一揆の開始を前に、騒然としているメルンテーゼ。
その都心部から少し離れたとある町を、大股で歩く影が一つ。
それは背の高い男だった。年齢は二十代前半だろうか。やや痩せ気味の体をふわりとした上着で包み(上着の下は簡素なシャツとズボンであるらしい)肩からはカエルを模した大きなポシェットをつり下げている。
カエル型ポシェットもなかなか異様ではあったが、何より奇妙だったのは、男があちこちに数多く装飾品を身につけていることだった。緩く三つ編みにした長い茶髪にも、大振りな髪飾りがざっくりと留められている。そして耳元には大きな石がピアスからぶら下がっていた。
これらの装飾品達は彼の服装にはそぐわないものばかりであったが、そこには一つの共通点があった。
指輪、ネックレス、ペンダント、ブレスレット、髪飾り、ピアス、アンクレット……そのいずれにも、濃淡様々ではあるが、カットされた、或いは原石そのままの紫水晶が使われていた。彼が動く度にそれらの石が陽光を反射し、紫の光をあちこちに投げかけている。
男は歩きながら、耳に小さな箱のようなものを押し当て、一人で喋っていた。
「——うん、もう着いた。もうすぐ始まるからかなー、すっげー大騒ぎ」
当然ながら、男の周囲には誰もいない。
町の人々が奇妙なものを見る目で遠巻きに男を見ているが、男が気にしている様子はなかった。
「私? 私は今のところ平気。うん、『エンブリオ』って言うんだっけ。アレとも契約は済んだよ、赤い鱗の可愛い子ちゃんだ。私があげた契約の証も気に入ってくれたみたいでね、用意した甲斐があったってもんさ。あのグレードの日本式双晶って高いんだぞー、どんだけ苦労したか今度教え……え、いい? そんなぁ」
男はどうやら、耳に押し当てた小さな箱に向かって話しているらしい。
「集まってる人らも凄いぜ、そんじょそこらじゃ見られねーような人ばっかだ。君もこっちにくりゃ良かったのに。え? ははっ、そりゃ大変だ。じゃ、手が空いて気が向いたらおいでよ。私はそれまで色々遊んでみるから」
はた、と男が足を止める。へらへら笑っていた顔から表情が消える。
そのまましばらく男は黙っていたが、やがて、何度か頷いた。
「うん、分かってる。やるべき事はちゃんとやるさ。私もそこまでバカじゃない」
目尻の下がった黒い眼が細められる。
睫毛の奥でちらりと、紫色をした炎が弾ける。
「流石に一人じゃ心細いしな、こっちに居る間は誰かと一緒に戦ってみる。うん、上手くやるさ。……それじゃ、一旦切るね。また連絡する」
そこまで言って、男は耳から小さな箱を離した。箱は二つ折りの構造をしていたようで、男はぱたりとそれを閉じ、ズボンのポケットにねじ込んだ。
「さて、と」
男がぐるりと周囲を見回す。それから、先程までの『独り言』の続きのように呟く。
「喉乾いたな。どっか、何か飲めるとこでも……ん?」
その視線が、男から少し離れたところにある、小さな店に止まった。店のドアは大きく開け放たれ、中の様子を見る事ができた。
店の奥には幾つかカウンター席があるようだ。入口や店内にところ狭しと並べられた袋には何かが大量に詰まっている。どうやら豆のようだが、詳細は分からない。
いや、この匂い。香ばしく、そしてどこか苦いこの匂いに、男は心当たりがあるようだ。
(……コーヒー? こっちにも有るんだ)
男はしばらくその場で考え込んでいたが、やがて何か納得した様子で息を吐いた。
(丁度いいや、休ませてもらおう。ついでに一揆の事、何か聞けたらいいなー)
口の端が楽しそうに上がる。
男は上着をふわふわさせながら、浮ついた足取りで歩き始めた。