“かすり傷もないまま終わりそうだ”


あの男がそう言うように、恐ろしい程の回復力の渦だった。
自分が満足に振るえる技の中でも一際ダメージの大きいものを撃ち込んでも確かな手応えのない焦り。
時間が経てば経つほど、闘争心が燃え上がり拳は鋭さを増すが、誰に言われるまでもなく、自分は打たれ弱い。
普段は長期戦を避けて短期決戦をベースに戦闘を組むくらいなもので、
焦りからくる視野の狭さで位置取りをしくじり、猿からの連続ラッシュをくらい、一番に倒れてしまう失態を演じてしまった。


「く…っそ……」


ぐらり、と揺れて意識を手放す間際、
思考を過ったのは前日の夜の事だった。




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それは、８人揃っての夕飯を賑やかなうちに終えた後の事。
「…野生とは…」
「ええ…本当に…」
美味しい夕食をたらふく食べてそれはそれは満足げに仰向けにひっくり返り、すよすよと寝息を立てる例の仔虎の話題から始まった。

仔虎の契約主である青年が片手で顔を覆って嘆く。
先ほど、同行者の一人であるレイの契約エンブリオである仔狼二頭と元気一杯じゃれ合っていたと思えばこの姿である。
「まあ、無邪気ってのはいいもんだ」
「緊張感が無いとも言えますが、はい」
真面目な表情でこくりと頷く姿に笑みを返す。
夕飯後の後片付けも一区切りつき、話し相手の青年に、食後のお茶を振舞ってもらっていた所だった。
「しかしまぁ、レイんとこのも負けず劣らず元気なモンだ」
言って、先ほど目にした事件を思い出し、ため息混じりに笑った。

夕飯前、ここ暫く別活動の多かった彼女が集積したデータの整理をしている最中、
彼女の契約しているエンブリオのうち、まだ年若い狼のようなエンブリオが二頭、契約主の周りをぐるぐる回っていた。
そして、遊べ構えとばかりに突進しじゃれつき膝の上によじ登る一頭と、無理やり胴と腕の間へ鼻先をねじ込むもう一頭。
そこが気に入ったのか、ご満悦といった表情でわうわう鳴いていた仔狼二頭。
暫く好きにさせておく風だった彼女も、二頭の興味が周囲のメモへ移ると流石にまずいと判断したらしく、
それはダメよ返しなさい、とメモを銜えた一頭へ手を伸ばすがそれが逆効果となり
これを持ってると遊んでくれる！と判断したのかメモを銜えたまま駆け出した。
そこに件の仔虎が合流し、元気一杯の三頭はますますもって手をつけられなくなり始める。
これはいかんと一声かけようと立ち上がったところに、雷が落ちた。


「……アンタ達…いい加減になさい！！　おすわり！！」




「いやあ、見事でした」
「ホントにな」
自分の思い出し話に、そう相槌を打つ青年の表情は、しかし若干苦いものが過ぎっている。
「スーノさんの気持ちがちょっと解った気がしました」
「だろ…？」
雷が落ちた直後、やんちゃ盛りの三頭が綺麗に一列に並んで文字通り「おすわり」していた。
また、条件反射的に、立ち上がった自分も綺麗に正座していた。
そして、視界の隅では、正座とまではいかないが簡易椅子に腰掛け姿勢を正している青年の姿を捉えていた。
まさに今の話相手である、彼である。
「僕も思わず身体が動いてしまいました」
「なんでまた」
「何故なんでしょう…」
男二人で首を傾げる。
「そういえば…」
「ん？」
「スーノさんが…ええと、こう、なんと言いますか」
歯切れ悪く、言葉を探す様子に、ちらと笑う。
「俺がレイの一言に弱い理由？」
「ええと…はい、概ねそのような…すいません」
「謝るこたねぇよ。　あー…そうさなあ…俺もはっきりとは覚えてないんだよなあ」
頬をかりかりとかいて腕を組む。
「だが“こっち”にきてからは、レイの力を借りっぱなしだし、俺たちの仕切り何かもかって出てくれてる。」
どれもこれも自分には出来ない事で、頭が上がらない。
「そういった力量？みたいなところには、…言っちまえば憧れてるな」
「そうですか」
短い一言。その表情を横目で見れば、少し遠い所を見ている。
もしかしたら、こちらへ来た当初、我々の出会ったばかりの頃を思い出しているのかもしれない。


そして、ふと。僅かの逡巡の後。
「……あー、あとどうしようもない理由が一個あったわ」
どっこいせ、と呟きながら立ち上がる。
振り返ると、座ったままこちらの次の言葉を待つ彼と目が合った。
「これは俺の親の影響がモロなんで、ちょいと恥ずかしい話なんだがな」
鈴が、ちり、と微かに鳴った。

「俺ァたぶん、惚れ込んでる女にはとことん弱い、って事なんだろうぜ」


その一言の意味を、正確に把握しようと、青年の動きがぴたりと止まり
目をぱちくりとさせているという、非常に珍しい表情を見る事に成功したのが嬉しくて、
ひひひ、などと笑い、言葉を重ねる事なく、ひらひらと手を振りながらその場を後にした。





「意地が悪いじゃない」
いつものように、仲間達から十分離れた頃、常に随伴している黒狼が人の姿をとった。
「さぁてな」
肩をそびやかすも、その背を平手で叩かれた。
「っ…いって！」
大げさに痛がってみせるも無視された。つれない。
「…それにしても、やっと認めたのね」
「マーネ」
「なんで棒読みなの。　…ふふ、にしても本当珍しい事よね。変な事が起きなきゃいいけど？」
「おいぃ縁起でもねぇ事言うなよ。次行くところはキッツいんだからよ」
「解ってるわよ。　…無事勝てると良いわね」
「…おう。」
会話が途切れて、静まりかえる。

「勝つさ。…そんで、その先に行くんだ。」
呟いた声に、けれど、何も返っては来なかった。
夜が更ける。


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思えば、縁起でもない事、正にその通りだった訳で。
『ったく……言わんこっちゃねえ…』
思わず力なく悪態をつくも、その声は獣の唸り声でしかなく
やがて、意識を手放した。