「アール！」
服の感触に浸っていたのも束の間。ばたばたと巣の入り口を勢いよく潜りながら、三人の子供がアールの足に飛びついてきた。突然のことにアールはわずかによろめいたが、全員しっかと抱きとめた。

「おいおい、勝手に入ってくるなよ。父さんに見つかったらどやされるぞ」
たしなめるようにそう言ってみせたが、子供たちはずいぶん興奮しているようで、飛んだり跳ねたりしながらめいめい好き勝手にアールに向かって矢継ぎ早に言葉を投げてくる。まるで夕立のようにひっきりなしに喋るものだから打った頭に響いて仕方ない。
「あれ見せてよ！」ようやく一人がはっきりとそう言って、あとの二人は隣で大きく何度も頷き、服をひっぱってはせっついた。
「あれ、ってなんだ？」
首をひねってみせると、子供たちはもじもじと小さな指先をいじりながら、口をとがらせた。
「ほら、背中の」「そう、背中のはねだよ」「もうばばさまにもらったんでしょ？」
「ああ……印のことか。いいけど、見たらすぐ出るんだぞ」
その返事を聞いた途端やった、やったと目を輝かせて、屈んだアールの背中に子供たちは群がる。青い服の下からゆっくりと現れたその絵を見れば、表情をいっそう明るくした。



アールの背中に刻まれた両翼は、式の前に長である大婆が施した印だ。成人した男は皆自分の羽を持っている。青い墨で描かれたその翼はまだ赤く腫れていたものの、背中を中心に肩へと力強く広がり、静かに呼吸を繰り返していた。
「いいなあ。おれも早くはねがほしい」
「でもすっごく痛いんでしょ？父さんが言ってたわ。わたし女でよかった。痛いのいやだもん」
「バカだなあ！それをがまんするから一人前の大人の男になれるんだろ」
子供たちの言葉にアールは苦笑いを浮かべた。思い出したのは背中の痛みよりも、背中の痛みに喚くたびに大婆に杖で殴られた頭の痛みだったからだ。

「ほら、もう見たろ。戻って手伝いしてこいよ」
背中を押しながら促すと、三人ははしゃぎ声を上げながら外へと駆け出して行った。
アールはそっと自分の肩に触れ、できたての羽の感触を確かめた。まだ少し盛り上がっていてじんわりと熱い。痛みはもう引いていたが、どくどくと脈打つ羽はなんだか、自分とは別の、呼吸や命を持った生き物のように感じられた。


成人した一族の男子はそれぞれ、自分を器とする鳥をラフロケという神から授かる、と言い伝えられている。
村の者はその鳥を、導くものという意味をこめて“レゥカル”と呼んだ。
一口に鳥と言っても人によってさまざまで、アールの上の兄たちで言えば、篤実な長男はオジロワシ。安気な次男はサシバ。朴訥な三男はフクロウで、快活な五男はツミ。大型の鳥に選ばれた四人対し、高慢な四男だけはカワセミだった。それをからかう兄弟達にたいし対し四男は「お前らみたいな地味ででかいだけが取り柄のレゥカルとは一緒にしないでほしいね」と憤慨していた。確かに小さく可愛らしいが、その美しい羽と縄張り意識の強い一匹狼な性格は、確かに四男をあらわしているようだった。

「俺はどんな鳥のレゥカルに選ばれるんだろう」
「俺もあの時は緊張したさ。でもラフロケが自分のために選んでくれた一生の鳥だ。そんなに弱気になるなよ。お前らしくもない」
次男は弟の小さな肩をやや大げさに叩いた。
「でもさあ……すっげー小さい鳥だったら？飛ばない鳥だったらどうしよう、鶏とか」
「大きさや強さで全部が決まるわけじゃないだろう」
そう言って長男は額に巻かれた布の下から、金色の目を半分だけちらりと光らせた。
「兄貴たちのは強くてかっこいいからいいけど」
アールは肩をすくめると不満げにこぼした。兄たちに諭され、アールは礼服に身を包むと、式を行う場所へと向かった。
着慣れない大仰な服装のせいか、緊張のせいか動きは堅苦しく、道中歩くたびに後ろで兄達の忍び笑いが聞こえた。

沈みかける陽が空を真っ赤に染め上げた頃に、アールと村の大人たちは村を少し離れた尾根に集まっていた。頂上付近な上に崖の近くにあるそこは、雲が眼下に見え、当たりは耳が痛くなるような静けさに覆われていた。
ここは儀式や祭りごとを行うための場所であり、中央にある熊のように大きな岩には先祖たちが描いたであろう絵が彫られている。長であり占術師でもある大婆は、崖の先のすぐ近くに座したままアールを見据えると、ゆっくりとした動作で腰を下ろすよう促した。
「レゥカルはお前の道しるべであり、武器であり、お前自身の心だ。わかるな」
そう言って杖をアールの眼前に突きつけた。刺青のこともあって、アールは僅かに身を強ばらせたが、気取られまいとぐっと唇を一文字に結んだ。
「もうすぐ陽が落ちる。アール、これを」
大婆は懐から赤い花を取り出し、アールに手渡す。そこらの花と何ら変わりはないように見えるが、何か特別なものなのだろうか、とアールは首をかしげた。

「それを胸に当て、強く思え。お前のレゥカルのことを」
大婆が重々しい口調で言う。
まだ姿も形も見えない道しるべのことを思うというのはなんとも厄介だったが、アールは目を固く瞑り、出来るだけ思った。強く、大きい鳥のことを。それから願った、一族の神であるラフロケに。
瞼の奥がじわりと赤く光ると、花を持つ手が突然熱く感じ慌てて目を開けた。何の変哲もなかった花がまるで朝日のように光と熱を発し、アールの手の中で燃えていた。
確かに兄達の式の時も赤い光が見えたが、この花のものだとは思わなかった。そしてこれほどまでに眩しいとは思わず、アールは思わず目を閉じ、体を怖々と後ろへ引っ込めた。

バチッと、何かが弾ける音にうっすらと目を開ける。
青白い光が山を翔て、いくつもの河を作り、やがて空を光の帯が覆い尽くす光景がアールの目に映った。美しさと、少しの恐怖心からアールは不安げに首を回し、いくつもの光を追った。
「……なんだあ、これ……」
そう漏らした声に応えるように、光は散り散りになったかと思えば、鳥や鹿や魚や熊など、この山に生きる命に姿を変え、周りを生き生きと駆け回った。
それから、その光はアールの頭上に集まり、ひとつの形を作った。大きな翼を持ったそれは、アールの頭上で羽を広げ、悠々と降り立った。
ぽかんと間抜けに口を開けた少年を琥珀の眼で見つめるその鳥は、確かにアールのレゥカルだった。黒い羽は尾に向かうに連れ、柔らかに青を帯びている。

「ほほう。これはまた、立派なのを授かったな」
「……これが、俺のレゥカル？」
「イヌワシか」
父が満足げに息子のレゥカルの前で跪いた。
「やはり大婆様の目は確かだったようですな」
「どうだかね。先のことはわからんよ」
大婆は一息ついて、皺だらけの顔をそっと上げた。その奥の瞳は他の若いものより輝きこそ鈍っているものの、同じように淡く金の光を見せている。

「そう。先のことは誰にもわからん。これからはその鳥を道しるべに生きなさい。レゥカルはお前の手足となり、武器となり、お前の魂をより輝かせるだろう」
アールは目の前の鷲と金の目を合わせた。その両目は満月のように丸く、くるりとしていた。

「よろしくな」
そう言って手を差し出すと、鷲はそこから腕を伝い肩に脚を据え、小さく声を上げて応えた。
鳥となった先祖たちが、一人の少年を祝うように星空の中へ、濃霧の中へとしみこんでいった。

そわそわと落ち着きなくチラチラと鷹を見つめている。

鳥を呼ぶ口笛の音に惹かれて、鳥の羽音が近づく

置かれた皿を片付けながら、少女はアールの様子が変わったことに首を傾げた。

アールの言葉に、少女は目を見開いた。

あの日見送った近しい人々の姿が脳裏に浮かび、少女は肩を落とした。

銃を握る手は小さく震えている

少女は大きく息をついた

少女はソワソワしている。

木彫りの丸い人形をチセの前に嬉々として差し出してみせる。

どうやらチセの連れている青い鳥を模したもののようだ。