瞼が痙攣して視界が明滅する。世界から瞬暇、瞳を閉ざすあの人間に赦された権利が本能の符牒を離れて失調したまま行使される。帳が下りかかりまた上がる。舞台は変わらない——痙攣もじき止まる。庭園が続いている。囲われた通りに手懐けられ、鎖された通りに営まれる庭園が。節度の暴力に合わせて枝を切り落とされた木々や伸び進もうとする意志を刈り整えられた芝生がある。色を間引かれたのだろう花々と幾何学系に切除された茂みがある。人為が調律した園はこうした異なる世界の文化にあってもやはり否みがたく美しい。第一に美しい……美しさは暴力を正当化する。全面的にではないにせよ、幾許かは。そうでなければどうした魔術が暴力の行使へ微笑みとともに頷かせるだろうか？

猫の鳴き声がする。亜人の体臭の匂いもある。昨夜には伸び縮みする暗い影が花々の向こうに見えた。こうした園にも暮らす者がある。王権側のエンブリオ、あるいはその契約者が。

視界には庭があった。しかしこうして文字を書いているとき私の視界を支配しているものは大半が紙と書かれつつある文字、そして書きつつあるペンと左手だ。いまこのとき私のこの目前で現象しているものは文字であり、庭の情景は真新しい、けれど置き去られた記憶の中に留まっている。目をやる。庭が見える。こうして書くときにけれど私には文字が見えている。庭は見えない。どれだけありありと私の目の前に再現し、呼び戻し、再び提示し、つまりは表象 represent できるとしても。庭は過去としてある。私たちのあの庭……ノール 咲き誇るあの庭がそうであるように。

左手は現在 presence として私の前にある。それは今日の日もあまりにも白く浄らかに孤立している。夜の中でわずかに光を放ちさえする……エンブリオ、私のドロモマンヌ。長いときを民とともにあり、政体の暗転に促されて王に専有されようとし、そして今や王を討つ窮鼠のための一歯となった、この世界のわずかな輝き。私の左手に巣食うそのエンブリオは分類されたところの種名をエンジェルと云う。使者あるいは伝令を意味するその言葉はけれどひどく宗教的な文脈で語られることが多い。なんとなれば誰か人が使者あるいは伝令を通じて呼びかけ呼びかけられようとする者とは、なにがしかの水路をある切迫した交易のために設けようとする相手とは、多く単一の絶対者、詰まるところ神であるからだ。人は祈る。祈るという行為は経済的には——完遂され、左手に差し出し、右手に受け取るあの交換という仕組みにおいては、つまり祈りになんらか現実的な見返りを求める限りは——届ける者なしに成就しない。かくして届ける者として名づけられ役割を託される者はなにか超越的なものとの通路として樹立される。

《祝福を》と念じればエンブリオは穏やかなハイロゥを私の左手に顕現させる。私の呼びかけは超越者へ向けられた祈りとしてはあまりにあっけなく叶えられる。それはほとんど魚屋で魚を買うのと変わらない。呼びかければ応えが返る。その気安さが私にため息をつかせる……これは現象こそ天使的であるにせよ、困難さにおいてまるで宗教性に欠ける。

エンジェルは私たちレルヴォヴェールの言葉に語尾の L を脱落させアンジュ ange と呼ぶ。脱落したエル L 、脱落した翼 aile 。分割世界のさまざまな文化に通底する一般性を見出すことがもしできるとするなら、一般に、天使は翼を持つ。翼は人間に不可能な飛翔をなしとげるための道筋であり、つまるところ翼のあるがために天使は伝令としての職務を果たしうる。はるか天上の一者に人は届くことができず、祈るしかないのだから。祈りを携えて一者のところへゆくものは、翼を持っていることだろう。Lを持たないにせよ、なんらかのエルを。

左手を掲げると月明かりよりもうっすらと明るい。エンブリオは機能している。紙に文字を書きながらいくらかはこびりついたはずのインクが今はもう面影さえない。紙に書かれた文字はたしかに私の左手にこすられたあとを火傷のように残しているというのに……私の手は母の手に似てくる。母の手はより骨の大きく、細く、巧みであったにせよ。私の字は汚い。あとから読めればいい方で、筆が走ったところには読めない綴りも山とある。鏡文字もある。文字を覚えたはじめのころから今に至るまで引きずり続ける鏡文字のクセは、忘れた頃に顔を出す。たしかに書いたはずの私当人にさえ読めない逆向きの文字……見目の清潔を保ち続けるエンジェルもこの文字ばかりは癒やすことがない。母の字は美しかった。寒気がするほど。レルヴォヴェールの長い平和に凝り固まった職業は流動性に欠け、移民の母に行き場はなかった。細腕のゆえに炭坑の激務に頭を垂れることもできなかった彼女は、新進の職業としてわずかに残されていた活字工を自らの職として選んだ……母の鉛に刻む活字は美しかった。しかし彼女の字の美しさの本質は紙に書かれた文字にあった。鉄の定規を添えて神経質に文字のあるべき罫線を守りながら書かれた文字たちはあまりに魔術的に、手書きであるにもかかわらず凡百の組版よりもさえ美しく整っていた。

一瞬ごとに過去へ死んでゆく時間を留めるものが文字だとするなら、母に記された文字は清潔で誠実な死化粧を施された上等の棺桶だった。あるいは美術標本だった。彼女に手に過去は凍らされて美しかった……それのまさに生まれ死んでいったそのときよりも、ことによると。

その異能は彼女の身につけた技芸であり、エンブリオによるものではなかった。母から受け継いだエンジェルを宿してなおあまりに歪み秩序を持たない私の文字が証左するように。

私のエンブリオ、私のドロモマンヌ。それは母のものだ。それが今もここにある。浄くやわらかに光りながら、けれどあらゆる伝令を断絶する死の向こうへこぼれ落ちた母へはいささかの通路となることもないまま。

そうでなくてはいけない、と思う。そうやすやす呼びかけが叶えられてはならない。とりわけ死については。呼びかけは海に抛られたあてどない瓶だ。やがて波に押し流されそれは私のもとへ帰る。けれど時にはあてどない誰かの瓶が私のところへと流れ着く。《届く》という手触りは《届かないもの》への慎みを忘れさせる。天使を宿すならそれを恐れなくてはならない。