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+5+

竜種の誇りを地にかなぐり捨ててヒトに靡いた愚かな地走り。
その爪も牙も生けるものを切り裂く為には使われない。
朽ちると評するに相応しい爪牙は、翼を蝕み腐り落とす。
矜持を忘れ、孤高を失い。
低俗な種の中に身を置くだけに飽き足らず。
馴れ合うては傷を互いに庇いあう愚竜だと。

そんな竜種の最底辺を這うような者にどうしてお前は嫁いだのだと、母は訊かれていた。
その正気を疑ってやまない視線と、その正気を信じてやまない視線を注がれながら。
普段のひょうひょうとした調子は崩さない侭に。
母はただ、腕に抱える姉を抱き直しながらはぐらかしていたのを覚えている。

母の答えは、あのときなんだったのだろうかとふと思うことがある。
——なんだかんだでぼくは母を文字通り半分継いではいるものの違う存在だ。
特にぼくが作られてからのことはぼくの中に残っているはずもない。
想像はつく。
けれどもそれが正しいかどうかは判らない。
今、それを訊いたところでどうしようもないことだけど。

確かなのは、その愚竜はひたすら身を挺する癖があったこと。
時には低俗な魔性に襲われるヒトの盾となり。
同じように、同じ方法で存在上位までをも翼蔽せしめた。
そして。
妨げきれない矛で穿たれ、砕けて死んだことだ。

「‥‥」

はあ、なにをどう間違ってこんなことを思い出してしまったんだか。
一度及んでしまった思考を断ち切るというのはなかなか難しいものだ。
身体を横たえてはみるものの——ダメだな。
そもそもそれほど眠気に苛まれやすい方ではない。
今の珍奇な身の上になってからはなおさらだ。
目を瞑って深い息を打ってみても欠伸の寄せる気配すらなく、それどころか思考が研がれていくばかりのようだ。
これはダメだな。
身体を持ち上げて、寝床にしている庭から這いずりだす。
‥昼間、"イース"が開けるのに手間取ったところに翼の方の腕を伸ばす。
大きい割に器用に動く翼だ。開錠を施すに困ることはない。
‥‥あいつもこうしてくれると、あいつ自身にとってはいいのかもしれないんだが。
如何せん、助言などは出来るはずもない状態だし。
‥見られては、いない。
と思う、とつけなくてはいけないのがなんとも頼りないけれど。

——扉が開かれて外を望むたびに。
埃の匂いに鼻が慣らされてしまったことに気がつく。
毒されている、というほどでもないけれど。
やはり外に出ると羽根を伸ばした様な感覚にはなるな。
地面を踏みしめ、爪先から返ってくる大地の感触を楽しむ。

‥けれど、それでも。
なるべくして追い出してしまっていたのにたどり着いてしまった思考は追い出すことができなかった。

ひととおり拠点の周囲を駆け回ってから、ゆるやかにペースを落としてぼくは腰を下ろした。
すう、と息を吸ってその儘寝っ転がってみる。
‥視界いっぱいが星空だ。
まだまだ、夜が更けるには時間があるらしい。

——あの時は、曇天に雨だったか。
ぼくらの根本を占める水が、とどめておきたい残滓を片っ端から流していったのを覚えている。
突き立ったのは、炎で鍛えられたヒトの牙だった。
形も装飾も、光沢も。
未だにありありと思い起こすことができる。
黒髪蒼眼の、父の友人が持っていたような剣のひと突き。

躱そうと思えばできないではなかったろう。
四肢や翼、爪や角で対応することも出来たはずだ。
けれど、無理を張ってきた身体で叶えることはできなかった。
躱すことも出来なかったのは、ひとえに。
あの場にぼくが、駆け寄ってしまったからだ。
天から末期の水を与えられながら、父はひとつ言い残したけれど。
その遺言をまだ、ぼくは心の底からは成し遂げられないでいる。

その場でも守ることはできなかった。

ヒトと知り合い、守り守られる生き方を選んだ父が、半分はぼくの中に息づいている。
それに準じて生きようとした、ヒトに力を貸す存在であった母だってそうだ。

つまり引き継がれた感情ではない。
忘れられる事でなくても、割り切らなくてはならない事案であるとも思う。
理屈ではわかっているのだけれど。

「‥‥」

口に出しては、いけない。
それがいくら拭い難いことであっても。
対象が仇たちであったとしても、ぼくは死に体に鞭打つような親不孝をしたのだ。

——そして、その感触をまだ忘れられないでいることも。

　クロエはどうしようかと考えた後、なにかに思いついたように自分を指しながら

　そうゆっくりと名乗って、次はそちらに手を向けつつ

近付きしゃがみこむと、下げた袋からなにかを取り出し、目の前で軽く揺らしてみせる。
　

頭を撫でる手に返ってきた気持ちよさそうな喉の声。
目を瞬かせて、たどたどしい言葉を発する竜に黒虎はへへっと笑う。

少し間が空いて、答える銀に黒虎は
だって話せない奴が、頑張って話そうとしてるのは初めてみたしさぁとまた竜の頭を撫でた。
そして、その穏かな表情に衛智はふと気がついたような顔になって

しってるさ？竜から視線を外し、封真に訊ねる衛智。

纏う気は違う、違うが、知っている者がいくつか混ざっているように感じ
不確かなそれは言葉に出さずに竜を見つめる。
そこで、初めて黒虎は鸚鵡返しに戻ってきた問いに気がついたようだった。

地面の砂をなぞって、文字を書く衛智。
竜と黒虎の揺れの違う尻尾をみて封真はフッと笑みを浮かべた。

そう言うと目を閉じ、早口に異国の歌のような言葉を唱え始め。

ふわ、と風が彼女の周りにまとわりついた。
大鍋が彼女の前に歩み出た。