「あら、猫さんだわ」
店止めで届いた宅配便の荷物を受け取った帰り、Ａ子の目の前を黒猫が横切って行く。
葱を持った鴨をくわえて、しっぽを悠々と揺らし、行き交う人々の足元を歩いている。
「……そういえば名前、付けてないわね」
Ａ子は黒猫に呼び掛けようとしてふと、呼び名が無いことに気付いた。
「ヤマト、いえ大和とか。ふふ、強そう」
暢気に笑っている間に鴨と葱と猫を見失う。
「あらあら。まぁいいわ。用事もないのに呼び止めたら悪いものね」
Ａ子はふと思い立って、周囲を見回した。
見慣れた忍者と魔法使いの姿を探すが人ごみの中に見つけることができず、
肩を竦めて忍者屋敷へ戻った。


「流石は仙ちゃん。恐ろしいくらいピッタリね」
届いた水着はピンクよりの紫色。
正確な色味は自然光の下で見ないと分からないが、肌や髪の色と違和感ない。
測りながら豪語していた通り、寸法も丁度良い。
鏡に映し、後頭部の目で背中側もチェックして、Ａ子は満面の笑みで頷く。
これなら仙ちゃんも大満足だわ」
携帯メールで、水着姿の自撮り写真を送る。
「よし、写真ＯＫ。約束だものね」
水着の上に浴衣を羽織り、花の飾りが付いたビーチサンダルを履き、冷房が効いた忍者屋敷を出る。
目的地は、SummerVacation中だけ解放されるという、海だ。


海辺は大人から子供までというか、大から小までというか、様々な人物で溢れていた。
この夏祭りの主催者が用意したという更衣室で着替え、Ａ子は砂浜へ足を踏み入れた。
一揆の集団と共に行った砂地とは違い、陽射しで暑く熱せられた砂は素足に当たると熱い。
ざくざくと砂浜を横切り、海水に湿った砂を踏む。寄せては返す波が、足首を冷やす。
「クラゲは居るかしら？」
Ａ子は宛てもなく波打際を歩く。
きゃあきゃあと子供たちの歓声が聞こえる。
その方向を微笑ましそうに眺め、ある一点を見て眉を顰める。
手袋や帽子で日差しをガッチリガードした若者が、パラソルの下でピコピコとゲームをしていた。
しばしの間、睨むほどの険悪な目つきでその若者を凝視する。
「ん？　あら？　もしかして、あれはアークスさんかしら？
まったく、引きずり出して日焼けさせてやりたくなる格好だわ」
きゅうっと不穏に口元を歪めて近くを通り過ぎる。
アークスはゲーム画面に目を落としていて、Ａ子には気付いていないようだった。
岩場では釣りに勤しむ一団が、ビールを片手に歓談している。
「平和ねぇ」
デレデレと余所の女性を見ていた男が、彼女にこっぴどくやられている様を見てＡ子はニヤニヤと意地悪く笑う。
「そろそろ私も恋人作ろうかしら？」
（「ば、化け物……！！？　来るな！！！」）
脳裏に、かつて寄り添った男の声が蘇る。
顔はもうほとんど忘れてしまった。味は、急いでいたからよく分からなかった。
あの人は食べてしまったから、もう居ない。
Ａ子は準備体操もせず海に飛び込んで、濡れた顔を拭う。
そのまま浅瀬に寝転ぶと、しばらくぼんやりと青い空を見上げて呟く。
「……おなかがすいた、気がするわ」
背中にべったりと付いた砂を海水で流し、海の家や屋台が並ぶ一角へと向かう。
腰に付けたポーチから小銭入れを出して中身を見てうーんと唸る。
近くまで行ったが何も買わず、踵を返したそのとき、
足元を走ってきた丸い塊を、Ａ子は勢い良く蹴り飛ばした。
「キャア！　ごめんなさい！」
Ａ子は慌てて吹き飛ばした物体を追い掛ける。
「って、あら？」
ころころと転がるそれは見慣れた鴨だった。葱が砂浜にさっくり刺さって突き立っている。
「まぁ！　鴨葱さんだったのね！　ごめんなさい、怪我は？」
「大事ない」
思わぬ方向から返事が上がり、Ａ子はぎょっとして顔を向けた。
視線の先には、葱。
「……葱、さん？」
「うむ。だが鴨から落ちてしもうた。元に戻してくれまいか」
「え？　えぇ、ごめんなさい」
言われるがままにＡ子は鴨の背に葱を乗せる。目を回していた鴨が目を覚まし、グワァと元気良く鳴いた。
「葱さん、猫さんはどちらに？」
「ほれ、あそこにおるじゃろ」
言葉に従って鴨が翼で指し示す先に、黒猫が居た。
ギャアギャア悲鳴じみた鳴き声を上げて、砂の上を飛び跳ねている。
「まぁ、どうしちゃったの？」
「砂が熱くて堪らないが、水も恐くて入りたくない、と」
あぁ、とＡ子が頷く。
葱を背負った鴨はパタパタと駆けて行き、海の上に浮かぶ。
それを見送り、Ａ子は黒猫へ呼び掛ける。
猫さん、いらっしゃい」
黒猫はたった今Ａ子の存在に気付いたらしく、まんまるい目を見開いてニャ！と驚いた声を上げた。
Ａ子はしゃがんで、駆け寄って来た黒猫を足の上に乗せる。
「あらあら、背中もお腹もアチアチじゃないの」
「にゃーん」
力無く鳴く黒猫を両腕で抱えて立ち上がる。
「かき氷でも食べましょうか。鴨葱さんも食べる？」
「グワッ！」
返事をして、鴨はＡ子の足元までやってきて、じぃっと見上げた。
「はい。みんなで行きましょうね。
そうそう、向こうでアークスさんを見つけたのよ。まだ居るかしら？」
鴨が後を付いてきているのを確かめて、Ａ子は楽しそうに笑う。
「ねぇ、猫さん。しっぽが２本に分かれているわよ？」
「ニャ！？」
ぴーんと伸びた２本のしっぽを指先でくるくるともてあそび、Ａ子は含みのある笑い声を上げた。
「あなたたち、ただ者じゃなかったのね」
じたばた暴れる黒猫を両手とお下げ髪でしっかりと抑えつけ、一番近くの海の家へ向かった。
レジには数人並んでいたが店員が物凄い勢いで捌いたため、見た目程には待たずに済んだ。
「ええと、そうね。このレインボーのかき氷を３ついだだけますか？
　うち１つは、猫や鴨でも食べ易い、何かお皿で貰えます？」
「カレー様のお皿でいいいかな？」
「ええ」
喋る間に後ろではもうかき氷が出来上がっている。
「お待ちどうさま！」
お盆の上に、カラフルなかき氷が３つ。
Ａ子は持っていた猫を肩に乗せ、両手でお盆を持つ。
「もし猫さんが本気で嫌だったら、鴨さんと食べるけど、どうかしら？」
「にゃあ」
Ａ子には猫語の返事は分からなかったが、逃げるそぶりもなく肩に掴まっている様子を見て了承と取った。
「じゃあ、一緒に食べましょうね」
返事の代わりか、猫は尻尾を揺らす。
「おや、こんなところで会うとは！」
聞き覚えのある声に顔を向けると、蛆丸と虫組の仲間たちが海の家で寛いでいた。
「あら、蛆丸さんたちも来ていたのね。休憩中かしら？」
「海へ行った源五郎丸の戻り待ちだ」
「そう。また何か頑張っているのねえ」
「にゃにゃにゃー」
Ａ子の肩で猫が鳴く。
「そうね。かき氷が溶けてしまうから、もう行くわね」
猫はそんなことを言っていないが、Ａ子は猫語を理解できなかった。
蛆丸が頷きで返事をし、その隣で胡蝶丸と蟷螂丸がぼそぼそと言葉を交わす。
「ところで、かき氷といえば定番はブルーハワイよのう」
「宇治金時も捨てがたい」
「練乳がけがまた良いアクセントで」
「いやいや練乳はイチゴに限る」
途中から蛆丸が加わり、徐々に声がヒートアップして、討論会が盛り上がっていく様を背中で聞きながら
Ａ子たちはその場を後にした。


「良かった。まだ居たわ」
かき氷を３つ乗せたお盆を手に、Ａ子はパラソルの下のアークスへ近寄って行く。
「アークスさん、甘い物は大丈夫だったかしら？」
声を掛けて、机にお盆を置く。
と、同時にＡ子の肩に掴まってぶらんぶらんしていた猫も机の上にするりと降り立ち、ふんふんとかき氷の匂いを嗅ぐ。
アークスは手元のゲーム機から顔を上げ、
「Ａ子さん？　ええ、甘いものは好きです」
と眩しそうに目を細めて答えた。
Ａ子は足元で跳び跳ねる鴨を机に乗せる。
猫と鴨が我先にと頭をかき氷に突っ込む勢いで食べ始めた。
アークスはＡ子からかき氷を受け取り、近くの空いている椅子を寄せてきてＡ子に勧めた。
「あら、ありがとう」
「いえ。
　猫や鴨がかき氷を食べて大丈夫でしょうか」
「そうねぇ。この子たちなら大丈夫でしょう。
冷えて、お腹を壊すくらいはするかもしれないけど」
「ニャ！」
猫が抗議するような声を上げた。顔の毛が氷とシロップでベタベタに張り付いている。
それを見てＡ子が笑ったが、なぜ笑ったのか猫には気分からなかったようだ。
「さっき通りすがりにあなたを見付けたから、来てみたんだけど、
アークスさんは、ずっとここに居るの？」
「動くと暑いので」
「水に入れば涼しいわよ？」
「日焼けしたくないですし」
「それでこの装備？」
「装備？　大袈裟な言い方しますね。ただの日焼け対策です」
だらだら喋っている間にかき氷を食べ終わってしまう。
いつの間にか、猫と鴨が居なくなっていた。
「残念。逃げられちゃったわね」
「あの猫たち、ちゃんとＡ子さんを飼い主だと思っているんだろうか」
「え？　飼ってないわよ」
「違うんですか？」
「行き倒れていた蛆丸さんを拾っ…助けたときに、気付いたらもう居たのよねえ。
　よく知らないんだけど、いつも蛆丸さんが餌をやっているから、飼い主は蛆丸さんたちじゃないかしら」
「そうですか」
言葉とは裏腹に、アークスは納得していないらしく、思案するような顔をする。
「まあ、居ないひとのことはいいわ。
それよりアークスさん。私ね、やっぱり夏らしく日焼けすべきだと思うのよ。
これ脱いで海行きましょう！」
もうここが海ですよ？　あまり引っ張らないでください」
アークスは羽織っている大きなタオルをＡ子に引っぱられるので、裾を抑えて席を立つ。
立って、手が届かないくらい離れると、身を乗り出していたＡ子も立ち上がり、アークスの帽子を取り上げる。
そのまま、しばし無言で見つめ合う。
外野からはラブラブな２人に見えるかもしれない。
が、二者間の空気はどこか殺伐としていた。
先に動いたのはアークスだった。後ろ向きに飛び退き、駆け出した。
「うふふ、まるで鬼ごっこね。逃がさないわよー？」
一拍遅れて、Ａ子はアークスの帽子を頭に乗せ、
(「・ω・)「がおーっと両手で威嚇をして後を追う。

アークスは砂浜にいる人々の間をぬって走って行く。
ふと肩越しに振り返り、付いて来るＡ子を見て、足を早める。
「よーし！　沖まで競争だ！」「沖ってどこよ！！？」
行く手を横切って、子供達が海に飛び込んで行くのを避け、
酔っ払いの行き倒れを跨ぎ、
なにやら暴れているエンブリオから逃げ、
ひたすらに砂浜を駆け抜ける。
しばらく走ってまた振り返ると、いつの間にかすぐそばにＡ子が居た。
あまりの近さにアークスが怯んだ瞬間、Ａ子はにっこり笑い、勢いよくアークスの肩のタオルを引っ張った。
バランスを崩してアークスが倒れる。Ａ子が巻き込まれて尻餅をついた。
「いったーい……」
とＡ子がぼやいたが、幸いにも柔らかい砂の上だったので二人に怪我はなかった。
転んだ拍子にＡ子の頭から落ちた帽子が、浅い波の上でくるくる回る。
「あら、ごめんなさい！　帽子洗って返すわね」
Ａ子は手を伸ばして帽子を拾う。
その間にアークスは立ち上がり、手の平と膝に付いた砂を払った。
「どうして追い掛けてきたんですか」
アークスは座り込むだままのＡ子の腕を引き、立ち上がらせる。
「まあまあ、ありがとう。
　どうしてって……そうねえ。逃げたから本能的に？　うふふ」
理由を思いつかず、Ａ子は笑って適当にごまかした。
「でも楽しかったでしょう？」
「いえ、どちらかと言えば恐ろしかったです」
「それも正解ね。ジェットコースターみたいなものよ。恐怖なんか、終わってしまえば楽しい思い出だわ」
アークスは肯定や否定の代わりに溜息をつく。
「あ！　後でちゃんと日焼け跡をケアするのよ！　あなた色が白いんだから」
言われて、アークスが手足の日焼けを確認して再び顔を上げると、もうＡ子は居なくなっていた。


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ENo.115 アークスさん、ENo.281 猫の鴨と葱さん、ENo.912 蛆丸さん、をお借りしました。
日記とプロフィール画像はENo.281 猫の鴨と葱さんと同じシチュエーションとなっています。

猫は咥えていた鴨を解放する！

鴨は葱を振り回しながら 猫から逃げ 敵陣へ突っ込んで行く！！

−蛆丸は、ただいま隠密行動中−

猫は、戦い疲れてへばった鴨を捕獲した。ガブリ。

鴨は首根っこを猫に咥えられ、お持ち帰りされる…

俺様に続け、下僕共。

猫同士の仁義無き縄張り争い、勃発。

ばっ！と腕を振り上げる