王城前




———目の前に聳え立つ巨大な城。

広大な敷地に造られたそれはまるで要塞のようであり、

また、自然に溶け込むように造られているため、群峰のようにも見える。

王城に続く平原を、とある一行が進んでいく。


「んなっはっはっはっはっ！
　嬢ちゃん、そんなにこの原っぱが珍しいかい？
　アホ面浮かべちまってよぉ！口が空きっ放しだぜっへへへ。
　何なら”俺の”で塞いでやろうか？サービスしとくぜぇ」

一行の先導役であろう。後ろの三人より二十歩ほど前を進む男が大声で話しかけた。

屈強な体格だが動作が鈍く、喋り方にはあまり知性を感じられない。

粗野な巨人———この世界に来て最初に会った男の印象を、少女はこう捉えた。


「ええ。アタシたちの世界にはこんなに緑が溢れていませんから！
　アタシたちの世界はもっと、こう…ジトッてしてますよ。ジトーって。
　うーーん！風が気持ち良いですねー」


「そうね。
　目を閉じていると心が穏やかになるわ。
　肌で風を感じ、草木の音を聞いていると…
　とても、昔大きな戦いがあったなんて思えないわね」


少女と歩調を合わせて進む女性が応えた。

軽装な少女と比べると年恰好は落ちついて見える。

風に髪を靡かせ心地よい表情を浮かべていたが、かつてあった大戦に言及した時、

わずかだが表情が曇った。


「そりゃそうさ、なんたって俺がまだガキの頃の話だしよぉ。
　あの頃はなぁ。明日の飯にも困ったもんさ。
　お上の仕打ちに耐えらんなくなって、爺さん達が立ち上がったんだってよ。良く聞かされたぜ」


「この平穏も数多くの犠牲の上に成り立っているのですね。
　私たちの世界もそうでした。
　なぜ人は争うのでしょうか…悲しいことです…。
　貴方も戦われたのですか？」


「私は…」


女性は振り返り、一行の最後尾を歩む老人に声をかけた。

初めてこの世界を訪れた二人をにこやかに迎えた老人。

穏やかな雰囲気を身に纏うが、僅かに引き摺る右足が”かつて”を伺わせた。


「その爺さんは戦ってなんかねぇよ。なぁ？
　なんたってビビっちまって逃げたんだからよぉ」


二、三言、男は嘲りの言葉を続けた。

意地悪く表情を歪めている。相手からの反論がないことを確信した態度だった。

その確信を裏付けるように、老人は男の足元から視線を上げようとしない。

少女が老人を庇い、男の口撃は一旦止まった。


「でもよ、逃げちまった方が良いんだよ。正しいのさその判断は。
　こうやって生きてられるんだからさ。
　俺の爺さんは帰ってこなかったぜ。どこでくたばったのかねぇ。
　あの戦いじゃあ沢山人が死んだからよぉっへへへへ。
　あっちこっちに追い回されたよぉ。無駄死にだよ無駄死に」


「無駄死にではない！」


男を正面から睨みつけた。

予想しない反撃にあい男は一瞬戸惑った。老人が大きく見えた。


「へへっ、無駄に死んだ奴も居ただろうよ。
　あんなに沢山戦いに行くこたぁなかったんだよ。何しに行ったんだ？単なる数合わせだろうがよぉ。
　おかげでこっちは朝から晩まで畑仕事よ、ガキの頃からよぉ！
　その辺の草の下で気楽に眠ってる奴ばっかだよ、この辺は」


「ちょっと！さっきから言い過ぎだよ！」


「二人とも、少し落ち着きましょう。これ以上の言葉は無意味です。
　…私たちは大丈夫ですから、貴方は先を見て来ていただけますか？」


男はしばらく老人と視線を合わせていたが、

一つ、大きく鼻を鳴らすと振り返り、歩みを進めた。


「貴方も少し、冷静さを取り戻す時間が必要かと思います。
　幸いこの辺りは平和そうです。
　少し、この緑を眺めていってはいかがでしょうか？

　きっと、貴方の大切な人たちも、この平穏の為に武器を取ったのでしょうね」
　



少女たちの姿が見えなくなると、老人は草むらに入っていった。

鼻腔に草の匂いが広がっていく。

一歩。

一歩。

草を分け入って歩む毎にかつての記憶が蘇ってくる。



決して裕福ではなかったが幸せだった時代。

”王”がネクターを独占し、住人が立ち上がったあの日。

高揚感に身を委ね、流されるまま志願兵に参加した時のこと。



訓練所でともに汗を流した仲間達の顔。


今も夢に出る鬼教官の怒号。


這いつくばって進んだ水たまりの不快感。




眠れなかった初陣前夜。



横たわる仲間達の顔。



虚空を見つめる瞳。



あの時、私は、武器を取り落し——





ザリッ。

靴の裏に固い物を感じ、老人の意識は眼前に戻った。

草むらを分け入って歩き、気付けば街道が見えない所まで来ていた。

右足を半歩引きずる。老人の目が僅かに見開いた。

変形し、泥と”何か”で汚れているが間違いない。


「認識票」


土の中に半分埋まったそれを老人は拾いあげた。

その手つきはまるで貴人の手を取るかの様だった。

表面を服の袖で磨く。

ここに誰が眠っているのか。誰に知らせれば良いのか。


「これは…P…？
　………ダメか。読み取れん。」


名前を読み取ろうと磨き上げるがそれは適わなかった。

魔法だろうか。

認識票は黒く焦げ、大きく変形していた。


「ここで。
　ここで倒れたのか。
　ここに眠っているのか、お前は」


認識票を握りしめる。


「お前は。
　お前は何の為に戦ったんだ。
　何の為に死んだのだ。
　誰のために…」


風が吹き、穏やかに草木が揺れた。





人は誰もが特別ではない。


誰もが英雄にはなれない。


歴史上の偉人の影で、


無数の兵士が戦った。


無数の命が消えていった。




誰にも知られず倒れていった、


無名戦士の墓。