メルンテーゼのある日のこと。

町の喧騒とは裏腹に、静寂の中にある路地裏の一角。

風切り音を伴い、振り抜かれたのは切っ先。

刹那、獣とも人ともつかない、黒い何かが泥のように崩れる。

地に染み入ることなく霧散してゆくソレを見る蒼き双眸は鋭く。

完全に消滅しても、槍を握る手を緩めることは無い。

祖竜の紺碧と漆黒のみが、そよ風になびく。

そこに、陽光の輝きを纏い、降りてくる人影。

音も無く軽やかに降り立ったその脚は、赤銅色の毛に覆われ、肉食獣を思わせる荒々しさとしなやかさを持っている。

「よかった、そちらも終わったんですね。」

そう立ち上がった青年の顔は、がっしりとした体躯とは裏腹に、人好きのする穏やかな笑顔を浮かべていた。

「えぇ、何の滞りも無く。」

青年の言葉に背を向けたまま、長いまつげを伏せ、一つ息を吐く。

「そちらも、お怪我は無いようで。」

かすかに俯いていた顔を上げ、向き直ったときには、すでに先ほどまでの鋭さは無い。

「こちらはまだ、完全に侵食される前でしたからね。」

だが、青年の顔には苦いものが浮かんでいた。

「そうでしたか。」

非情にはなれなさそうな彼のことである。

骸による侵食が軽度だった分、駆逐対象に情が移ったのだろう。

「今日だけでそれなりに狩ったはずですが、骸が減る気配はありませんね。」

弱音ではなく、どこか呆れたように肩をすくめる。

その様子に、青年は苦笑しながら、

「でも、感謝してます。
　骸は、単独で増殖することはできないけど、耐久力と持続力が飛びぬけて優れているのが厄介だから……」

制約を外した蒼き祖竜の力は、例え冥界の河の残滓であろうと容易く焼き払う。

共同戦線と言いつつ単独で骸の駆除を行うのは、それぞれが単騎で十分な力を持っていると同時に、
ガルがうっかりカーフェイネスごと骸を焼き払う可能性があったから、である。

そして青年は、彼方へ一つ鼻を鳴らす。

「…この辺りは、もういないみたいですね。
　粗方片付きましたし、そろそろ移動しましょうか。」

「そうですね。
　ティシアさんをお待たせするわけには参りませんから。」

こくりと頷き、槍を放せば、ガラスの割れるような音と共にそれは霧散し、服もいつもの燕尾服に戻る。

「ティシアさん？」

「はい。　本日より、お食事のご用意をさせていただくお約束でしたので。」

軽く襟元を正すその腕には、買い物籠がかかっている。

「そのまま夕餉の支度もさせていただくことになっておりますが、カーフェイさんはいかがなされますか？」

「僕は、また向こうの方も見回って——くしゅっ！」

続こうとした言葉は小さなくしゃみによって遮られた。

小さく鼻を啜る音と共に、押さえた手の隙間から、すみません、と聞こえる。

「お風邪ですか？」

首を傾げると、青年は恥ずかしそうに頭を掻き、

「何だか、最近寒気がして…。」

と言うので、ふむ、と深刻そうな表情で返す。

「お身体には、くれぐれもお気をつけてくださいね。
　何かあっては、あちらの方々に申し訳がつきませんので。」

本音としては、貴重な肉壁に不調になられると困るだけなのだが。

「ははは…、今日は早めに休もうと思います。」

「かしこまりました。
　では、ティシアさんとご主人には、そうお伝えしておきますね。」

それじゃ、また。と言い残し、再び屋根へ飛び上がり走り去る青年の背を一礼で見送る。

そして、今度こそ静寂に包まれた路地裏を抜けるべく、革靴の音を響かせる。

本日のリクエストはサンドイッチ。

ならば紅茶はミルクティー、スタンダードにアールグレイ…

いや、異世界に同じものがある保障は無いから、ブレンドを試してみようか。

確か先日見つけた店に、故郷で見たものと良く似たものがあったはず。

そんなことを考えながら、雑踏の中に消えてゆく。

しかし、ニヤリと笑って。

*背中におぶるつもりだ*

＞ティシアさんへ
*差し出された眼帯を受け取る*

*ピクッと微かに眉が動く*

　　　　　　手を離せば、握っていたはずのはたきは消える。

*何かを発見して嬉しそうだ*