこむ老婆の姿を何時までも見送っていた。

第1回更新後。
案内であの大柄な男の居る場所には間に合ったようだ。

凄い食べたそうな眼をしている。

といって、エンブリオの悪魔をひょいっと持ち上げる仕草をする。

そう言うとおどけた様子で額をぺちりと叩く。小気味のいい音が響いた。