水辺で出会ったのは、パラダイス王に仕えるという兵士たちだった。
人間相手は随分と慣れたものだ。相手の動きもある程度予測出来れば、たとえ訓練された戦士とて恐るるに足りない。
自分だって、学生と言えど、少なくない修羅場を潜り抜けてきているのだから。

「……マコトさんは凄いですね。人と戦うのに慣れてるなんて」

兵士を追い払って辺りを探索していた時、そう言った弓使いの少女の言葉が忘れられない。
彼女の瞳は、けして軽蔑の色を孕んではいなかった。恐らく、本当に純粋に感心してくれたのだろう。
けれど、それを喜んではいけないことくらいは分かる。
しかし、獣たちよりも人間を相手にした方が楽だったのは事実だ。
だからこそ、胸が苦しい。

「別に俺は、慣れてなんて……」

既に仲間たちは散開し、辺りの探索に当たっていた。
独白は、誰の耳に入ることもない。

「ねえ、お兄」

気付けば、胸ポケットに入れていた端末のディスプレイが点滅していた。

「なんだ、Mai」

話しかけてきたのは、自動ナビゲートアプリケーション『Mai』だった。

「ごめんね」

「急になんだ、お前らしくない」

「……慣れちゃったのは、私のせいだよね」

Maiの言葉は、いつにも増して元気が無い。

「馬鹿なことを言うな。俺は、俺の歩んでいる道を、歩んできた道を信じている。そこに後悔なんて無いさ」

魔異が邪気眼という呪いに身を堕としたのは、彼女の事件が切欠だった。
『花凪市少女失踪事件』。
花凪市に住む中学三年生の少女が一夜にして行方不明になり、現在もまだ捜索が続けられている、という事件だ。
被害者となった少女の名前は、柊　真依（ヒイラギ　マイ）。魔異の、双子の妹である。
失踪、誘拐と騒がれたその事件の真相は、一柱の『悪魔』によって行われたものだった。
世間の人々は、それを知らない。その事件が、一人の少年によって解決されたということも。

悪魔『エイラ』は人の心に巣食い、人の心を糧に、その血肉を己の繭とする。
三年前、真依はエイラに目をつけられ、『影羅』と化した。
人にありながら影に修羅を宿す影羅。花凪の地では、伝承で語られる存在だ。
『影羅』と化した人間は、ある刻を迎えると自らの影に全てを喰われ、世界の何処からも消滅する。
そうして影羅を喰らい尽くしたエイラは、また新たな宿主を見つけて闇を彷徨うのだ。

あの時のことは、今でも昨日のように思い出せる。






最初は、何が起きたか分からなかった。
いつものように夕食を作ろうとキッチンへ向かった真依が、不意にリビングへと戻ってきたのだ。
その身体を、異形のそれへと変えて。

「……ヘヘ、久しぶりに外に出られた。この小娘は意思が強すぎて困るぜ」

異形は、僅かに妹の声色が残る言葉で、そう告げた。
『影』に塗りつぶされて、闇のように真っ黒になった表情。
人間の身体の端々を蝕む、漆黒の色。
正気を保っていられなくなるような様相。
それでも、その化け物は、妹の面影を失くしてはいなかった。

「久々の飯だ」

漆黒の奥、炯々とした光が、突き刺さるような視線として向けられる。
魔異は動かなかった。いや、動くことが出来なかった。
全身を恐怖に支配されていた。

目の前のものは、何だ？

考えても、答えが出てくる訳が無い。
それまでの少年の日常に、こんなものは存在しなかったのだ。

『非日常』。

その言葉だけが、頭の中を渦巻いていた。

「この小娘を平らげたら、次はお前を頂こう」

異形の漆黒は、更に人間であった部分を失くそうとその範囲を広げていく。
その時、咄嗟に魔異は走り出していた。手の中には、近くにあった金属バット。
無心に振るわれたバットは、しかし、異形の身体に触れて微動だにしない。

「……真依から……真依から離れろよォぉぉぉおおおおおおおおおおおおッ！！」

半狂乱で、何度も何度もバットを振り下ろす。
それでも異形は気にも留めずに、嘗め回すような視線だけを送ってくるのだ。

「焦るなよ、ニンゲン。どうせお前も、もうすぐ死ぬんだ」

『死ぬ』。
今までずっと、目を逸らしてきた事実。
恐怖と対峙することで、頭の片隅から追い払ってきたもの。
真依が、死ぬ？

「ふざけるな……！！」

どくん。大きな鼓動が一つ。
身体が自分のものではなくなるような、高揚感。

「——死ぬのは、お前だ」

『右目』が、変質している。
それはまるで、怪異に抗うように。生物の進化のように。
世の不条理を正す意志に、呼応するように。

右目で視る。
本来であれば、視えないもの。
手を伸ばし、それを、掴み取る。

「うわあああああああああああああああああッ！！」





そこから先は、よく覚えていない。
結局のところ、真依人間として救われることはなく、その命を落とした。
しかし、目を覚ました魔異の前には、端末の中で彼を迎える真依の姿があったのだ。

「おはよ、お兄。助けてくれてありがとね！」

そうして、自分の『非日常』は、幕を開けたのだ。

「……行こう、Mai。次は砂地だったな。探索の時は頼りにしてるぞ」
「勿論！　まっかせて、お兄っ！」

右目の内側。閉じた瞼の中で、囁きかける声。

https://dl.dropboxusercontent.com/u/69846349/anima.mp3

なぜか同情してアドバイスしてきました。
どちらかというと頭でっかちからくる勘違いが多いアムルと、マコト君の早合点では、少しちがうかもしれません。

本当に嬉しそうに目を細めて、お礼を言いました。

アムルは、自分の言葉がどのような誤解を招くかを想像するぐらいの知恵はもっています。
ごまかしやウソでいらぬ面倒を避ける賢しさはありませんけれど。

　もう一度、空中に文字を綴る。けれどそれも『銀梅花』になってしまって、首を傾げる。

　近いけど違うところなのだから、そんなはずはないのだけれど、と不思議に思う。
　あるいか彼の周囲の人間に、『おとうと』を知っているものがあるのか。

———ふと人の視線に気づき、二人は足を止めて振り向いた。

金髪の少女はやや警戒するようにあなたを一瞥して、
敵かどうかを窺っているように見える。

対して、横にいる犬耳の少女は………何も考えていなさそうだ。
人懐っこそうに、大きな尻尾を振っている。

様子見をしていた二人だが、パラダイス王の者か——
と問われて、少女達はすぐさま首を振った。

なので敵じゃないッスよ！と、犬耳の少女は笑った。

一瞬少し気まずそうに次の言葉を探っていたが、

案外適当に笑い飛ばした。

マコトの右目をじっと覗き込む。
いや、そうじゃないから。

2013/0X/XX 14:50
差出人:有城
宛先:魔異先輩

届いてる。
元気なら、良かった。
私も、元気。でも、近い内に筋肉痛になりそうな予感が、する。
ずっと平原にいたけれど、これから森に行くって、言っていたから。
あまり遠くないと、良いな。

先輩が送ってくれた、衝撃的な生き物。
一緒に行動してる人が、見た事あるって。
凄く珍しい、みたいな事、言ってた。

私も珍しい子と知り合ったから、送る。
ここでは、当たり前にいるみたいだけど。

少しだけ先輩に、似てるところがある。

2013.0X.XX_1444.jpg

（長耳と透羽根を生やした小さな子どもが、どや顔を決めていた）

まだ、胸が痛む。海象やセイレーン、兵士と戦う時にはなかった痛み。
——違う。気のせいだ。私はそう自分に言い聞かせ、心を律する。
そして、『仮面』をかぶる。彼らや仲間たちに、違和感を抱かせないため。

ぽつり。
呟きながら、剣を引き抜く。
正眼に構えた刃の向こう——濁った瞳の内に宿るのは、眼差しよりもなお鋭い光。

おもむろに柄から手を離すと、先程呼びかけた少女の肩に軽く手を置いた。