シアの手記〜始まりの一歩

「ん……」
　さわさわと頬を優しく撫でる風に起こされる。
「……目、覚めた？」
　私の身じろぎの気配を感じたのか、火の番をしていたエレが私の方を覗き込んで尋ねてくる。
「ん……おはよう、エレ」
「おはよー、シア」
　目の前でひらひらと手を振られてきちんと意識が覚醒してるのかどうかを確認される。
　大丈夫だよ、ちゃんと起きてるから。
　そう言う代わりに、にこりと笑顔を返す。
「ん……ナイス笑顔」
　エレがぐっと親指を立て、それから少し強めに頭を撫でてくれる。
　私はもう子供じゃないよ。そんなことを思いつつも、こうやって「触れ合う」というコミュニケーションを家族と取ったことのない私にとってそれは、少し面映くもあるけど……とっても気持ちいい時間。
「シア、少し困った顔してる」
　その調子その調子、とさらに撫で続けるエレにまた少し困って、ぷいっと顔を背けてしまう。
　——その調子、か……。
　エレの言葉を反芻する。きっと、エレと出会ったばかりの私は、こんな表情も出来なかったんだろう。
　ついっと横目でエレの方を覗く。
　エレは相変わらず無表情で、でもその雰囲気はとても嬉しそうに感じられる。
　……このアンバランスさの原因の大半は、私にある。
　エレはその出自から能力の殆どを封印されていたけど、それとこのポーカーフェイスは別の問題。
　彼女は「自立型人形」だ。それも大昔に作られて、その人と見紛う外見と人を超越する力とで恐れられた人形。
　幾重にも重ねられた封印でもついにはその活動までは封じることができず、エレは力を失いながらも「感情」と「自己表現」だけは持ったまま生き続けた。
　——最後まで残った「それ」は、エレ自身その時に初めて気がついたのだという彼女自身の「本質」だった。
　彼女はそれを、失くしてしまうことを承知で私に譲り渡した。
『まぁ、ずっと長いこと生きてるしねぇ。こういうこともあるよね』
　なんて気軽な様子で言いながら、それこそまるで小さな子にお菓子をあげるような感覚で。
「……ようやく、エレにも少し戻ってきた、かな？」
　——私と契約を果たした直後のエレは、私と接続していなければ感情も何も生み出さない本当の「人形」になってしまっていた。
　私と接続することで辛うじて見せてくれた感情は、生まれたての赤子のようでいて……そして、私の中に生まれたものそのものだった。
　私は一族から道具として扱われる一方で、鏡合わせの『私』と一から感情というものを学び始めた。
　エレは私の中から流れてくる感情を丁寧に読み取り、それに様々な言葉を与えてくれた。
　やがて……私の中に、ある種の罪悪感と興味が芽生える始める。
　——私は少しずつ感情を覚えていって、大切に育てていって……エレが返してくれるそれも少しずつ大きくなっていったけれど、しかしそれも私と接続してるときに限った話だった。
　彼女をもっと自由にしてあげたい。そう罪悪感が疼く。
　自由になった彼女ともっと色んなことを話したり、体験したりしてみたい。そう興味が囁く。
　そんな私の内心を、私なんかよりもずっと長く生きてきたエレは容易に読み取れたのかもしれない。ある日、エレは自分の出自を私に語りだした。
　曰く、彼女の力はどうやら何十にも分けられて封印されているらしい。
　曰く、その封印を解いて回ればこの状態でも感情を取り戻すことができるだろう、と。
『今は私の力があまりにも低すぎて『契約』という行為自体がオーバースペック気味なんだよね。だから、他の部分を削らなきゃいけない。もし力を取り戻していって、その力が『契約』の部分を補ってくれるようになれば……私も私として、シアと笑いあうことができるかもしれないよ？』
　だから、外に出てみよ？　なんて手を引かれて。
　——感情を失っても、想いまで忘れなくてよかった。
　そんなことを、言っていた気がする。
　そしてエレはその想いに忠実に、私を外まで引っ張り出してくれた。
（まぁ、思い立ってすぐに実行したせいで準備も何もなくて……一族の人間達とちょっと色々あったけど）
　今はそれも良い思い出。
「はい、これ」
　エレが差し出してくれたのは手拭と水筒。
　手拭をかるく湿らせて顔を拭く。
「それじゃあ、行こ？」
　最後に水筒から一口だけ水分を補充して、エレの手を取る。
「何か食べておかなくて大丈夫？」
　エレがかくんと首を傾げるけれど、私は苦笑しながら返す。
「まともに調理できるものは昨日食べきっちゃった。あと残ってるのは……胡桃とか？」
　あとはドライフルーツとか。ようは保存のきく携帯食類なので、歩きながら食べても問題ないものだ。
「う〜ん。はやく次の街か何かお肉になりそうなのを探さないとね」
　エレはさらりと言うけど……確かこの辺に出るのって像とかカッパとかゴブリンとかだった気が。
「……あんまり食べたくない」
「好き嫌いはダメだよー、シア。そんなんじゃこれから先生き残れないよ？」
「でも。像もゴブリンもお肉硬そうだし、カッパは逆にお肉ついてなさそうだし」
「あ、カッパのお皿は美味だよ？」
「食べたことあるの……！？」
　た、確かに基本的に睡眠も食事も取らなくても生きていけるエレは、一種の娯楽としてそれらを嗜むことはあるけど……まさかそんな珍味にまで手を出していたとは。
「正確にはお皿の周りのお肉だけどね」
「想像したくないから言わなくていいよ……」
　うん、まぁ。本当にお腹空いて危なくなったらの超緊急手段ってことで。
　距離を稼ぐため、心持早足で上り坂になっている道を進む。
　超緊急手段を取る前に、どこかで果実とか見つかればいいけど……。
　そんな私の祈りが通じたのか。坂の終わりは小高い丘になっていて、その先の地平線に何かが見える。
　朝霧で霞んでいるけど……あれは確かに街だ。
「よかった……。このくらいの距離だと、お昼くらいにはつきそう？」
　私よりも正確に距離を測れるエレに確認を取ると、「これでカッパを食べなくて済んだねー」なんて気楽な声が返ってきて安堵する。
「それじゃあ、急ごう？　頑張ればお昼前に着きそうだし、そうしたらおいしそうなお店探そう？」
「わーい、久しぶりのご飯ー」
　そういえば……ここ数日は食糧が心許なくなってきてたからって、エレはご飯抜いてたもんね。
「それじゃあ、今日のお昼はちょっと奮発しようか」
　そんなことを会話しながら、——私達はその街へと向かう。
　それはこの時の私達には知る由もないことだけれど……
　この時、私達はようやく物語の1ページ目に辿り着いたんだと思う。
　そこで出会う新しい仲間や、立ち向かうべき敵。そうやって色んな出会いの中で成長するためのほんの序章。
　でもそれはまた別のお話。
　これを読んだ方がまたいつか、私という言葉に出会えることを祈りつつ。
　今はここで筆を置こう。
　それではまた、何時か何処かで——。

ぎゅむ