じりじりと日が照りつける。
人ひとりとも居ない、白壁と赤煉瓦の街並みを
軍服を着用した男女2人が注意深く歩みを進めていく。
女の肌に風が当たり、頬を焼いた。

「……佐藤軍曹、ここでしか言えないんだけど。」

女は男の目を見据えた。鋭い眼光が光る。

「私、やっぱり逢沢大尉が良かった。
　だってそうでしょう？自分より階級が上の幕僚とか、
　どうやって仕事しろと？しかも団本部の幕僚長が来るか！？」
「……ああ、あの癒し系幕僚の逢沢大尉ですか……。」

佐藤と呼ばれた男が軽く眉間を揉んだ。気持ちは分からなくともない。
軽く解説しておくと、幕僚とは他国において参謀のようなものである。

「いやね、前日に反政府デモ鎮圧に軍が動いちゃったから
　急な人事交代は分かるんだわ。他国との擦り合わせも必要になったし。
　この北アフリカはいかんぜん不安定、しかも内戦寸前ときてる。
　……ただモノには限度というものがあるだろうに……。」
「俺じゃ不満か？コトブキィ。」

女の後ろから手が伸びて後頭部を掴む。
佐藤が振り向くと、そこに同じく軍服を着た眼鏡の男性が立っていた。

「……いいえ……。」
「高橋中佐！お疲れ様であります！」

佐藤はいち早く男に向かい、敬礼をする。

「連絡はおすみになりましたか？」
「ああ……チャーリー部隊の隊長殿は話が長くて困る。
　さっき会った時に言っておけよと。」

そう言って高橋は携帯を懐に仕舞い込む。
コトブキと呼ばれた女は、ベレー帽の位置を直した。

「それにしても、グリーンベレーが出張ってきているということは
　かの国は本気で武力介入する気だと見ていいでしょうね。」
「武力介入するのかね。
　反政府デモには共産原理主義が噛んでいる事くらい、
　誰だって分かっている事でしょうに。」

コトブキの声のトーンが下がる。

「共産主義を掲げて組織的に破壊活動するテロリスト集団。
　リベラル思想の穴を突いて、弱者ぶって自己を正当化する。
　左派メディアに金を巻き、情報を統制する。
　……どこか見知った国みたいだが、そこは言わない事にしても
　我が国がこれに加担するのは正直嫌なんだけど。」
「キャスティングボードを欧米が握っているのだから仕方あるまい。
　この軍事同盟に加盟した時から分かっていたことだ。
　不満があるのなら、自分が主導権を握るしかない。」
「欧米にとって必要なのは意に沿う経済植民地でしょうから。
　自国の利権を最大限確保するというのは、戦略としては正しい。
　だからと言って、現地の治安度外視で
　気に食わない現政権を倒そうとか、こっちにゃ迷惑ですよ。」

上官2人の話の流れを聞きながら、佐藤が少し首を傾げる。

「ちょっと待ってください。情勢がこんがらがってきました。
　こちら側が援助するのは反政府側ですよね？
　でも原理主義が噛んでいるのも反政府。
　なら世俗派は、もしかして軍事独裁敷いている現政府側？」
「そう。あの北アフリカから中東へ波及した民主化運動の影響で
　選挙で選ばれた共産原理主義の大統領を
　軍がクーデターで倒したのが10年以上前の話。
　それから今まで軍政を敷いてきたが、どうも経済がうまく回らない。
　不満を抱いた民衆のデモを組織的に煽っているのが共産原理主義。
　彼らの掲げる『自由と平等』を支持しているのが
　欧米はじめ俺等自由主義国家群というわけだ。ここまでは理解できるか？」
「いや理解できるといっても……どうにも救われない話ですね。」

佐藤はそう言って額の汗を拭った。
乾いた風が廃墟を通って砂とともに吹き付ける。
コトブキは2人の話を聞きながら荷物から水筒を取り出していた。
水分補給のためである。

「そりゃ現政府側も貧民をよそにトップが私財溜め込んだりしてたからな。
　100％の善政を敷く国家元首なぞ存在せんよ。
　政治なぞ所詮妥協の産物、最後は国民の教育が物を言う。」

高橋はそう締めくくって眼鏡を直した。

「してどうするコトブキ？
　指揮官はお前だ、この廃墟を視察した結果でさっさと指示を出せ。
　いくら俺が優秀でも指示がなければ何もできん。」
「……逢沢大尉が良かったんですけどね……。
　とりあえずこの廃墟のマッピングを急ぎましょう。
　首都市街地まで10km、基本的なインフラも整っている。
　政府側が追いつめられた時の隠れ家としても使えそうだし、
　こちらが駐在する候補に入れてもいいと思います。」

水を飲み干した水筒を仕舞いながらコトブキが答える。
佐藤はコトブキの言葉に眉を跳ねた。

「……誘導隊を入れますか？」
「ええ。この先の首都には多数の邦人が居る。
　彼らを助けるためならこの規模で動いていいと
　個人的には考えているけれど。まぁ報告書上げて本部の判断次第。」
「了解した。今日はめぼしい建物を決めて調査を終了させよう。
　宿場に帰ったらデータに打ち込めるだろ。」

止めていた足を再び前に進める。
高橋は道端にあった棒きれを掴んで、時々壁を叩いていた。

「ここって廃墟ですよね？」
「今のところは。しかし情報が5年前のものだから一応警戒しているのでしょう。
　……ああ、あと佐藤軍曹。これも関係ない事なんだけれど。」
「何でしょう？」

佐藤の返答とともに、コトブキの声色が一段と低くなる。

「この前の球技大会で、君等が『おざきんちのババァ』の囃子で
　『コトブキのBBA』と隊総出で応援してくれた事は一生忘れない。」

佐藤の顔が強張った。今までここに居た時間のいつよりも。
睨むコトブキをよそに、高橋は思いっきり噴出していた。

「そういやお前、衛生小隊の新人のお嬢さんとテニスで対戦して
　大隊の若いやつが大応援団作ってくれたってな。
　時間もないのに囃子まで練習してたとか。
　良かったじゃない、愛されてて。」
「上官も参加したサッカー試合でハッドトリック決めた、
　空気読めない幕僚長は黙っててくれませんかね。」

かすかに漂う和やかな空気を呼び出し音が裂く。
高橋の胸ポケットからだ。

「またかよ……と、今度はフランスか。
　参謀関係者は後手後手に回り過ぎだろ。」

高橋が電話で受け答えするのを聞きながら、
コトブキと佐藤は距離を取り、声をひそめる。

「英語だから何とか聞き取れますね……。
　少佐は語学堪能ですからフランス語でも平気かもしれませんが。」
「アラビア語まではなんとか。ロシア語にも手を出したいんだけど。
　……そういや私にも連絡来るかもしれん。嫌な予感がする。」

内容は挨拶に近いものだった。
常に穏やかな口調で、眉ひとつ動かしてはいない。

『……いえ、GIGNの皆さんとは今後も限りなく協力させて頂きますよ。
　我々は同じ自由主義諸国、協調するのは当たり前じゃないですか。

　でも、双方に無計画に武器をばら撒くと禍根を残すと思いますよ？』

高橋の言葉にその場が凍りつく。
恐らく相手の場も凍り付いていることだろう。

「……これが、高橋中佐のぶぶ漬け砲……！」
「生で聞くのは初めてかね。ランクアップすると京都弁が出るよ。」
「聞きたくないです、すごく聞きたくないです。」

この猛暑の中、二人が身震いしていると
今度はコトブキの上着から着信音が鳴る。

「心配してたらこれだわ……ちょっと向こうで電話してくる。」

佐藤と別れ、着信を取りつつ近くの建物の影に入った。

◇◇

30秒ほど通話した頃だろうか。

電話を持った腕が黒いエナメルのような軟体物に絡みつかれる。
決して音もなく、気配もなく、いつの間にか近づいていたのだ。

腕の異変に気付いた時には、すでに体全体に貼りつかれていた。
もがこうとしても、黒い覆いはびくともしない。
助けを呼ぼうと口を開くと、すぐさま軟体物は入り込んできた。
口を塞がれ息もできず、漠然とした絶望だけ抱く。


『頼もしい軍人さん、貴女の力を少し貸して頂けませんか？』


意識を失うその刹那、
コトブキには白いワンピースを着た赤毛の少女が見えた気がした。


◇◇◇


コトブキは周りの肌寒さで目を覚ました。
真っ暗な空間。とりあえず自分は何かに入っているらしい。
壁のようなものが目の前にあることから、
割と狭いものの中に入れられている事は理解できた。

この寒さは何だろう？
自分が居た所は夏、しかも異常な猛暑日の筈だった。
夜まで気を失っていたのかもしれないが、空気には湿気を感じる。
水不足が深刻なあの場所でこの湿度は考えられない。

——テロリストに拉致されたか？

一瞬その思考が頭をよぎった。
しかし、自分たちは反政府側を援助するはずである。
共産原理主義とは今のところ敵じゃない。
こんな事をしても汚点になりこそすれ、利にはならない。

だったら政府軍だろうか？
政府軍の扱いにしては中途半端な気がするが。ジュネーブ協定もあるし。
何よりただでさえ追いつめられているのに、
直接的には交戦していない国の軍人を監禁してどうする。

いろんな考えが錯綜して、うまく情報がまとまらない。
とりあえず外の様子を見たい。
今の自分の状況を確認するために、コトブキは腕を持ち上げた。
この容器の上の方に切れ目のようなものがある、そこが開くかもしれない。

注意深く動かすと、上が動く。どうやら唯の蓋のようだ。
ほんの少しだけずらして、外に何があるかを観察する。

一番に見えたのは金髪の少年だった。
その遥か後方に大人らしき男女が3人。
色が白く、会話の語感がなんとなくロシア語に近い。
視界に入る限り丸腰で、便衣兵とは考えにくかった。

——ロシアまで連れてこられた？いやまさか。

あそこの国は今、財政再建中で表だって内戦に介入できないはず。
何よりも庶民がおおっぴらに出入りする場所に、
軍人を監禁するようなヘマをするとは思えない。

——とりあえず話を聞こう。英語通じるかな。

もしかしたら、テロリストに拉致された所で何らかの内ゲバがあり、
隠されていた自分が庶民に発見されたのかもしれない。
ロシア語を習得していなかった事が悔やまれる。

コトブキは勇気を出して、立ち上がった。


「……とりあえず、ここが何処であるか聞きたいんだけど？」


念のため、腰に携帯している拳銃に手をかけておく。
目の前の少年は、唖然とした表情のままであったが
しばし後に気が付いたかのように声を出した。

「汝に問う。汝は『干渉者』なりや？」
「……？」

——『干渉者』って何？

「続けて汝に問う。汝は我が英雄たる『干渉者』なりや——？」

——いやだから、『干渉者』って何ですか？宗教用語ですか？

この意味不明なやりとりを遮るように、神父風の中年が出てくる。

「ミハイル！見たまえよ、これが真の英雄の姿だ！
　君は見事、革命を遂げるための英雄の召喚に成功したのだ！
　英雄オリフェンドールのご加護を！！」

どうやら大人の方が駄目だったようだ。
もう一人の干からびたような男も前に出てくる。

「ミハイル、君はこれからかの英雄とともに一揆に参加することになる。
　革命への戦いは辛いだろう、苦しいだろう。
　だがしかし、決して諦めてはならない。
　君が辿った血と涙が必ず国王を倒し、輝かしい未来を作るのだから！」

今ある情報をコトブキは自分の中で咀嚼する。

少年が『干渉者』という名前の英雄らしきものとして自分を召喚した。
『干渉者』は革命という戦いをするための道具である。
彼らは一揆と称して内戦をしかけるつもりらしい。
しかし煽っている大人は内戦に参加するつもりはない。

どこかで見たような構図である。
ここがどこかはまだ良く分からないけれども、
どこにでも居るのだろう、そのような輩は。

——反吐が出る。

どす黒いものが渦巻く中、コトブキは今すべきことを考える。
まずは最優先事項として、この大人たちと少年を隔離するべきだろう。
コトブキは前に出て、
大人達に激励されている少年の襟首を掴んだ。

「少年、戦いとやらに参加するのだろう？
　戦支度をしながら状況を説明してもらうから移動するよ。」
「……え？あ、はい！」

呆気にとられた大人達は、
2人の姿を咎めることなくただ見守っていた。




To Be Continued......