異世界メルンテーゼ。
転送方法はお伽噺めいているが、生憎私やツグミの見た目は何ら一般人と変わりはない。どちらかと言えばお伽噺をベッドで読み聞かせる側といったところか。
文明、文化の違いというものはその地に降り立って肌で感じるものだが、何度か世界を行き来する間に何も感じなくなった。あるいは、ツグミはその体躯で感じているのかもしれない。
花屋敷の中枢人物である墨染佐久呂と、金銭援助を行っている百日紅に連れられてこの世界に飛んできたのが先ほどの話だ。
仕事内容は人材の確保であり、私が今まで行っていた顧客との交渉とはまた一線を引くものだった。その理由というのは簡単な話で、顧客は切り捨てられるが居場所を求めて彷徨う者は切り捨てずに何者であっても迎え入れなければならない。少なくとも、組織の末端である私の認識はそんなものだ。
仕事であるならば答えなければならない。
ひとまずは人材の確保が最優先であること。それは告げられるまでもなく理解していた。しかし当の組織の中枢人物——特に、雇用主の墨染佐久呂は仕事をする気があるのかどうか分からない態度だったがそれも彼女の常だ。
どういう訳か、その当人は屋敷には居なかった。

「彼女はどうしたんです」
「どこか違う所に飛ばされでもしたんだろう。良くあることだよ」
そう言われては特に詮索することもなかった。彼女であったなら、どうにかこの屋敷にたどり着くであろうという確信もある。
「屋敷は使える状態だけど……花屋敷、という名前を頂くには少し庭の手入れが必要だね」
屋敷自体は和風の家屋であったが、広い敷地の多くを占めている庭は、人の手が入っているようには見えなかった。
庭を眺めていると、肩を叩かれる。こちらに回ってくるとは思わなかったものだから少し驚いた。
「何故私なのです？」
「君なら何とかしてくれるんじゃないかと思ってね。大丈夫、ついでで構わないよ」
ついで、とは言ったものの明らかに百日紅の言葉には期待が込められていた。人材を確保するならまだしも、そこに一定の条件を求めてくるとは——私がこの仕事が初めてであるということを覚えているのだろうか。
しかし期待をされるというのは案外悪いものではなく、それに答えることで自分の技量も地位も向上する。それが仕事というものだ。
「植物の知識があれば良いんですね。……まあ、出来るかどうかはともかく覚えておきます。まずは頭数を揃えることを優先としますよ」
「うん、期待しているからね」
言葉で駄目押しをされて送り出される。なるほど、人を使うという事において百日紅は非常に長けたものを持っている。
人を見る目は持ち合わせていると自負している。居場所を求めて彷徨う者たち、それを見つけ出すにはさほど時間はかからないはずだ。そこから先の交渉は、私の領分である。そう思えば、初めての仕事ではあっても気負うことは何もない。

＊＊＊＊＊

私は依然として屋敷の前に立っていた。特に時間制限はない。新しい屋敷の周辺を歩きながら、疑問に思っていた言葉を清算せねばならなかった。
「結局『イッキ』とは何を指すのか聞きそびれてしまったな。……ツグミ。聞いたことはあるかい」
佐久呂も百日紅も、そしてツグミも東洋の出であることを思い当った私は、さほど期待はせずにツグミに問いかける。
何のことはない。私が知っている殆どのことをツグミは知らないということを経験則として認識しているからだ。
そう考えていたこともあり、ツグミの口から肯定の言葉が出た時は正直予想外だった。
「……………………うん」
「これはこれは。一体どういう意味合いの言葉なんだ？」
「………………………」
ツグミが表情を作らないのはいつものことだが、こうして私の問いかけに何も反応を示さない時は大抵迷っている場合が多い。これもまた経験則の一つだ。
「説明が難しい言葉なのか。大体の意味で構わないんだ」
「………………………農民が、戦う」
ツグミは少しの間を置いたのち（これも他人が見れば長すぎるのだろう、何のことはない）そう答えた。
「戦う。農民とはつまり言い換えれば支配された——……ああ、成程合点がいったよ。王がどうだという噂はここに繋がるのだね。随分と悪政を敷いているという話であったし、私たちは革命の片棒を担がされる訳だ。足がかりに襲撃するのは、牢獄ではなくて城の前の広大な敷地、か」
私は母国の歴史を思い出した。何の感傷も湧かないが、その言語は私に最も馴染みのあるものだ。ツグミの前では彼の母国語を話すように心がけているものの、それを習得するのにはいくらかの時間を要した上にまだまだ学んでいる途中である。そもそも私の母国語とツグミの母国語には大きな隔たりがある。
独り呟く時には、母国語が出る癖があることを私は自覚していた。

「La faim chasse le loup hors du bois. それが仕事をこなす上で必要ならば仕方がない、か」
ツグミは私の言葉に反応しなかった。

瞬間——伺うような視線を感じた。
日中の、しかも拠点の周辺でそのような視線を受け止めるのは決して良いものとは言えなかった。私はあくまでその視線を受け止めただけという振りをして、その視線の主へと向き直る。
灰褐色の伸ばし放題の髪から覗く琥珀の瞳。簡素であるが時代錯誤の服装、という印象だったが、この世界に集う者たちは世界も年代も様々であることは分かっていた。恐らくそういう文化圏から来た者なのだろう。
男の持つ瞳からそれなりに戦いの経験があるものと私は断定した。そうでなければ、はっきりと意思の存在するものにはなるまい。
男は屋敷の前に佇んでいた。確かに大通りに立っている和風家屋は目を引くというものだ。私は友好的な態度を崩さずに男に声をかける。

「この屋敷に何か用かな。好きに入るといい。鍵はかかっていないよ」
「…………」
伺うような目線が細められ、明らかに警戒の色が宿る。伺うという行為に対応するというのは中々難しい。その相手に気づかれたくない、という意思がある以上ストレートな対応をする訳にもいかない。私は視線には触れずに、屋敷の話を切り出す。
「花屋敷、と言ってね。人材派遣を主として様々な事業を執り行っている。まあ今は始動前といったところか。頭数が揃っていなくてね、探しているところなんだ」
花、という単語に反応が返される。男の手は無骨なものであったが良く見ると爪の間と袖口が土に汚れていた。微かにハーブの香りが鼻腔に届く。
なるほど、百日紅の期待に応えることにも出来るかもしれない。
「……この屋敷は、拠点ということかい」
男の声は静かで平坦だった。
「そうだね。私も先ほどこの世界に着いたばかりだが……組織のバックアップも万全だ。情報、金銭、権利、大体の事は保障されている」
これは私の経験でもあることだった。この花屋敷という組織は何の後ろ盾もない私たちを拾い、居場所と同時に様々なものを与えた。
男は私の言葉はさほど気にも留めなかったようだが（情報、という単語には少し反応したようだ）相変わらず屋敷を見つめている。
「庭が、気になるのかな」
男の目線が屋敷ではなく、その先の庭にあることに気付く。私はほぼ確信に迫っていた。
「今は特に手入れする者も居なくてね。花も草も生えるに任せている。……これからどうしよう、という話をしていたところなんだ」
花屋敷と言うくらいだからね、と付け足す。整った屋敷に手入れの行き届いた草花。それらが調和することで花屋敷は完成するのだろう。
その調和を保つのは、そこに住まう者でなければならない。

「来るかい。……私も無粋な詮索は嫌いでね」
男ははようやく私に向き直り、私とツグミの両方を視界に捉える。
しばらく私たちを観察したような素振りを見せたのちに、彼の口から馴染みのある言葉が紡ぎだされる。
「……そうだろうね」

男はセロ・プランシーと名乗った。

＊＊＊＊＊

自分のノルマは達成した、と早々に屋敷に籠り（セロに屋敷について説明もしなければならない）主の帰りを待つこととした。人数の確認は重要であるし、何より成果は正確に主に報告せねばならない。
聞きなれた佐久呂の声がしたのはもう少し後のことだった。成果を上げたらしく、何人か違う声も聞こえる。
「今帰ったで！　もーちゃうとこ飛ばされてえらい難儀したわ。せやけど、ちゃあんと可愛いどころも連れてきたで」
「おかえり。……おや、随分可愛らしいお嬢さんたちだ」
佐久呂は三人の少女を連れていた。年の頃はツグミと同じかそれよりも下といったところだ。
少女たちはそれぞれルクリ・スゥ・フォーリア、カルルカレン・ライラプス、日方桃歌と名乗った。
私は軽く自己紹介をする。私の年代の男性が珍しいのか、好奇心に満ちた視線が返される。少女たちはめいめい私物を持ち込んでいたが（カレンの棺は一体何なのだろう）私の目に留まったのはルクリの品だった。
「お嬢さん。それは何かな」
ルクリの手には、彼女の小柄な手一杯に収まるほどの磁器の破片がいくつか乗っていた。
「とっても綺麗だったから、もらってきたの！」
「……サクロさんが、お嬢様の不始末を肩代わりして下さったのです」
「かっこよかったよねー！」
年頃の少女の形容しがたいパワーの前では、流石に私も分が悪かった。会話におけるリズムのずれは、時に私にそれなりの苛立ちを感じさせる。最も彼女たちが悪いのではない。彼女たちと私の間には、それを生じさせる程には歳に開きがあった。
私はこの中で一番会話が成立しそうな少女、カルルカレン——カレンに話を聞くことにした。聞けばなるほど、佐久呂の機転の速さでこの年端もいかない少女たちは難を逃れたということになる。それにしても、自分の不注意で割った皿の破片を綺麗だからと持ち帰るルクリの感覚については私も驚かざるを得ない。
「少し、見せて貰えるかい」
ルクリから破片を受け取り、精製方法や釉薬、絵付けの質を確かめる。破片では細部までは分からないが美術品に関してもそれなりの知識はあるつもりだ。
聞けば佐久呂はかなりの大金をあっさり支払ったらしい。そんな金がどこにあったのか甚だ疑問ではある。
「……成程。しかしお嬢さんたち、こんな鋭利なものを素手で扱っては危険だ。怪我をしては大変だからね」
万が一にもツグミを傷つけるようなことがあれば、年端もいかぬ少女であっても自制出来る自信は全く無かった。むしろ、何を制するというのだ。
「うう、ごめんなさい」
「謝ることじゃないさ」
見るからにしょげている（角から生えている花も元気がないように見えた）ルクリを尻目に、私はその破片をおもむろにセロの目の前に置いた。胡乱げな目線を寄越すセロに、少し相手してやれ、という念を込めてこちらも視線を返す。少女たちの相手（保護者役とも言えなくはない）を彼に丸投げし、私は先ほどの疑問を問いただすべく雇用主の元へ向かった。

「サクロ。少しいいかな」
人が増えてよきかなといった表情の佐久呂を捕まえると、賑やかな座敷を抜けて廊下まで彼女を連れだした。
「いやあ、人が多いっちゅーんは活気があってええねえ」
「そうだね。……聞いたよ。随分と威勢が良かったそうじゃないか。幾ら払ったって？」
途端に佐久呂の顔色は青くなる。実のところ回答はカレンから聞いているのだが、本人の口から言わせるというのは大事だ。
「え？　…………えーっと、ご、ごひゃく、みたいな？」
大金をあっさり支払った罪の意識はあるらしい。私は先ほどルクリに見せて貰った皿の破片から導き出される価値を口にする。
「あの皿の価値は精々半分といったところだ。過失の分を上乗せしても三百も出せば十分だよ。……次にこういうことがあれば、私を呼びつけてくれ。交渉は私の仕事でもあるからね」
「あれ、それだけ？」
「命に値段はつけられない。彼女たち三人の身の安全、という視点から考えるなら五百万でも安い」
佐久呂は明らかに安心した素振りを見せた。これがなければあっさり解放したものを。この後に百日紅にも同じことで絞られることは分かっていた上に一応上司でもあるので、最低限に留めるつもりだったのだ。
こういう行動を墓穴を掘る、というのだろう。


「サクロ。もう少し理性的に動くことをお勧めするが。……部下にこのようなことを言われては形無しだよ」
私の小言はもう少し続くことになる。