——10日前



「—以上が、報告になります。はい？あ、大丈夫です、はい。ありがとうございます、それでは。」

通信機の受話器を置き小さく息を吐く。

「ふぅ…」
「どうしました？ルアさん」
「ん、あ…いえ、この前の依頼の成果で私にも正式に『壁向こう』への探査申請が降りたんですよ。」
「ん…くぁ…なるほど、おめでとうございます…そのわりには何だか浮かない顔ですね。」

温和そうな女性は書類を整理する手を止め、軽く伸びをしてルアと呼ばれた獣人の少女へと視線を向ける。

「…せっかく母とも再会出来たのに、私がこうやって旅をしている間にまた会えなくなっちゃうんじゃないかなって思ってしまって。」
「あー…ルアさんの母親…えっと、トアさん…？だっけ。」
「はい、今はエスタの街で宿屋をやってます。しょうが焼きが名物料理なんですよ！」
「そ、そう…最近は帰ってあげてますか？」
「えと、この前の…東部での真竜討伐の後だから…1，2ヶ月前ですね。」
「もうそんなに前でしたか…お父さんは見つからなかったのでしたっけ？」
「…はい、父は元竜騎士と母に聞かされてたのでもしかしたらと思ったのですが。」
「人探しなんてすんなり行くものでもありませんからね…とはいえ。」

女性は喋るのを止め、視線を書類に落とし。

「上半身裸に青色のマフラー、燃えるような赤毛の獣人…なんて特徴的すぎですね…ルアさんのお父さんって一体…」
「あ…あははは…」
「コホン…で、『壁向こう』に探しに行く覚悟はあるのかしら。」
「…『壁向こう』は別の世界に繋がっている。この世界とのつながりは不安定でいつ途絶えるかもわからない…そして別の世界ではこの世界での力は一切持ち込めない。」
「妥当に考えれば流刑みたいなものですね…だけど、帰ってきた者は必ず願いが叶うとか。」
「はい、私が行って帰ってこられれば父…ラセル父さんに会えると思うんです。」

首に巻いた緑のマフラーを握りしめ、キッパリと意志のこもった視線を女性へと向ける。

「…そう、でしたら行く前に一度トアさんの所に顔を出してはどうでしょう。それと…ルティさんの所にも。」
「うぐ…母はともかく師匠の所はちょっと…」
「一応ルティさんは何度も『壁向こう』を行ったり来たりしてますし…偽物の世界樹の島の話なんてきっと役に立つと思いますよ。」
「う、うーん…そういうことなら…」

あまり気が進まないニュアンスを込めながら身支度を始める。

「…と、とりあえず一旦母のところに顔を出してきます、『壁向こう』に行くことも報告しないと。」
「それがいいですね…ルアさん。」
「…はい？」
「お気をつけて、冒険者協会は貴女の帰りと道行の安全を祈っています。」
「…はい、八雲さん、行ってきます。」

ルアを見送ると八雲と呼ばれた女性は狸尻尾を揺らしデスクへ腰掛ける。
飲みかけの不味いコーヒーに手を伸ばし一気に飲み干す。



「彼女の旅路に、どうか幸せな結末を。」


誰に話しかけるでもない言葉は、虚空へと消え去っていった。

アムルは、手に提げた、よく手入れされている、小ぶりの小剣を見せます。