従者が突然、主人から単独行動の許しを得た日の夜のこと。

街から離れた森の中。
月の光もロクに届かない、闇の帳に包まれたそこに、
蒼く輝く陣が描かれていた。

ぱさりと身を震わせ宙に舞う、
夜がそのまま形を成したような、青墨の翼。

翼のみのソレは、状況が飲み込めないと言った様子で不安げに羽ばたく。



ここは多分森、なのだと思う。

しかし、地面で光っている魔法陣はなんだろう。

ヒトの住まう地の片隅で、奇妙な黒い塊に襲われたのを最後に、記憶が無い。

あの化け物の腹の中には到底思えない。


「お加減はいかがですか？」


唐突に、声が響く。

見れば、夜風に揺れる長い髪、ローブとストール。

魔法陣の光に照らされたその人影は、海のように蒼く。

その中でも頭上と胸に輝く銀が、一際目を惹いた。

「…問題は、なさそうですね。」

一つ納得したように頷く声はとても穏やかで、敵意は感じない。

同時に、大地に描かれていた陣が消えた。

「俺の言葉は通じていますね？
　では、今の状況について説明させてください。」

そう前置きをして、静かに淡々と話し出す声の主。


彼——ガルヴァニナーナによると、

やはり自分はあの黒い化け物に襲われ、
化け物を追っていた彼は、一足遅れてあの場に到着したらしい。

そのとき投げつけられた自分の欠片と、化け物を倒したことにより回収できた魂を、
一個体として再構築したことにより、自分はこうして存在している…とのこと。

道理で、肉体に関して、違和感はないが不便な気がする、と伝えると、
元の肉体の全てを回収できなかったため、翼のみの姿になってしまった。と、謝られた。

死んだはずの自分が、今こうして生きていられるだけ恵まれているのだから謝る必要は無い、と思ったが、
あの化け物を倒すほどの力を持つ者が何故、わざわざ自分をこうして生き返らせたのか。

「貴方と、エンブリオとして契約していただきたいのです。」

余計に分からなかった。

「俺は、あの骸以外の相手に、自分の力を使うことはできないのです。」

さらに細かく説明を要求すると、

あの黒い化け物——骸と言うらしい——は、彼が元いた世界、彼の身内が関わった事件で発生したもので、
彼の世界に関わるものだから、彼自身の力を使って処分することができる。

対して、この世界の人間がネクターを独占する新王へ行おうとしている一揆は、
彼の世界にも、彼自身にも関係がないため、彼自身の本来の力を使って参加することは出来ない。

そういった縛りが、彼の属する世界には存在しているらしい。

「俺としては、一揆に参加するつもりは無かったのですが、
　今俺が仕えている主人が、すっかり参加なさるおつもりのようで…。」

つまりは、この世界で使える力を手に入れたかったところに、自分が死んでいた、と。

「死してなお、俺を傷つけ、あの骸に一矢報いた…貴方のその力、失うには惜しい。
　どうか、ご助力願えませんか？」

こちらには、蘇生されたと言う返しきれない借りがある。
断ることなど出来ない。

…しかし、契約にはネクターが必要だ。

「これのことでしょうか？」

そう差し出された、彼の指も見えないくらい長い袖の先に現れるのはネクター。

微かな月光の下でも、その花弁は紅く。

様々な蒼を纏う彼に対し、強烈なコントラストだった。

では契約を。

「ありがとうございます。
　改めて、よろしくお願いしますね。　…えっと…？」

不意に首を傾げるので問うて見ると、名を問われた。

そういえば名乗っていなかったが、自分に名前は無い。

あったような気がしなくも無いが、忘れてしまった。

姿も変わり、生まれ変わったも同然。

ついでに名を考えてくれと頼めば、またしばしの間首を傾げていたが


「では、アインザームさん、ではいかがでしょう？」


Einsam——彼の世界で、孤独、と言う意味らしい。

孤独のうちに死んだ自分にはぴったりかもしれない。

問題ない、と肯定すれば彼も頷き


「では参りましょう。
　故あって、メルンテーゼの外の世界にも来ていただくことにもなりますが、詳しいお話は追々。」

　　　　　　静かにはたきを構え

　　　　　　襟元を正しながら周囲を窺い

*何かを発見して嬉しそうだ*