【01：差し入れ】

　———耳は音を探る。
　肌は世界を知覚し、どんな些細な変化でも見逃さない。

　それはたとえ別の作業に没頭している時でも同じだった。
　余程の集中力を要する時を除けば、周辺の変化には常に気を配っている。
　空気の動く音、風の匂い、生きるものの息遣い。
　だから誰かが塔を上がり、部屋に入ってきたとしても特に驚きはなかった。

「コー。ここにいたの、だよ」
「私はいつもリオが見つけやすい場所にいますよ」

　さらりと答える。
　尻尾があったら全力で振っているだろうリオを眺めながら、私——コーデルは目を細めた。

　それは前々からの事だった。リオは遊びや人との触れ合いを求めては、外を遊び歩く事が多かった。しかしその一方で、一人取り残される状況になると、とてつもなく不安がることもさほど時間をかけずにわかっていた。
　——彼は疎外感や無関心の類が苦手だ。
　知っているから私はさほど出歩かないし、居着く場所も、伝言を残すところも大体決めている。
　世界が彼を取り残そうとすれば、私が迎えに行く事にしていた。

「おしごと？　だよ」

　部屋に入り、扉を閉めて。私が腰掛けるベッドに上がってきた彼がすすすと近づいてはまとわりついてくる。
　擬音をつけるならぺたぺた、といった所だろうか。
　……昔の私なら肘鉄を食らわせてたに違いない。

「家計簿です、そろそろ買い出しに行かないといけませんからね……」

　言葉にして、私は微妙な頭痛を覚えていた。
　買い出しというのも、別世界に出張している面子への差し入れだ。
　世界が違えば当然通貨も違う、世界に不慣れな彼らは、暫くの間品物の調達にも一苦労する事だろう。
　幾つか保存食を携えているとはいえ、この世界の食べ物に慣れた彼らは間違いなくストレスを募らせる。暫くの間、彼らは慣れ親しんだ食事に触れることも叶わない。
　ストレスが溜まるだけならまだいいが、きっと喧嘩とか八つ当たりが勃発するのだろう。一ヶ月放置すれば死屍累々かもしれない。

　……まぁ、そんな彼らのために差し入れをしに行く訳だが、問題は家計簿だ。
　彼らが好むものはいずれも値が張る上に、限定地域でしか販売されていない。日頃ならば自分の分は自分で稼ぐだろうが、よりによって出払っているのはエンゲル係数の高い連中だ。
　差し入れは多めに必要、しかしその分の支出は補填されない。自分で稼げの原則はどこに行った事やら。

「うん、ぶっちゃけ絞るだけ絞っておくべきですよね」
「あまりいじめないで、だよ」
「シャンテはお財布の紐の硬さが自分に向けられた時、どういう思いをするか知るべきです」

　くいしんぼな連中は三名、ゼルダ、リエッタ、シャンテ。被害を受けるとしても半数、わぁいやったね！
　半眼になりながらお買い物メモを作成する、

「おかいものにおでかけ、だね。ふくをごよういしようね、だよ」
「……地味かつ目立たない感じでお願いします」

　こくこく頷いてるわんこがどこまで自分の基準に合わせてくれるかは怪しい。
　これだけ念を入れて、ぎりぎり許容範囲といった所だろう。

　：：

　———街に熱気がある。
　流れ、口ずさまれる数え歌はよく出来たものだと思う。
　甘い甘いお菓子作りの歌は、来る人をもてなす喜びと、美味しいお菓子のための愛情に満ちていて。人の心を温め、共に喜びをわかちあおうとしていた。

「……ん」

　まぁ、現地に来てみると身構えるのが馬鹿馬鹿しくなりますね、とコーデルは小さくため息をついた。
　悪癖だとしてもこればかりは性分故に仕方がない。
　極力意識しないように、と自分に言い聞かせて、巻いたマフラーを口元まで引き上げる。

　日頃の服は、夜間迷彩と森林迷彩をかねた黒と緑を基調とした服。
　しかし今はどうか、殆ど真逆である。

　白いワンピースは胸下で一度絞られ、ふわふわとしたドレープラインを太ももまで広げている。
　黒いタイツはいつものまま、ワンピースの裾からは太ももに巻き付けたダガーベルトが見え隠れしていた。
　マフラーの色はベージュ、コートの代わりに黒ジャケット——これだけは武装の一部であるため、そこまでバリエーションがない。太ももまで届く長い髪はボリュームをとって三つ編みにされていた。——勿論、全部リオがやった。

「大騒ぎしながら服を選んだ結果がこれです」
「かわいいかわいい、だよ？」

　顔は半分くらいマフラーに隠れている、問題ない。
　本人が言うに、祭りの街なのだから可愛くしたほうが目立たないのだとか。

「噂ではこの街のどこかに妖精人形がいるそうですね」
「ゼルダがそうぐうしてた？　だね」
「オルフェも遭遇してましたよ」

　リエッタが大騒ぎしていたから間違いない。いや、あれはゼルダが新しく格の高い精霊乙女と契約する度に大騒ぎするのだが。
　今行ってる世界も現地精霊との契約制らしいが、戦闘担当はシャンテなのでおそらく問題ないだろう。まぁ、シャンテだけが精霊と接触する訳じゃないので、やはり一悶着はあるのかもしれないが。

「——さて、行きましょうか」
「どこからいく？　だよ」
「食べ物は一番最後で。戻るうちにいくらか冷めるでしょうが、後送りに出来るに越したことはありませんから」

　：：

　———とりあえず見るのはただなので、お買い物メモとは別に街歩きは存分に楽しませて貰った。
　明確な目的地がある訳じゃないので、私が先行するのではなく、リオと連れ立って歩く。

　アロマキャンドルを売っている舌足らずのシスターやら、果物を売っている見た目シェフやら。
　製作体験出来る飴屋では、リオがしょっぱながら飴を爆発させていた。もう一度作らせても爆発した、祝福の呪文かけてもこれなのでよほどなのだろう。

「……ふむ。リオ、私がもう一つ作るのと、私が作ったのを半分こするの、どっちがいいですか？」
「どっちもすてがたい、だね」
「では私がもう一つ作って、両方半分こしましょう」

　飴屋の店主が『リア充爆発しろ』といった目で見てきているが知ったことじゃない。
　人前である以上、振る舞いには気を配っているが、何事も第一に考えるのはリオの事だ。
　この時シャンテたちへのおみやげを綺麗に忘却してたのは言わないでおく、飴といえば優秀な保存食なのだが、量の割に高くて予定表になかった。この値段は製作体験込みでと考えるべきだろう。

　飴の店から出て、次は塔の上の香水屋へと向かった。
　その香水屋は客から距離を取る性質で、巧みに詮索を振り払う言葉を向けてきたが、とある路地のお酒を見せたら途端に性格を変えてきた。
　性格を変えた後の店主は饒舌で、天使の像に遮られた薄暗さと、ステンドグラスから映る極彩色の光が好きだとか。彼女が売っている香水は色々癖のある人たちが作っているとか——特に聞かなかったが、ひょっとしたら彼女と作ってる人たちは仲間なのかもしれない。
　話の終わりに幾つか、精霊を封じた香水を買わせて貰った。これについては差し入れついでにシャンテ達に見せるのもいいだろう。

「む……結局予定にないものを買ってますね」
「おまつりだからしかたないね、だよ」

　実に恐ろしい。
　いい思いをさせてもらっているのは確かなのだが、出費が重なっていく。

　気がつけばリオは、いつの間にか入手したモンブランやらアップルパイを自分の手に持たせていた。甘味を包む厚紙からは未だ熱気が伝わり、ふんわりと柔らかい感触を伝えている。
　それに一口かじりついて、上目遣いでリオの様子を伺うと彼がニコニコしている。

　甘い味を広げる甘味をかじりながらも、かすかながら嫌な予感がした。リオは——ぶっちゃけ楽しさのためなら出費を惜しまない気質で、自分がこれらを頬張る間にリオは多分次のものを買ってくるだろう。
　さしづめ次は地精のクッキーやら風精の飴なんて持ってくるかもしれない。
　危険だ、いやリオのポケットマネーだからいくら使おうと彼の自由ではあるのだが、流石に際限のない買い食いをやらせる訳にはいかない、止めないと間違いなくやる。

「……リオ、そろそろ本命の買い物しましょう、買い物」
「えー、だよ」

　……時々確信犯のような振る舞いをするのだから、このわんこにはかなわない。
　私が困ったり慌てたりするのを楽しんでるフシすらあって、それでも最終的には頷いてくれた。

　：：

　時間は昼先になろうとしていた。持ち込んだ材料で妖精が料理をしてくれる店やら、来る度に品揃えが変わる市やら、まだ欠片も祭りを楽しんでいない気もするが、どうせまた近いうちに来る事になるだろう。
　割烹着の兎がやっているお弁当屋に来て、ホットケーキをメインに弁当を18人分購入させてもらう。
　殆ど大人買いだから店の在庫が足りるかどうか不安だったが、それはホットケーキ以外も混ぜることで対応させてもらった。どのみち兎の店主が心を込めて作ったものなのだから、差し入れられる側に文句など言わせない。

「シャンテはこの店がお気に入りのようですが、レコは平気なのですか。ここの兎率の高さは半端じゃありませんが」
「いつもしたみて、ぶるぶるふるえてる、だね」

　ああ……と半眼で頷く、「しーちゃんまたいくのぉ！？」と言ってる様子が安易に想像出来た。

「でも、きらいではないみたい、だよ」

　幽霊も多い街だから、レコ的にも気になるのだという。
　この弁当屋にも出るのだと、オルフェは塔の雑談で言っていた。生憎自分たちは視る眼もなければ聞くための鐘もない、なので彼らの形は想像でしか捉える事が出来ないのだが。
　———悪いものでないのならそれもいいのだと思う。想いを寄り添わせるくらいは、死んだ人間にも許されていいだろう。

「……あ、用意が終わったみたいですね。リオ、行きましょう」

　膨大な包を用意してくれた店主に謝意を述べ、二人は連れ立って街を後にした。
　腕の中には、未だぬくもりを帯びる包。赤いチェック模様は、店主の人格を表したように可愛らしく、差し入れを受け取った面々が喜ぶ事は間違いないのだと確信出来た。

（これだけ多種多様の人種を見るのは興味深い……あまり遠くへは行かないように、現在の旅の連れに言い含められていたのでどちらかといえば人の流れを観察していたというのが正しい。
が、ぴりりと感じ取った“何か”に、左右色違いの瞳が、くるると視線を動かすとある一点に注がれる。そこに居たのは——）

（聞き取れないような小さな声でぼそぼそと何かを呟いている少女。が、すたすたと無造作にチョコレート色の髪をゆるくたなびかせた重装備の女性との距離を詰めると、淡々とした感情のあまり感じ取れない声音で言葉を紡いだ）

（あくまで淡々とした口調、表情。が、ごくごく薄く滲むのはどう見ても警戒。子猫が毛を逆立てているようなものだ）

（相変わらず淡々とした表情のまま、微かに分る警戒を滲ませたままで答えを待つ）