『あなたの中の、あなたとひとつの、あなたの牙』
『最初からそうでなかったもの』
『私と似ている』

　まだほの暗い夜明け前、そんな風に囁く声があった。
　目を閉じたまま、眠ったような姿勢のままで、動かなかった。
　理由は色々あったが、それがエンブリオと括られるものだと、感覚が理解していた事が大きかった。

『要らないのなら、少し食べてあげようか』

　付け入ろうとする、幼い声。
　事実を告げてはいた。確かにこれは厭わしいものだ。
　けれど、ただそれだけで終わるものでもない。
　目を閉じたまま、笑わず、怒ることもなく、事実と意思だけを打ち返した。

（お断りします）
『何故？』
（お腹を壊しますよ）

　食べて貰ってはいおしまいと、そうできるものではない。
　それに恐らくこれは、いくらエンブリオといえど、美味なものではないだろう。

『そんなの、試してみないと、わからない』

　不服を述べる程度には、自我の強いエンブリオのようだ。
　——ここに来て知ったが、エンブリオの自我には激しく個体差があるようだ。同じ種別のエンブリオであっても、使い手次第で、まるきり違う顔を見せるものもある。一方で、全く個性らしきもののない、種別通りに働く現象めいたものもいる。

（では、あなたが死なない程度になら、齧っていいですよ）

　目を閉じたまま、呼びかける。
　最初の契約は、まるで己に溶け込むように為された。
　今度は、少々手こずるかもしれない。
　だが、断る理由も特にない。

『——変な味』

　早かった。

『少しだけ書き換えられた衝動』
『今は、全部は食べられない』
『でも、もう少しだけ自在に出来るわ』

　脳裏にはっきりと、声と姿が形成され、己から分離していく。

『決まったわ。赤い六花を抱く契約者。これから私はあなたの一部』
『あなたの自在に』

　ゆっくり目を開けると、夜から現れたような生き物が、こちらを見下ろしていた。
　目だけを動かし、相手の目らしき箇所を探って、告げた。

「宜しくお願いします」

　先ほどまでのお喋りが嘘のように静かに、黒いエンブリオが頭を垂れた。