***つづき

魔法が、使えない。

衝撃、なんてものではない。
生まれたときから当たり前のように使えて、学院で修練もした。
人が歩き方を知るように。与えられた自転車に乗れるように。
『持たない者』もいたが、彼らにとってはそれが当たり前のこと。

持っていたものが使えない。
いきなり視界を塞がれたり、四肢をもがれたりすると、こんな感じなのだろうか。

ガサガサガサ！

「——っ！」

物音。
ただでさえ負傷していて、なによりも魔法が使えない今、襲われては。
いつかの巨大林檎にも、勝てる気がしない——

【　　　　　　】

木の葉を揺らし出てきたのは、人の形に良く似た、小さい生き物。
ゆっくりとした動き。怪我をしている私くらい容易い、という余裕だろうか。
オレンジ色の髪（？）とそれを覆う布に隠れて、その顔つきはよくわからない。
服を着ている。足は見えない。お腹の部分が、少しだけ光っている。
ふわふわとこっちに飛んできたので、慌てて追い払おうと手を伸ばした、が

「こないで！」

【　　　】

するりと避けられた。目の前に、生き物の顔がある。
ここまで？
会いたい、と思った。
セルフォリーフで出会った人たちに。クヴェレネヒテの人たちに。
お父さんに。お母さんに。

せめて楽に。

きつく目を閉じる。

一時

二時

三時

何も、起きない。
私はゆっくりと、目を開けた。
その瞬間に喰われるかもしれない、と少し考えたが、そんなことはなかった。
小さな生き物は鼻を近づけて、まるで私の匂いを嗅いでいるようだった。
あ、やっぱりこれ食べられるんじゃないかな、私。
怖い。
もう、目を閉じることもできない。次に何か動いたら、その時こそ狩られるかもしれない。
怖い。
死にたくない。

【　　　　】

生き物が音を出している。鳴いているのだろうか。
仲間を呼んでみんなで食べるのかな。

【　　　　↑】

小さな光。

「え、……え？」

眩しい。
でも、痛みはなかった。つい間の抜けた声が出てしまう。
数秒間続いた。
それから、生き物は下の方に沈んでいく。
つられて見てみると、むき出しになった肌は掠って切ってあちこち赤く、血も出ている。
生き物が手の先に灯した光を、血が出ているところにかざす。
優しい暖かさとともに、知っている感覚。
生き物はそこでまた数秒漂うと、別の傷にうつり、光をあてる。
暖かさを感じたところを手で拭ってみた。
血が拭き取られたところには、なにも無かった。
色が白いと言われていたが、世界を出てからはちょっとだけ日焼けした肌。
なにも、無かった。
傷が、無かった。

「これって、」

強く焦がれたものが、そこにはあった。

くるくると私の周りをまわって傷を塞いでは、時たま匂いを嗅ぐ小さな生き物。
裂けた靴下から覗いた最後の一つを、治された。
茫然としていると、生き物はまた私の顔の高さまで浮き上がる。

【　　　　　　】

何を言いたいのかは、全然わからない。

【　　　】

どうして？なんのために？

私が黙っていると、生き物は背を向けた。
飛んでいくのだろうか、どこかに。

私を置いて。

「ま、待って！」

のばした手は、足の見えない生き物の服の裾を掴んだ。

「行かないで、一緒にいて！お願い！！」

意図も見えない、言葉も通じない、なにかだけど。
傍にいて欲しかった。

生き物が振り返る。小さな手が裾を掴んだ私の手に触れる。


【　　　　　　　　　　　】


生き物が　——笑った。

何かが通り抜ける感覚。
いつの間にか詰まっていた息が楽になるような、魔風邪を診てもらった時のような、解放感と安心感。
生き物が小さな、本当に小さな指で私の手をとんとんとつついた。

「うん」

そっと力を送る。
身体を魔力は意のままにその手の先に、ではなく、小さな生き物に吸い込まれていく。
ほぼ同時に、生き物から何かが送られてくる。
送られてきて、いくはずだった私の指先に集まる。

ぽう

光が灯る。
発動鍵は沈黙したままだし、陣も式も浮かばない。
けれども、これは

「……魔法」

膝から力が抜けて、崩れるように座り込む。
ああ、よかった。
私はまだ、終わっていない。

クラ　——Kreis lauf——　と名付けた生き物に導かれ降りた先で、ラルフとルリアンナから、それがエンブリオというものだと、教えられた。

この子の力を使うにはネクターという赤い花が要るらしい。
そしてそれを、新王が独占しようとしていること。
彼らは阻止するために立ち上がったこと。
支給品と共に、そんな話を聞かされた。

この世界から出られるのかはわからないが、私にはこの子が必要で。
その為には、彼らに協力したほうがいいようだ。

腕も認められた。


きっと、此処なら、やっていける。

そうして、私は一歩を踏み出した。



***

シセに近付き左手を上げた。右手にはトランクケースが握られている——武器は持っていないという意思表示か、唯の挨拶か。

左手をパタパタと振って否定の動作をすると、その手でハンチングを脱ぎ、丁寧に一礼した。

右手のトランクを開くと本や巾着袋が覗いた。どうやら、巾着袋に菓子が入っているようである。

目の前に立つ少女が、なにやら慌てている。
シセになにか、何か声を掛けたいようだ。
…少し間を置いて、少女は再び口を開く。

　人が、足首くらいの深さの水辺で足を遊ばせている。
見れば鼻先くらいに頭の天辺が来るようなやや背丈の足らない女子のようだ。

　口をぽかーんとあけて、声を出さずにぱくぱくと。餌を求める魚のように。
視線に気付けば、ちょっとだけかがんで『こっち』を見てるのかな、と見返して。
苦笑いのような表情で顔の横まで手を上げて、手招きをした。