A - アンジニティ
Ansinitie アンジニティは聞き知ったいずれの流刑地からも印象が遠かった。そこにはひとつの労役も、ひとりの見張りもなく、何ら制約のない自由が広がっていた。多くを望みさえしない限り、私たち罪人は何一つ拘束されることもなかった。その反面、アンジニティに横たわる自由は私たちが決して元の世界へ戻れないことの証明でもあった。そう、私は徒刑囚だった。私は侮蔑と嘲笑を背に受けながらノタウィア・マニス
Notavia Manis を去ったのだ。
かの地ではじめに目を醒ましたとき、私はまず自分自身が何者であるかを掴み取らねばならなかった。頭の中からは言葉という言葉がまったく消え失せていた。私
Je の一語さえも。頭ひとつで地面に転がっているような心持ちがどれほど続いたろう?私は突如として脳裏にひとつの音が閃くのを感じ取った。消え入るような無音の
h 、舐るような声、舌の上を転げる音……、——ユベール
Hubert 。
それがノタウィア・マニスで最後に聞いた音であることを知覚した途端、私のうちに無数に張り巡らされた糸の一本が爪弾かれた。糸はたちまち振動し、共鳴し、交感し、身体感覚が四肢の先端から線形を成して取り戻されてゆく一方で、心象はそうと意識するより速く立ち込める靄を払い除け、私の皮膚を超えて遥かに遠い奥行きをいっぺんに押し広げる。
私は茫漠さの中心で、突き動かされるように身を起こした。私はその熱情がかつて自分自身の大いなる使命
mission の源であったと自覚しながらも、灼けたような色をしてなお冷えるアンジニティの大気の只中では欠落
omission を感じるほかになかった——ここには私を充たすものがない。
ノタウィア・マニスを放逐されて数年の間、私は無為に身を浸すように過ごした。あの頃アンジニティで起こった大規模な移動——東征と呼ぶ者もあった——がいつ始まったのか、誰も知らない。気が付くと人々は大いなる流れの中にあった。アンジニティの壁が崩れたという不確かな囁きは、しかし見る間に我々の中に伝播していった。そうしていつしか、気が付いたときには私は歩き出していた。遮るもののない大地の上を、しかし綱を渡るようにして。
私は当て所ない道行きにいくつもの名を得た。どれだけ反芻しようとそれらが決して私自身の名前にはなり得ないことと、ユベールが彼らの名前たり得ないことは等しかった。否定を冠したアンジニティの中にあって、私は自分がユベール“ではない”ことを消去法によって確認していった。そうでなければ自分を確認する手掛かりなどどこにあるだろう?
あの磨り減らすような旅路を経ていかにメルンテーゼへ辿り着いたか、全く見当がつかない。今でもユベールの響きはおよそ遠いところに置き放されたままでいる。私は自分がユベールであることを信じることが出来ない。私がユベールを名乗っているのは、それが耳の奥にあえかな音として残っていたからに過ぎないのだ。誰が発話したとも知れない私の名前、あるいは私自身の発話による誰かの名前。私はいつでも思っている、私自身がユベールではないことを、他にユベールと呼ばれるべき人物のあることを。
私はかつて徒刑囚だった。死を許されることのない出自と、死を以ってしても許されない罪とによってアンジニティに流された。罰として奪われたものを指折り数えるためには、私の指はその手にありながら用を成さない。ノタウィア・マニスの宮廷で、アンジニティの荒野で、私は形を留めたまま失われたものと形なきまま偏在するものとに囲われてきた。私は未だ逃れがたく囚人でいる——その時どきに眼前を掠めゆく、足掻くための余地を察するごとに。