町村から少し外れた、裾野の広がる自然の丘陵地。
そんな場所に、その小さな神社は建っていた。

少女が物心ついた時には、その神社が彼女の居場所であり、世界の中心だった。
少女は、生まれてからずっとその場所に居たわけではなかった。
その事はなんとなく、覚えている。

彼女をその場所へ連れてきたのは、黒く長い髪が印象的な、一人の女性だった。

「今日からここが、あんたの家や」

穏やかな声が、そう言葉を紡ぎ、
その時からこの神社は、彼女の家となった。

不思議な事に、その女性はいつもその神社にいるわけではなかった。
だから、少女はそこに一人で居るという事も少なくなかった。
だが、幸いな事に神社という事からか、周囲の村の人々が少女の世話や面倒を
見てくれる事も多く、強い孤独を感じる事はなかった。

そんな、どこか不自由のない暮らし、というには浮世離れした生活だが、
少女はそこから飛び出そうと思う事はなかった。

何故なら、神社へ姿を見せるあの時の女性が、彼女の姿を見つけると、
ひどく安堵したような、済まなさそうな、様々な感情が入り混じった貌を見せるからだ。
その瞳に、自分という存在が確かに映っているのだと幼い心には強く刻まれていた。

「あまり、一緒に居られんですまんなあ」

彼女が戻ってきた時には大概、珍しい食事が出来るのも魅力だった。
豪勢、というわけではないが、ひとつひとつ、心をこめて作ったと思える食事が、
少女はとても大好きだった。

『この人は、自分の母親ではない』

無論、姉などでもない。血縁はない。
言葉で聞いたわけではなかったが、何故かそれははっきりと認識していた。

やがて、月日が経ち、少女は彼女から様々な学や、それ以外の事を学んだ。
生きるために、山で食べるものや獣を狩る事も学び、人々と共に田畑に汗する事も学んだ。
そうして、彼女は自然に満ちた山野と村の間で素直に育っていった。

少女は、名を得ていた。
自分を連れてきてくれた女性の姓から「望月」、そして彼女に与えられた「達美」という名。
女性は、その名に何かしら特別な思い入れがあるようだったがそれを彼女に語る事はなかった。

そして、穏やかながら楽しい年月が過ぎていった。
少女は、一人前の人として、成長していた。
女性や周囲の純朴な人々から受けた情が、彼女をまっすぐに育て上げていた。

積み重ねた月日の間に、彼女はすっかり、この神社の巫女として人々に認識されていた。
学、立ち居振る舞い、人々との交流、それら全てが彼女を構成していたのだ。

ただ、彼女が女性から特殊な鍛錬を受けている事を知っている者は殆どいなかった。

周囲の清廉な空気を吸い込むと、彼女は地を蹴った。
周囲は暗く、森の息吹に紛れてはいるが、明確な殺気から、目指すべき位置ははっきりと感知できている。
僅かに風音を立てて、数本の銀の軌跡が走る。
身体をその軸からずらしながら、尚も速度を落とさずに走り抜ける。
鈍い音を立てて、三つの刃が地面に突き立った。
だが、それを知覚している時間などない。

多角から飛来する刃。
上体を沈ませ、両脚を地いっぱいまで広げ、身体の的を狭める。
当然、走る勢いは落ちた。
だが、足の甲に踏ん張りを入れ、そのまま身体を回転させると、再び地を蹴って走り出す。
あと数歩。
既に飛び道具では迎え撃てない間合いと踏んだか、相手の取り巻く雰囲気が変わる。

間合いが詰まる刹那、大きく腕を振って攻撃を繰り出す。
紙一重でかわされる。読みきっていた。
その瞬間、ぐっと肘を張る。
掌底すら届かぬ間合い、肘など届くわけもない。
だが、その行動には十分に意図があった。
遠心力と肘の軸により、着衣の白衣の裾が不規則な音を立てて相手の眼前ではためいた。
「パン！」という乾いた音を立て、まるで猫だましの如く、一瞬相手の虚をついた。
ほんの一瞬。
だが、その一瞬で十分だった。

気迫と共に、対の掌底を体重をかけて押し込む。
どん、と手ごたえがあった。
が。

「まだまだ、甘おすなあ」

左、と感知した時には既に体勢を立て直すには遅すぎた。
首筋に一撃。
捻る。間に合うか。

次の瞬間、衝撃と熱さが体中を襲った。
無様に転げながらも、気を喪うことだけは避けられたらしい。

「ほお、今のを捩ったんか。少しはやるようになったみたいやないの」

殺気が消えた。
目の前に手が差し伸べられる。

「今日はここまでにしときいや。気迫はあっても、その着衣やなあ」

肩を竦めたその言葉に、自分の身体を顧みると、転げた衝撃であちこちが破れてしまっていた。
はしたない格好、というわけではないが、あまりにも動きにくい。

「自分の状態を見て、戦えるか判断するのも大切やて」

「にしても、段蔵を礫で撒いた後に一気に間合いを詰めてくるとはなあ。考えるようになったやないの」

ぽん、と頭に手が載せられる。
認められたのが、少し、いやかなり嬉しかった。

「けど、最後のフェイントはあかん。とったと思って大振りな攻撃になりすぎや。
　攻撃する時は、その後に何が起きてもええように、体勢を保つのが大切なんよ」

しばらくは、至らぬ点をとうとうと説教された。
だが、その時間すらも彼女にとっては大切な時間だった。