川に沿って歩く歩く、歩く。言葉を交わす交わす、黙り込む。
それを幾らか繰り返したころ、互いの前に現れたのは川に浮かぶ舟だった。
見えるのは人影。人——いや、アヒル影。一目見て解る、彼女の関係者だろうと。
あそこに居るのってアヒルちゃんみたいだけど、お前の知り合い？
等と問うより早く、隣を歩いていた彼女が迷わずそちらへ進み出した。川を横切って。

川べりのギリギリまで、流れる水に靴先を浸しながら泳ぐその背を遠く眺める。
徐々に増え始める村の人に囲まれる彼女に、ふ、と笑い混じりの呼気が漏れた。
何を話しているのかは解らない。見知らぬ人物から向けられる視線は、妙に懐かしくも感じる。
「……あっちまで飛んで行くかね。いや、飛べっかな…」
そういえば男は自分が泳げるのか否かも知らなかった。それを徐に、思い出した。


＊　＊　＊


事前に聞いていた通り、トート村で獲れる魚はとてもおいしいものだった。
オレンジソース、ライムと香草とのマリネ、香辛料の香るスープ、水草のパン。
その魚たちを引き立てるソース類もまた絶品と呼ぶにふさわしい品々で、
元気いっぱいの村人にもてなされている間も、フォークを持つ男の手は止まらなかった。

「外には羽根ねーヤツの方が多いんじゃねえの、よく知らんけど」
「おれは泳いだことない…と思うから、アレだが。この足でもフツーに泳げるぜ」
「釣りは両手をちょっと越えるぐらいしかやったことねーんだよなあ」
「出来る人がいんなら、釣りの手解きは受けてんだけど。今後のためにも」
「メルンテーゼには…どんぐらいだ。一揆開始と同じぐらいも来たっけね」

食事の間に投げかけられる質問にざっくり答えながら、ふら、と男の視線は泳ぐ。
先ほどまでこの席にいた彼女は、長老と思わしき人物と共に何処かへと行ってしまった。
いずれの結論が出るにしろ、今日の礼は何時かしなければならないだろう。
これほどまでに賑やかで楽しいと感じられる食事の時間を得たのは、多分恐らく、
男にとっては生まれて初めてのことだったはずだ。
——なあなあ。にいちゃんって羽根なしだけどさ、ニンゲンなの？
酒がだいぶ回っている。子供に懐かれたのも、覚えている限りはじめてだった。


＊　＊　＊


湿り気を帯び少し冷えた朝の空気が、太陽が昇るとともに暖かさを取り戻して行く。
適当な石に腰を下ろした男は、裸足のそれを水に垂らして大きな欠伸を漏らした。
川に映る男の表情は酷く満足そうで、同じだけ複雑そうに揺れている。

さて、もう少ししたら行かねばならない。
黙したままで幾分、よっしゃ、と呟きひとつ。緩慢な動きで立ち上がって。
やがてその姿は、影を渡るような曖昧な足取りで——ゆらり、歩き出す。

食べて呑んで、喋って、大いに騒いだ一夜だった。

村の入り口に男がひとり立っている。時折、欠伸を噛み殺しながら視線を周囲へと巡らせ。
やがててちてちと聞き慣れた足音が聞こえれば、そちらへと向き直り、ひらりと軽く手を振った。

彼女が来たということは、つまり“そういうこと”だろう。
故にそれ以上は何も言わず。ギザギザの歯を見せてにんまりと笑うのだった。

宴も終わり、翌朝には決心もついたのか。
何事もなかったように、少女がお弁当を作っていた。

はい、と渡した包みの中身はサンドウィッチ。
バゲット丸々一本使って、中にはポテトサラダに玉子とベーコン。
歩き歩き、丸かじりするのにちょうど良さそう。

トマトは嬉々として擦り寄ってくる．

彼女の謝罪めいた言葉を聞き、瞬きを落としたのちに小さく笑う。
謝ることじゃないと告げようとして——声を張り上げる男たちに、そこで漸く気付いた。
舌打ちひとつ。彼女を背に、襲い掛かってくる姿へ同じだけ声を張り上げる。

隣に並んで、川べりを歩きながら。

少し遠目に見つけた人影は、同族ではないようだった。
否、水際に置かれた黒い鎧は……

エンブリオがくるくると舞う。
少女の持つ羽根ペンに留まると、エンブリオの姿は溶け、ペン先に色が宿った。