基幹世界（オーバーワールド）──アタシはアタシが生まれた世界をこう呼ぶ──を離れる。
何度も経験したことだけれども、異界に赴くこの瞬間は常に緊張と興奮が入り混じる。
新たな世界には、どんな苦痛と悲鳴が待っているのだろう。
考えるだけで身震いがする。

長閑な自然の広がった世界。
人口もそこまで少なくはないみたい。
でも、どんなに晏如としているように見える世界であろうと、苦痛は必ず存在する。
苦痛のない人生を送っている人間なんて、一人だって存在しないのだから。

人生は苦痛に満ちている。
例えば、未知の情報に触れるだけでもそう。
苦痛はどんな学者でも教えてくれない真理と教訓を刻み付けてくれる。
例えるならば、炎天下の土瀝青（アスファルト）を熱いと知らず触れる子供のように。
人は苦痛を介して未知の情報を吸収していく。
苦痛なくして人は決して成長しないし、成長の喜びも苦痛なしには有り得ない。

もちろん、だからといってアタシのように苦痛に快楽を見出せ、などと言うつもりはない。
残念ながら、そうやって苦痛を受け入れる人間は極少数。
でも、肝要なのは苦痛から逃げるのではなく、受け入れること。
人生を謳歌している人間は、例外なく苦痛を受け入れている。
ある者は苦痛を自分を成長させてくれる糧と看做し、「感謝」の念を以って受け入れる。
またある者は黄金の如く気高い「覚悟」を以って苦痛に立ち向かい、受け入れる。
そしてアタシのように、苦痛に「快楽」を見出して受け入れる者もいる。
それらは瑣末な違いであり、根底の部分に変わりはない。

人生は苦痛と幸福の繰り返し。
苦痛にどう向き合うかは、人生にどう向き合うか、ということ。
苦痛が楽しいものであれば、人生は常に楽しいものになれるのだから。

さて、この世界を蝕む苦痛を探すためにも、まずは情報収集の必要がある。
街には情報が溢れているし、幸いにもアタシはとても耳がいい……自慢できるほどに。
そう思っていたけれども、特別に耳を済ませる必要はなかった。
この世界は今、変革の真っ只中にあったのだから。

重要な情報はすぐに手に入った。
エンブリオ、ネクター、そして新しい王。
この世界は新たな王に対し、大きな反乱を起こそうとしている。
そしてアタシにも、それに参加する機会があるということがわかった。

変革は、過去の柵（しがらみ）を断ち切ること。
過去というものは簡単に引き剥がせるものではない。
それは焼けた鎖の如く全身に絡みつき、身を焦がす。
無理に引き剥がそうものなら血肉も共に剥がれ、更なる苦悶をもたらす。
そして変革とは正に、その鎖を無理に引き剥がそうとしてしまう行為。
大量の出血は免れ得ない。

つまり、アタシは山ほどの流血沙汰に立ち会えるかもしれないということ。
アタシはこの世に天国があるとするならば、そういう場所だと信じてる。
アタシはこれから天国を垣間見ることができるかもしれない。

この戦が成功に終わろうが失敗に終わろうが、そんなことはどうでもいい。
これに参加しない手なんてない。

幸いにもエンブリオとの契約は上手くいった。
けれど、維持のためのネクターの入手は難しそうだった。
何しろ、新たな王がネクターの独占を始めたが故の反乱なのだから。
でも、これも一揆に参加すればある程度の供給は約束されるとの話。
つまりは、一石二鳥ということ。

アタシは未だ見ぬ苦悶に期待して、王城へと足を運んだ。
そこで待っていたのは、精悍な肉体を持った隻眼の男。
アタシの腕がみたい、と言っている……さしずめ、彼は試験官といった立ち位置の様子。
本気で戦ったら、どれだけ素敵な苦痛の与え合いになるかな？
腕試し、ということであればそこまでの期待はできないだろうけれども。

アタシは巨躯を見据え、若干の期待を胸に秘めながら、鎖鎌を構えた。