地図にも載らないような辺境の地。
猟師でもなければ踏み入れないような森林に囲まれた、物好きな行商人でさえ訪れないような、山間の小さな集落。
その中心部の空き地で、常ならぬ人だかりが出来上がっていた。

人だかりの源は一人の女性。
飾り気のない黒のワンピースと、無造作に撫で付けただけの桃色の髪。
おおよそ色気を感じさせない姿であり、街中ですれ違っても10人中9人は気にも留めないだろう。
残りの1人、注意力に富んだ人物ならば、彼女の虚ろな瞳と身につけた装飾品に気づき、けして近付きはしないだろう。
『触らぬ神に祟りなし』
昼日中から首輪をつけて出歩くような女に碌な女がいるわけがない。ほうっておくのが身のためだ。

だが、この集落ではそれとは異なる様相が展開されていた。
20人近い住民が、老若男女を問わず彼女を囲んでいる。
囲んでいるだけではない、一部の者は伏して拝み、足下に口付けんばかりの勢いである。
それは、まるで神か、さもなければ神の使いにでも接するかのようだ。

一方、囲まれた女性はというと柔和な表情を浮べて人々を見守っている。
小規模とはいえ集落の住民から神の如き扱いをされているというのに、それが自然であるかのように振舞っている。
彼女にとってこれは既に慣れきった光景なのだろうか、それとも周囲のことなど気にも留めていないのだろうか。

彼女の名はアマリア・アルカミリア。
この神が実際に祟るかどうか・・・それは触れてみなければわからない。






「アルカミリア様！息子を治してくださってありがとうございます」
「アルカミリア様のおかげでこの地は救われました！」
「アルカミリア様、どうかここに残ってくださいませ」

私の周りに集まった人々から言葉の奔流が押し寄せてくる。
その大半は私に対する感謝と称賛の念で溢れている。

それもその筈だ。
私がやってきた時、この集落は老いも若きも病に冒されそのまま朽ち果てようとしていた。
幸いなことに私は薬の心得と力とがあり、病を癒すことが出来た。
集落の住民からすれば、全滅か、土地の放棄か、というときに突如現れ危機から救った私は救世主にも思えたろう。
ただ、少し残念なのは、この感謝の言葉は私に対するものであって、我が主に対するものではないことか。

私はアマリア・アルカミリア、主に仕えるもの。
主は私に『苦しむものを救う』ことを使命として与えたもうた。
私はその主の命に従い、この地の住民を救ったに過ぎない、彼らが真に感謝すべきは私ではなく、主であるべきなのに。

そういえば、ここはなんという集落だったろうか。
覚えていないということは、きっとさしたる意味もない名前なのだろう。
別に、ここに集落があると知ってやってきたわけでもない。
この近辺に立ち込める強い苦しみの念に惹かれ降り立ったところに、ちょうど病に苦しむ集落があったというだけのこと。
だが、その苦しみの念も最早消え去った、私がここに残る意味はもう存在しない。

人々の言葉を聞きながらそんなことを考えていた私は、ふと私のことをじっと見つめる視線に気がついた。
彼は・・・たしかこの集落の長老だったと思うが、やはり名前は忘れてしまった。

「アルカミリア様、やはりいかれてしまわれるのですか」
私が視線に気がついたことを認識したのだろう、長老から語りかけてきた。

「はい、私がこの地でなすべきことは最早ございませんので」
「さようでございますか・・・村のものどもは寂しく思うでしょうが、ここにお引止めするわけにもまいりませんでしょうな」
「ええ、メルンテーゼという世界に強い苦しみの念が渦巻いております、主は私がその地の人々を苦しみから解放するのをお望みです」
私は次の目的地、元素の世界メルンテーゼの名を告げる。
あの世界は最近王が変わったとの話だったが、以来苦しみの念が増えている。

「メルンテーゼ・・・私はぞんじあげぬ地方でございますが、その地の人々もきっとアルカミリア様に救われることでしょう」
と、そこまで話した長老が言い出しにくそうに次の言葉を紡ぐ。

「ですが・・・もし、万一、苦しみの原因がアルカミリア様の手にも負えないようなものだったとしたら・・・」
「ええ」
「そのときは、どうなさるのですか？」
意を決した表情で長老が問いかけてくる。


その問いに、私は笑顔を返す。
「なにも感じなくなれば、苦しみも消えますよ、きっと」



そして私は世界を飛んだ。