・川幽霊

日はかんかんに照っていて、マニー親分は相変わらず川っぺりの日陰で寝そべっていた。
大川ってほどじゃあねえが吹いてくる風が冷やっこくて心地好い。
「思ったより剣呑じゃなさそうだ。まァ結構なこった」
なんて寝言でむにゃむにゃと、好日の午後は長閑に過ぎようとしていた。

と、そこへ乾分のハチベがひょろりひょろりと飛んできた。
もちろん最初の台詞は「親分親分、てえへんですよ！」とくる。
「なんでえ薮から棒に、こうこの通り平和じゃねえか」と親分は五月蝿そう。
確かに辺りは一揆の最中とは思えねえ静けさだ。
まあ一揆とはいえここらはまだ御城下の端っこの端っこ。
大騒ぎになるにゃあまだ早え。

「いえね、親分。一揆は確かにまだ大きな動きはねえんですが」
「じゃなんでえ、近くで土左衛門でも上がったか？」
「いえそういうことでもないンですが」
「オイオイ焦らしてくれるなよ。男らしくずばッと言いねえ」
「はァ、実はですね…」と嫌に歯切れの悪いハチベ。
どうも言いづらくなったが仕方ねえと口を開いた。
「実は幽霊が出たって言うんですよ」



「ここかい、幽霊が出たって言うのは」
親分が重い腰を上げてやってきたのはさっきよりチョット上流の川の溜まりだった。
枝には緑が生い茂って昼間だってのに薄暗くて涼しい。
休むには好い場所だが幽霊話しのせいか人気はない。
「確かに薄ら寒いが、ただの川じゃねえか」と親分は辺りを見回し始めた。
「でえてえ幽霊が出たって何か盗られたり祟られたりしたわけじゃねえんだろ」
「そうなんですが、何しろてえした噂になってましたもんで」

ハチベが聞き込んできた噂によるとこうである。
昨日の宵の口にこの近くで野宿していた一団の娘がこの溜まりに水を汲みにきた。
夜だとなお不気味だが娘はなかなか度胸があって気にせず桶を川に突っ込んだが、その時妙な水音が聞こえた。
川のさらさら言う音とは別に、ぴちょん、ぴちょんと水が滴る音が聞こえたのである。
娘がその音の方を見ると、なんと溜まりの真ん中にずぶ濡れの女がぬッと立っていた！

「あッ、誰か来てえ！」と娘が叫んだのは当然のこと。
溜まりのど真ん中は人が立てる深さじゃねえので、咄嗟に幽霊だと思ったのだ。
その叫びを聞いて若い衆が二人駆けつけてきたが、そこで見たのはこちらに向かってくるびしょ濡れの女。
足も動かさずに近づいてくる女を見た若い衆が娘を抱えて一目散に逃げ出したのもまた当然だった。



「その若え衆ってのは腕の立つ大男たちでして、そいつらがぶるぶる震えて話すもんですからてえした噂ですよ」
とハチベは自分もぶるぶるとしてみせたが、親分は落ち着いたもんで涼しい顔だ。
「で、結局ロクに確かめもせずに騒いだってわけか。そいつら図体の割に肝っ玉は小せえみてえだな」
「だって親分、人の立てねえ深みに立って足も動かさず近寄ってくるなんて、こりゃまさに幽霊ですよ」
親分はそれにゃ耳も貸さずに溜まりの手前の川底を探っている。
「どうかなハチ、おめえこいつがわかるか？」
と何やら水中から拾い上げたものは掌ほどの光る薄いものだった。

「なんでしょう、やけにでけえがどっかで見たことがあるような…」
「莫迦、こいつは魚の鱗に違えねえ」と親分はそれをお日様に透かしてみた。
確かに魚の鱗らしい虹色の反射をしている。
「鱗ってこたァ…そうか、正体は河童ですね！」
「相変わらず早合点だな。河童に鱗があるものけえ。見な」
と今度は川底を指差した。

「あッ、こいつぁ幽霊の足跡ですかい。何かを引き摺ったみてえな跡だ」
ハチベがよく見ると川底には深みからこちらへ太い線のような跡がついていた。
しかもその跡がついている石にさっきの鱗がちょくちょく貼り付いている。
「河童なら水掻がついた足跡になるだろう。それに幽霊ならそもそも足がねえ」
「じゃあ親分、正体がわかったんで？」
「ああ、でえてえはな。あとは宵まで待って実際に捕まえるだけでえ」

流石は親分、あッと言う間に幽霊の正体を見破った。
はてさて現れるのは一体何ぞや？

フルートの音が聞こえる…