「おーなーかーがーすーきーまーしーたぁー…」

へろへろと力の抜ける声を聞き付けて、ヒナと福莉との別れを切り上げる形でそちらへ向かった。
無償で人助け…なんて言う雰囲気ではなかったが、だからこそその別れ難さを振り切るための口実には丁度よかっただろう。
なるべく二人のことを今は思い浮かべないようにして声がした方へと足を進める。

少し行くと、いかにも「行き倒れました」という格好で誰かが地面に伏していた。
垂れた動物の耳に、人間の姿格好。
近くで見ると、どうやら獣人の…少年が地面に伏せっていた。

…レイラのこともあって多少性別の見分けに自信がなくなっていたが、べちゃっと地面にはりついているその姿は、少女とは言い難い。
特に、先ほど二人と別れたばかりでは。

「おい、大丈夫か？」
その肩を軽く揺すると
「おーなーかーがーすーきーまーしーたぁー…」
と少年は繰り返す。
くてぇーと地面に伸びたままだったが、呼吸はしているし見る限り極度の飢餓状態でもない。
「腹が減ったって…。食い物は何持ってたかな」
決して多くはない荷物を漁ろうとすると、はしっ、と袖を掴まれる。
それからふるふると首を振ると、彼はぼそぼそと話し始めた。
「ネクターがー…足りないんですー…王さまがー…独占禁止法…」


…何を言っているのかさっぱり分からない。


「ネクター…赤い花びら〜……」
何を言っているのかはわからないが、へろへろと力ない声で訴え続けられるとさすがに弱い。
傭兵とて人の子だ（ダークエルフだけど）、ここで見捨てるほど非情ではない。
「ねくたーがないと、ぼくもほかのえんぶりおとおなじでー…」
少年はのろのろと体を起こしてちょこんとそこに正座する。
そのまま力なく何か言っているが、この世界の予備知識がない俺はさっぱり要領を得ない。

「…見たところ、お兄さんは、まだ一揆の手助けするエンブリオを見つけてないんですかぁー…？」


一揆？　エンブリオ？


…何かそんなことを、行きの馬車の中でヒナたちが話していた気がする。
これ以上関わるのは下策だと本能的に察知して「あぁ別に心配いらないです」と踵を返してしまいたかったが、少年の手は未だに俺の服の袖をはっしと掴んだままだ。
別にさほど力を入れて握られているわけではないのだが、『絶対逃がさない』と言わんばかりに…。
というとそこらによくある怖い話のようだが、実際違う意味で背筋は冷えていた。

嫌な予感しかしない。

そんな俺の様子を見透かしているのか否か、…いや、単にフリーズしてしまった俺に気づいただけだろうが、少年はよいせっと体を起こし、そこにちょこんと正座した。

「えっとですねー…」


そして、少年はこの世界、メルンテーゼで起きていることをかいつまんで説明してくれた。


「…というわけで、王さまが独裁しようとしてるせいで、ここに棲んでいる人たちも、僕達エンブリオもとーーーー…っても困ってるんです」

…この時点で、あぁそう、それじゃ、と別れを告げてその場をさりたかった。いや去るべきだった。
どう聞いても面倒ごとに巻き込まれる前ふりだ。

「…で、ですね」

…来た、と思った。

「…と、いうわけで、ネクターが足りなくてー…そのネクターを少しだけ分けてくれる団体があるんです。その人たちが一揆をとりまとめてるんですが…」
「断る」
「まだ何も言ってませんよ？」
「嫌な予感しかしない」

えー、と唇を尖らせて拗ねたような顔を見せる少年からは、先ほどまでの死にそうな様子は見受けられない。
やられた、と思いつつ、それでも若干顔色が悪いのは気になった。

「お兄さんは拾った動物を見捨てる人非人なんですかー！」
「人聞きの悪い言い方をすんな！
　…ていうか、それだけ元気なら自力で動けるだろうし、さっさとその団体とやらに乗り込んで、ネクターでもなんでも分けて貰えよ」
はねつける、とまでは行かないが拒否の意を伝えると、悄然とうなだれた。
垂れた耳が更に垂れたように見える。
「…僕ひとりで行ってもダメなんです」
「？　なんでだ？」
「僕は、エンブリオなので。僕一人で行ってもそこでネクターは分けてもらえないのです」

彼は自分を『アニマのエンブリオ』と説明していた。
どうやらエンブリオ単体ではそのネクターというのは効果を発揮しないらしい。

「…で、お前がネクターを分けてもらうために俺は何をすればいいわけ？」

諦めたようにため息をついた俺に、彼はぱっと顔を輝かせた。
…感情表現豊かで非常にわかりやすく、まだ子供っぽいなぁと内心ため息をつく。
拾った動物、と例えられたが、こいつはしっかり人型をしているのだ、ここで空腹を満たしてやれば後は自分でやっていけるはずだ。
それに、野良ならともかく、野生動物ならば力を取り戻した後はそう生きていくべきだ。
そんな甘さと厳しさを自分の中で並べ立てていた俺にかけられた言葉は。

「その団体へ行って、オッサンを倒して欲しいのです」
「…は？」
「ですから、とあるオッサンを一緒にボコして欲しいのです」

いや、それは『もらいに行く』のではなく『奪いに行く』のではないだろうか。

眉をひそめた俺に、彼はにこぉっと笑って手を横に振った。
「何か勘違いしてますねー？　えっと、そこには試験官みたいなオッサンがいてですね。そのオッサンを倒す実力がないとネクターを受けとる資格がないのです」

ただでさえ品薄ですから、そこらへんの弱いエンブリオにネクターは渡せないということですよ、と少年はため息をついた。
ため息をつきたいのはこっちだ。

「で、お前の力を発揮するには、お前ひとりじゃなくて人間…エンブリオ以外と一緒じゃないとダメってことか」
「そのとーりです。なかなか飲み込みがよいですね、お兄さん」
「……」

あぁ、さっさとそのオッサンをボコして帰りたい。
さっき二人と別れたときの感傷はどこへやら、俺の気持ちはもう解放してくれという気分でいっぱいだった。

げんなりとしている俺を尻目に、少年はひょいと立ち上がる。
先ほどまで空腹で死にそうだと訴えていたとは思えない。

「それじゃ行きますよ！」
「いや、ちょっ」

手を引かれて抵抗としようとした俺を、ちょっと見上げると、すぅっと息を吸い込んで…


「おーなーかーがーへーりーまーしーたぁぁぁぁああ！！！」

…そうきたか…。
「…わかったやる、やればいんだろ、やれば！」
「そうと決まったら善は急げです！」

ねくたー、ねくたー、と鼻歌にあわせてるんるんと尻尾を振りながら…この尻尾と耳を見ただけだと獣人にしか見えない…俺の袖を引っ張って歩き出す。

大きく嘆息しかけた俺をはたと振り返って、彼はにっこり笑った。

「僕はアニマのエンブリオ、ナユっていいます。お兄さんの名前はなんですかぁ？」

…まぁ、エンブリオにはエンブリオの事情があって、俺たちみたいに食欲的な空腹とは別なのかもしれない。
そんな風に気持ちを改めて、俺は自分の名前を名乗り返した。





そして、ナユがしっかりと要所要所ぼかして俺をこの一揆とやらに完全に巻き込んでくれたと知るのは、オッサンをボコって『僕と契約して一揆参加者になってよ！』の契約を結んでしまった後だったのである。





そして、俺は。

何故か『またしても』この世界で鉢合わせて、最早こいつが疫病神なのではと思う程のつきあいになってきたおなじみ唐揚げの材料ユーグレ・A・ルビースカイ。

両目を縫い合わせた上に片目を隠していて、それだけなら薄幸に見えるのに、やたらテンションが高いというか変人というか変態なエルフ「擬き」のレント＝セルハイン。（この名前で『お前もか！』と言いたくなったが、今は省く）
本人は無口で表情に乏しく、連れのアニマは鳥型ばかり。そのアニマは歌い通しでたまに本人の代弁をしているが、その内容如何では自分のアニマを杖でぶん殴るという実力行使に出る悪魔の幼女シルズグレー。

この四人+αで旅をしていくのかと思うと、頭が痛いことこの上ない。
さっそくサンドバッグ代わりにユーグレを殴っていいだろうかとその後頭部を眺めながら、『魔王パラダイス討伐への道』とやらの第一歩を踏み出した。