自分は、兄と義姉のために死ぬのだと思っていた。


ニーヨルにとって、それは怖い事ではなかった。
怖いどころか、兄と義姉の役に立てると思うと安らぎを感じるほどだった。
偉大なる霊、大いなる神秘に、ひときわ愛された兄。
誇らしくも重い啓示を背負うその兄と、兄を愛する美しい義姉を助けられるのなら、どんな事でもするつもりでいた。

シャーマンの一族に生まれはしたが、いまだ何の啓示も得ないままの自分に出来るのはそのくらいだと考えたのだ。
１５歳までに啓示を得ない者は、部族の中でも極めて稀だ。それがニーヨルは１５を１０年も越えた。
急かす者はいない。
父も母も、部族の年嵩の者も、みなが『啓示は偉大なる霊が相応しい時に示すのだ』と言った。

だが、同輩だけでなく年若の者も次々と啓示を得る中、ニーヨルは、自分に『それ』は齎されないのだと、いつの間にか受け入れていた。いや、信じきってさえいた。

だからせめて部族の迷惑にならないよう、ひっそりと暮らし、日々の雑事をこなし、そしていつか、一族の、未来の長である兄の役に立てれば良いと考えていた……。



ニーヨルはパイプをくゆらせ、紫煙を吐いた。
街から少しだけ離れた草地の地面にあぐらをかき、細く立ちのぼる煙草の煙を前に思案を巡らせる。

静かに、そしてある意味のんびりと暮らしてきたニーヨルからすると、ここ——メルンテーゼは、まさしく騒乱の渦だ。まるで始終『大祭祀』のさなかにいるような気がした。
『大祭祀』とは、故郷の世界の風習だ。
普段は細々とした交流しかない幾つもの部族が、『大祭祀』のためにはあちこちで集結する。大部族となり、大収穫と、大狩猟と、大宴と、大祈祷を、月が一巡りするあいだ繰り返し繰り返し行なう。
時には集結した大部族同士が戦を始めることもある。
その『大祭祀の戦』に、今の雰囲気は似ていると思った。

ただ、ニーヨルはあまりにも多くの人が戦うために集まる例をそれしか知らなかったから、単純にそう思っただけで、一揆というものにも、更には王制というものにも、とことん疎かった。
というよりも、街や城というものさえ、己の目で見たのはメルンテーゼに渡ってきてからだ。自分がどれだけ狭い範囲で生きてきたか改めて知る。

「……とりあえず、誰か、もうすこし事情に詳しいひとに、話を聞こう。わたしだけでは、右に行くのか、左に行くのかも、うまく出来そうにないよ」

小声は自信のなさだろうか。
ニーヨルはパイプの火を消すと、丁寧に灰を払って覆いで包み、腰の物入れにしまった。
首に落としていた布を目の下まで引き上げて結わえ直し、頭には鳥を模したかぶり物を被る。

「それに、食べるものも手に入れなくては。育てている人が、分けてくれると良いけど……。もちろん、豆や、木の実は、この世界の野にもあるだろうが、いま、毒の有り無しをひとつひとつ調べる猶予はないし」

細い棍を手にすると、ニーヨルは立ち上がって街の方を向いた。しなやかな動きだった。
口元を覆う布が、ひらりと一度、舞った。

　

豆屋の入口で存在感を振り撒きながら身を潜ませている男が一人。
暫くするとその男が結構な勢いで店に駆け込んできた。

そう言うなり突如土下座をし

にっこりと笑う男は、返答も待たずに勝手に話を進めだすのだった。

男は興味津々といった様子で、黒い両目を輝かせている。