「アリシアが居なくなった時は、どうしようかと思った」

独り言のように、そう呟いたのは、ルカだ。
いつもへらへらと笑ってばかりいるコイツが、ぽつりと、感情の籠らない声で。
何かが、とてつもなく妙だった。
違和感、というやつだろうか。

「エティエンヌだっけ、“ウサギ”」
「……ウサギじゃなく、エンブリオだけどな」
「それそれ、エンブリオ」

アリシアの追い掛けていた“ウサギ”は、“エンブリオ”と呼ばれる存在らしい。
この世界に住む人間達はエンブリオと契約し、共に暮らしている。
その為に必要なのが、先日、分け与えられた赤い花だ。
“ネクター”と呼ばれる赤い花は、この世界にしか存在しないらしい。
その花を、この世界を統べる王が独占しようとしているのだそうだ。
だから人々は一揆を起こし、立ち向かい、抗おうとしている。
自分達は、その大きな奔流に飲まれたのだ。
この世界に迷い込んだ時点で、恐らく、こうなることは決まっていた。

「……ルカ、」

個別に部屋を分け与えてもらった筈が、ルカは俺の部屋から動こうとしなかった。
窓の外を眺める表情は、よく見えないし、呼び掛けても、すぐには振り返らなかった。

「……お前も、契約したのか？」
「うん？」
「此間ラルフって奴と腕試ししただろ。 お前、エンブリオと、いつ契約したんだ」

剣から放たれていた、相手の動きを封じるような、あの炎は、恐らくエンブリオの力だ。
そもそも、剣なんて握ったこともなかった筈が、思っていたよりずっと上手く、ルカは立ち回れていた。
元々、器用な方だ。 それでも、自分より大柄で、屈強そうな大男相手に、勝って見せた。
此方を振り返ったルカが、不思議そうな顔をして、頭を掻く。

「えっと、……オレの夢にさ、ウサギが出てきたんだよ」
「……はあ？」
「野宿したろ。 あの時に見た夢にさ、青いウサギが出てきて、……多分、その時」
「……お前、エンブリオと夢の中で契約したって言うのか？」

うん、と、頷いて見せる。
意味が分からなかった。
アリシアの“ウサギ”と言い、ルカの“ウサギ”と言い、頭が上手く、ついていかない。

「そのウサギが喋るんだ。 オレ、青白い森の中に居てさ」


＊

＊

＊


気が付いたら、アリシアも、シズも居なかった。
一緒に眠った筈なのに、元々居なかったみたいに自分は一人で、目が覚めたら森の中に居た。
森と言えば緑色で、だけどその森は、くすんだ青と、眩しいくらいの白色が混ざった変な森だった。
白い木の幹、青い葉っぱ、白い花、空に浮かんでいる月まで青かった。
夢を見ているんだって、その時は分からなくて、ただ、一人は嫌だったから、アリシア達を探すことにした。

あちこち歩き回って、同じような景色をぐるぐる見ているような気になって、一人で迷子になったみたいな気分だった。

こわかった。

三人一緒だと思っていたのに、いつの間にか一人で、いくら呼んだって返事は無い。
ただ、風が吹いたわけでもないのに、ざあざあと音を立てて自分の声に応えるみたいに、木々が揺れる。

森の中に湖があった。
湖と言うには小さいのかも知れない。だけど、泉とか池と言うには、大き過ぎる気もした。
橋とかは架かっていなかった。し、湖面は、青と白が混ざって、きらきらしていた。
底が見えるような、見えないような、けれど、水底は黒っぽい青色をしていて、多分、底まで見えないんだろう。

きれいだった。

だけど、水って自分の顔が映って見える筈なのに、何も見えなかった。
気になって、湖面に触れてみようとして、

「ルカ」

呼ぶ声がしたんだ。
手が止まった。
知らない声だった。でも、聞いたことがある気がして、何だか懐かしい気もして、気持ちが悪い。

「ルカ、ねえ、こっちだよ」

顔を上げると、青と白が混ざって、きらきらした湖面の上に、ウサギが居た。
波紋も立てずに、ウサギが、湖面の上から名前を呼んだ。

「ねえ、ルカ。 ここは、きみの夢の中だ」

くすんだ青色のウサギだった。

「この森を抜けると、何があると思う？」

よく分からないことを言うウサギだった。

「……見てみたいかい？」

頷けもしなかったし、首を横に振ることも出来なかった。
そもそも、どうしてこのウサギ、名前を知っているんだろう。
なんで、話せるんだろう。

「ねえ、ルカ。 僕は、きみの心の中が見えるんだ」
「……っえ、」
「僕はエンブリオだ。 名前が必要なら、レーヴと呼んでおくれ」
「……レーヴ」
「そう。 それが僕の名前。 僕は、きみの夢の中に居る」

レーヴは、湖面の上を軽やかに跳んで、こっちに近付いてくる。
だけど、波紋は立たない。

「……オレの、名前……」
「ここは、きみの夢の中だ。 名前くらい、分かるよ」
「レーヴは、……なんで、オレの夢の中に居るの」

後ろ脚で立つみたいにして、レーヴはこっちを見上げている。
青に白が混ざって、ほんの少しだけ光っているようにも見えた。

「僕はね、ルカ。 夢の中にしか生きられないんだ」
「……ここ、でしか？」
「そう。 だから僕は、きみの夢の中と、同じ色をしている」
「…………」
「ルカ。眠りに落ちたきみを、僕が呼んだんだ。 この夢の中に」
「……なんで？」

一歩、また、レーヴが近付いてくる。
つられて一歩、下がってしまった。

「そう。 ねえ、ルカ。 きみに、この世界で生きる為の、僕の力を貸してあげる」
「……」
「今の僕の力は、あまり強くない。 だけど、ルカ。きみが望めば、僕は強くなれる」

見て、と、言われて、振り返ると、レーヴの視線の先に花が咲いていた。
赤い花だった。
青と白しかない森の中に、赤い花が咲いていた。
器用なもので、レーヴはそれを、前脚でちょいと摘んで見せる。

「この花を知ってる？ エンブリオは、この赤い花で、きみ達と約束をするんだ」
「……約束」
「ねえ、ルカ。 僕の力をきみに貸すから、きみは僕と約束してほしい」

差し出された花を、受け取るように促されているような気がした。
手を伸ばそうとして、レーヴの声に、また、手が止まる。

「……約束、って、どんな？」
「──かんたんなことだよ」



＊

＊

＊


目が覚めるとそこには、小さく燃える焚き火と、隣で眠る、幼馴染の顔と。
ああ、夢だったのか、と、そこで気付く。気付かされる。

森は緑色だ。
いつの間にか握り込んでいた掌の中の花弁は、赤かった。

あなた達が道を歩いていると一の影が見える
影はあなた達の前で立ち止まるとこちらを見上げた
10代半ばくらいの少女だろうか、その少女があなた達に向け口を開く

そう言うとシエラは男二人を舐め回すような目で見つつ首を傾げた