妖精の起源は、遥か古代まで遡る事が出来る。
数々の伝承、神話などに関連づけられ、様々な性格・容姿で描かれる。
その事は、どの「世界」にあってもそう大差ない。
この世界でも同じ事——そう結論付けながら、シノはあれこれ書いていたペンの先をひらひらと紙の上に舞わせた。
羽ペンの先に、ひらりと葉のような薄っぺらく、小さな腕がまとわり付く。
虚空から現れた腕は、するするとインクを伸ばすようにその先の体、小さくかわいらしい顔までを一瞬だけうっすらと実体化させて、にこり、とシノに笑みをこめた一瞥をくれて消えていった。
「ありがとう」
小さい体が持って行ってくれた羽ペンについて短く感謝を述べると、ひらひら、と髪束が揺れた。
風の少ない城塞の脇で毛先を揺らしたのは、やはり小さい誰かの足先だろう。
シノ——時枝 史乃は、この世界とは別の場所で生活をしている人間である。
世界と世界のはざま、綻びのようなところにぽつねんと建てられた魔術大学で妖精学の講師をしていたのだが、学校が休暇に入ったのをいい事に、小耳に聞こえてきたメルンテーゼでの蜂起に首を突っ込む事にしたのだ。
何も、知らない妖精に会えるかもしれないだとか、趣味の魔法植物コレクションが増やせるかもだとか、そんな不純な動機ではない。……断じて、ないとも。
誰に言うでもなく、小脇に抱えていた魔術書の目次に挟んでいた愛娘の写真を取りだし、ぽつりと呟いた。
「トワコちゃん、パパ頑張るから、いい子にしててね」
ああ、妻が選んだワンピースを着て、母が贈ってくれたローマのテディベアを抱えた彼女は、写真になっても最高に可愛かった。世界一、メルンテーゼ一、否、この分割世界をひっくるめて一番に可愛かった。
ちなみに、一番に優しくてきれいな女性は、言うまでもなく細君のシズさんである。
「……っと、いけないいけない」
ぐい、と写真を引っ張ってくる妖精の、見えてもいない手を適当に指先ではらって、シノは慌てて荷物を整えた。
いけない、可愛い可愛いトワコちゃんに目尻をとろかせている場合ではないのだ。一揆に参加するには、まずはこの一揆の居城を訪ねなければ。
「さて、頑張らないとね」
何も知らない愛娘には、パパは夏の間に研究に出るよ、と言っている。
なるべく怪我なく、元気に帰らねば、彼女の大きな瞳に涙を浮かばせる事になってしまう。
頑張るよトワコちゃん、と再び呟いて、シノは手に携えた愛杖「トトー」を抱え直したのであった。