あの場所では、毎日が同じ繰返しだった。

寝て起きて。
土を運んで固めて掘って。
太陽が沈んで少しだけれどちゃんと食事が出て。
そうして眠る。

それはあの場所を離れてもそうだと思っていた。

けれど全く違うその環境。
寝て起きて。
土を運んだり踏み固めたり掘り返したり。
そんな事は一切しなくて良い。
海岸と作業場、そしてあの部屋へ往復しなくて良い。
今はただフライバイの言う通りに進むだけ。
そう、進むだけだった。

周囲を見回しても見えるのは物言わぬ木々だけ。

手にはフライバイがくれた大斧と、少しの食料。
その食料も今はない。
そして待っていても食事は出てこない。
人語を話す生き物は、自分ひとりだけしかいなかった。



◆　◆　◆　◆　◆



自分が動かなければ何もならない。
そう気付いたのは一人になってから3日経った頃だったか。
今まで働いてきた事はしなくて良い。
ならば自分の飢えが凌げる程度のものを得る事にしよう。

とりあえず戻る「部屋」は必要かと思い、適当な場所を探す。
崖の朽ちた横穴を見つけた。
中を覗くと獣の糞尿の匂いがしたが、主はいないようだ。
雨風をしのぐ事が出来ればそれで良い。
確か糞尿をそのままにしていると悪い病気になると誰か言っていた。
それだけは穴から放り出し、近くの沢から水を運んでなんとか清潔に出来た、はず。
寝床を確保出来た後は食べ物を探す事にした。

持ち慣れぬ斧は最初は酷く手に余った。
思ったところに振り下ろせないし、思ったように切れない。
けれどフライバイがダッヘマに、とくれたもの。
皆でひとつではなく、ダッヘマにくれたもの。
だから使えない事になりたくなかった。
何度か扱う内に手に馴染み、想像通りの動きをするようになった大斧。

そういえば。

これはドニィの部屋に置いてあったものに良く似てる。
否、同じものだろう。
ドニィはもういない。
ドニィが主人ではなく、フライバイが主人だ。
この斧は「主人」のもの。
だからフライバイが持っていても不思議ではない。
そのフライバイから渡されたのだ。

ドニィがどうなったのか。

それを考えた瞬間、大まかに形作っていた容器が真ん中から真っ二つに割れた。
これではもう水を運ぶ器としては使えない。
肩を少し落とし息を軽く吐いて、また手頃な木の塊を探した。
そうして同じ動きを繰り返す。
そう言った意味では、以前と今は何の変わりもない。
ただ指示はなく自分で決めて行動するだけだ。
今日はまだやる事が多くある。
仕留めた獣を日持ちするものに変えなければ。

ソプラニアスが語っていた。

塩には食べ物を長く持たせる効果があるって。
それをまぶして乾燥させれば、生の肉よりも食える時間が増える。
そのほかにも「さっきん」とかいうものに使える花や草の名前を言っていた。
どういうものか見てはいないが、葉の形や花の色。
そういった物で適当に使ってみた。
ソプラニアスの記憶は確かなもので、今までそれで腹を下したことはない。

そっと自分の手を見る。

両の手には10本の指。
思ったとおりにきちんと動く指。
最近気付いた事がある。
片手で5本の指の中で一番爪が大きい指。
この指は大事だ。
この指がなければ斧は握れない。
力が入らない。

ソプラニアスの手には両方この指がなかった。

体の小さなやつだった。
作業をやらせても遅く、みんなの足を引っ張っていた。
ノルマが終わらない、誰が原因かと聞かれれば皆が真っ先に彼女を見た。
その後待っているのはドニィからの「お仕置き」
一度やられたことのあるあれは思い出すだけでも体が震える。
ソプラニアスの悲鳴が脳裏に響いた。

この指は大事だ。
この指がなければ斧は握れない。
力が入らない。

ソプラニアスの苦労を、今初めて思った。


◆　◆　◆　◆　◆



動物を狩って肉を干して。
ソプラニアスが言ってた食べられる草を採って。
水を汲んで木の実を取って。

少し前に獣に襲われていた人を助けた。

人語を話せるものに出会ったのは久しぶりで随分驚いた。
ただ獣の肉が欲しかっただけだったが、酷く感謝された。
その人は商人と言うものだったらしい。
怪我をしていたので穴に連れて行ったら脇に積み上げていた毛皮に興味を持たれた。
欲しいのなら持っていけば良いと言ったら大層驚かれた。
理由が分からなくて自分には必要ないものだと言った。
対価に金を置いていくとも言われたが、ここで生きて行く分には必要がない。
いらないというと困った顔になり、せめて何か受け取って欲しいと言われた。
欲しいものと言われてもそうそう思いつくものはない。
ただ首を横に振り、干してある肉の状態を確かめる。
あと2,3日乾かせば大丈夫だろう。
振り返ると治療を終えた商人がこちらを見ていた。

「干し肉を作るのなら調味料をあげよう」

調味料は分からなかったが、塩が貰えたのはありがたかった。
この森の中では塩は取れない。
他にも香辛料と呼ばれるものを貰ったりした。
それらを置いて商人は両手にいっぱい毛皮を抱えて出て行った。

干し肉の味の幅は広がった。
けれど他には何も変わらなかった。
寝て起きて。
水を汲んで干し肉を食べて。
獣を飼って干し肉を作って草や木の実を採って。
そして夜が来たから眠る。
労働が食料を調達する時間に変わっただけ。
他には何も変わらなかった。

あの少女が現れるまでは。

ずしんと、空から急降下してきた何者かが後頭部に乗る

泡がぱちぱちと弾ける音を出している。