表から聞こえる見知らぬ相手の誰何の声と、慌ただしく荷物を運ぶ奉公人の足音。
　主の趣味で計算機が普及した今でも、高らかに音を響かせる算盤。
　暖簾がはためく音が時折聞こえるのならば、涼しい、いい天気なのだろう。
　今日も己の店は繁盛しているようで、何よりである。
「僕は無うても桶屋は儲かる、うん、ええこっちゃねー」
　うんうん、と満足げに頷く白髪の少年は、それから直ぐに「真面目に聞けっ」という言葉とともに落ちてきた手刀によって、涙目で頭を抑えることを余儀なくされた。



「……で、今回はどれくらいの期間のおつもりで？」
「あっはっは、どこにーとか行かないでー、とか言わんのは学習の成果？」
「そりゃ貴方と一緒にいれば、嫌でもこうなります」
　はああ、とわざとらしく深く深く溜息を吐いた青年は、堪えた風もなく畳の上でくつくつと笑う主に、まあ分かってましたけど、と目を伏せる。
「ん、優秀でなによりやん。まぁ育て方が良かったしなあ」
「反面教師、という言葉をご存知ですか？」
「子は親の鏡、なら知ってんで」
「そういうのは、止めて下さい」
「ん、せやけどホントの話やん？」
　急に沈んだ表情を浮かべる青年を慰めるよう膝立ちになり、いいこいいこ、と頭を撫でる少年は、引きずるように乱れた着物の裾を片手で直しながら、先と変わらぬ笑顔で続けた。
「期間はまぁ、先方の都合やね。連絡は付くようにしとくさかい、何ぞ急な用事でもあったら『花屋敷』の方に言うてくれたらええよ」
「あちらの方の手を煩わせるのは避けたいのですが。
　間接だとちゃんと伝わらないこともありますし、直接話が出来るように魔道具を探しておいた方が良さそうですね」
「香散見（かざみ）のはほんに真面目やんなあ……。たまには肩の力抜いたらええんやで？　向日葵（ひまわり）のでも呼んで宴会で、」
「お断りします」
「最後まで言わせてぇな」
「私が皆の肴になる図しか想像つきませんから」
「ぎくっ」
「口で言うな」
　口調が崩れて半眼になった青年がもう一度天誅を、といった風に片手を上げるのに、慌てて笑みを浮かべたままで身を引いた少年は、再び裾を引いて座り直す。
「まあ、長なってもちゃんと帰ってくるさかい、心配いらんて。
　身の回りの世話して貰うんに、若いのも連れてくし。向こうの理に合わせるさかい、したら無茶も出来んて、安心やろ？」
「それでも、大旦那様は何をやらかしてくれるやら、分かりませんから」
「それ、えらい言い様やんなあ……『花屋敷（あっち）』の人よりは、普通やんなーて思てんねやけど」
「比較対象が悪いです」
「あ、やっぱり？」
　己が手塩にかけて立派な経営者に育てた青年はそれには答えず、抽斗の奥に纏められている取引先の商品目録を引っ張り出して捲り始めた。宣言通り、希望する性能の魔道具を探しているのだろう、その勤勉さに笑みが浮かぶ。
　暫し紙片がめくられる音と外の喧騒だけが聞こえる部屋のうち、ふと思い出したのか、青年が手を止めて顔を上げる。
「そういえば、その『あっち』からはどなたが行かれるんですか？」
「あー、何や、サクロのが帰ってきたらしねん。余所がきな臭いて言うてきたんもの。
　そんで、行ってみぃひんかて。
　せやから、一緒にいくんはサクロのと、交渉やっとるユーグの、あとは世話係に何人か、やったか。
　理が違うんで元々のは使えんのも多いっちゅー話やし、あとは現地調達っちゅーてたな」
「確か……メルンテーゼ、でしたか。未だうちの店も、『花屋敷』も本格的には手を伸ばしてない世界でしたよね」
「せやね。まあちょうどええさかい、支店でも考えんのの下見も兼ねて行くかいなて」
「ちょうどいい？」
「ん。あっちの力の源な。
　『エンブリオ』って、言うんやって」
　卵、種子、未だ産まれぬ、何かになろうとする合間の存在。
　ならば、それは己が探している『それ』の手掛かりに、なるかもしれない、という。
　言葉にはしない思惑を過不足なく受け取り、青年はどこか、くしゃり、と表情を歪めて口を引き結ぶ。
「ああもう、泣き虫なんは変わらんのやから……困ったお子やねえ」
「泣いてません」
「せやねえ、強い子ー」
　茶化した様な物言いをしながら、それでもひとつ、気休めのように。
「大丈夫、どないなとこでも、そう簡単には死ねへんよ。せやからちゃーんと、戻ってくるて」





　己の店での準備を終え、『花屋敷』の方の書簡から指示された屋敷にたどり着いてはみたものの、慌しく準備に追われているらしい下働きの人間の他には見覚えのある姿は見て取れなかった。
　忙しなく走り回り、訪れた自分の姿すら見えてなさそうな相手に声を掛けるのも躊躇われ、店から付いてきた側仕えに抱えられ、玄関先に腰を下ろす。
「えーと、書いとったんはここやった……筈やけど。主がどこにいるやら、」
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん、じゃじゃじゃじゃーん！」
「呼んでへん。いや、呼ぶ予定はあったけど、そのノリは呼びたない。
　あとなんで途中からクラシックやの」
「版権切れてるから怖いおじさんも来ーへんと思て」
「気ぃ使うんそこなんかい」
　唐突に奥から登場した賑やかな顔見知りに、安心よりも呆れが滲むのは、許されるのではないだろうか。
「ほんま、なんで僕のが突っ込みやねん。どっちゃかちゅーたらボケる方なんやけど」
「やぁやぁ、照れんなあ。遠慮のう褒めてええねんで？」
「何褒めよっちゅーの」
　朗らかな笑いでぽむぽむぽむ、と肩を繰り返し叩かれるのを身を捩って避け、それでも追いかけてくる手を払おうとぺいぺいっと犬を追い払うような仕草をしながら問い返すと、不思議そうな顔で首を傾げる。
「え、だって勝てへんって負け認めたんやろ？」
「そこで勝たんでええと思てんの」
　にぃぃ、と釣り上がった口の端に当てられていた右手の扇子をスッと懐にしまうと、代わりに出てきたのは紐綴じされた十数枚の紙の束。
　途端、げ、と身を引いてひきつる表情に溜飲が下がったのか、入れ替わった立場ににこにこと上機嫌に紙束を相手の正面でヒラヒラと振ってみる。
「うちのが見つけてきてくれてんー。裏帳簿、やっけ？　いやもう、あないに分かり易いとこて。恥ずかしわぁ。
　そえと、交際費て括りで三時のおやつ買うてくんのはどないなん？　買い物の品書きくらい、もうちょい上手いこと誤魔化しといてや」
「人の努力をそないな言い方！　傷ついたわ！　慰謝料貰わな収まらへん！
　具体的にはそこのうちのお小遣い帳を速やかに寄越したらエエと思うねん！」
「あ、これ写しやさかい。元はちゃーんと御館様んとこへ届けといたさかい、安心してぇなー」
「でーーきーーへーーん！　もーまたまた怒られるやんかー！
　焦げんのも吊られんのもやーーやーー」
「せやて、これ僕の仕事やしなー。多少はやっとかんと、遊んでられへんしー」
「ずっこい！　ずっこいわサル子！」
　非難の声を上げながら、それでも何かを要求するように伸ばされた手の上に、ふと思いついて袖に入っていた大福の包みを乗せると、シームレスな動作でおもむろに包装を剥いて頬張り出して静かになった。
「あーすまん、それ先週のやった」
「けふぁっ、ゴホッ、グッ、」
　適当に言った嫌がらせに咳き込む様に満足し、改めて外で待機していた従者の皆を呼んで外の輿を片付けさせる。まだ準備は終わってないようであるし、もう少し、暇そうな顔見知りをからかって遊んでいても問題はないだろう。

「とりあえず、奥で茶でも貰っとこ」
　忙しそうなので、こちらで勝手に準備させてもらうとしよう。下働きのものたちにも一杯振舞うように指示しながら、アレにはいらんからな、となんかピクピクしてるのを指差して除外しておいた。どうせ死なないわけだし、断りなくがっついた本人の自業自得であろう。なんか顔色あれだけど。



「さてさて。そんなら待ってぇや、メルンテーゼ。
　大事にされとる卵の中身はなんやろねーっと」