サルバドー・ドメネク・イ・ヌーニェスの妻は、死の病に侵されていた。サルバドーと彼の妻は、穏やかではないその運命を次第に受け入れつつあったが、それでもひとつのことを憂いていた。それは、彼らの息子についてであった。

齢六つになったばかりの一人息子は、とかく変わった子どもで、その様子はサルバドーと彼の妻をしばしば悩ませた。友人らと外へ遊びに出かけてもどこか上の空で、気がつくと一人になって、道に咲く名も知らないような花を見ていたり、教会の壁の煉瓦をいとおしそうに撫でていたりする、そんな子どもであった。
一度など、友とはぐれた末に、夜まで行方知れずとなったことがあった。町の大人が総出で捜し、はずれの小さな山の麓の森にいたところを、ようやく見つけ出された。なにがあったのかと問うサルバドーに、彼の息子は、「星を見たかった」「山なら空に近いから、よく見えるのではと思った」と、平然として答えたのであった。
風に舞う落ち葉。朝露のひとしずく。とにかく目に映るおよそすべてのものに、サルバドーの息子は興味を示した。有機物と無機物の垣根すら越えて、彼の愛情はものものに等しく注がれた。そんな様子でも知恵の遅れているようではなかったし、建築家である己の作業場に訪れては、仕事道具に目を輝かせる息子を見て、サルバドーは嬉しくも思っていた。妻の瞳から光が失われてゆく現実を前に、息子の姿に救いを求めたのかもしれない。その思いは確かに愛情であっただろうが、同時に逃避でもあり、怠慢でもあった。

そんな夫の心をおそらく知らないまま、サルバドーの妻、アントニアは死んだ。

彼らの息子、ペドロは、涙の一粒すらこぼすことはなかった。

歩く道の先を眺めながら、煙草をふかしている。

周囲を見回せば自分たち以外に今はこの場に人はおらず。
と、すれば己に呼びかけたのだろうと、かろうじて覚えた彼の名を呼べば、小走りで近くへと。

呼ばれた、のだと、勝手な勘違い。

さ、らち　の時点で左手で虚空で何かを持つ。
右手で何かを掴む。口を開いて、何かを運ぶ仕草。

そして、ころぬ、の時点で、両手で大きな四角を書いてその四角の中に入ってしゃがむ仕草。
そして頭に何かをのせてその場で、ふー、なんてリラックス。

伝わる自身がなさげで不安げにペドロを見上げていた。

（なでろと言わんばかりにその場に座り込み、頭を差し出す）

彼の前を過ぎ去るだけだったが、声に反応してゆっくり振り返る。
そしてあなたを見つけると、小さく微笑みながら近寄っていく。

冗談なのかそうでないのか、区別がつかない話し方。

机の上に置いておいた、とのこと。

しばらく思案していたようだが、話途中だったと一つ咳払い。

カカがじりじりと後ずさる。

カカが尚もじりじりと後ずさる。

呼び止められ足を止める。困り顔に似た下がり眉へと
胡乱気に三白眼を投げかけて眉間に皺を寄せた。

理解を、さしてしようともしない口調での問いを間に挟んで、
視線を逸らしたままに手にしていた煙草を銜えた。
注文に軽く眼を眇めて深く灰に煙を溜める。

薄い唇に挟まれたシガレットから、ゆらゆらと煙が立ちのぼる一間。
ふうっとペドロの顔へ向けて無形の薄灰色が吹きつけられる。

短く拒否の理由を添えて片眉を上げる。

投げやりに安心しろ。と口にして、煙が晴れる向こうで
煙草を手にしたままに、ふと首を傾ぐ。

ゆらゆらと揺れる煙の奥から、もしもを尋ねる
問いかけをひとつ流して、言葉を区切った。

馴れ馴れしく肩に手を置く

掛けられた言葉に、暫く不思議そうに首を傾げて応じる。
明らかに動いてしまっていたが、深呼吸を数回打てるほどの間をおいてから漸く意味に気がついたらしくぴんと座り直した。

大人しく座り続けてはいるが、あちらからは見えないキャンバスの表が気になっているようだ。
時々しっぽの先だけがせわしなく揺れている——

と、言いかけた言葉が途中で止まる。

　—　ペドロ達の合流、その暫く前の事　—

そう言って、一人で近くの林へ向かったリレッタであったが———

後方に遠ざかった林の方から悲鳴が聞こえてきた！

その声に急いで駆けつけると———

———鎧を身に纏ったリレッタが錯乱状態に陥っていた。
その足元には、血溜まりに沈んだ名も知らぬ冒険者の姿。

彼女がやったのか、それとも元よりそうであったのかは不明だが
今は彼女の暴走を止めなくてはならなそうだ……。