「喉元がまだ少し痛いわね……」
一度裂かれた首の辺りを撫でながら次の場所へと向かう魅月。
残るは三つ。
それぞれの場所は分かっている。
一つはプール、
一つは音楽室。
最後の一つは——
六つの怪異の後にあるらしい。
詳しい場所までは分からないが、
一つだけ心当たりがある。
開かずの間といわれる使われていない教室だろう。
単純にただ使われていないだけという教室なのらしいが、
一度も使われた事は今までない。
というのも、
その教室を部室にしようとした生徒が昔いたらしいのだが、
何故か鍵がどこにもなく紛失してしまって依頼、
誰もその教室に入れなくなったのだという。
だが——
「それだけではなかった……
　のでしょうけど、
　どんな不思議なのか知らない以上——
　まぁ、意味はないわね。
　——残り二つ……
　……
　プールからにしましょうか。
　丁度制服が汚れてしまったし——
　……
　そのまま入ったら怒られるかしら。
　正直このまま飛び込みたいのだけど……
　……
　——ま、気にしない方がいいわね。」
そのままプールへと飛び込もうと決心して進む魅月。
制服についた血を洗い流すつもりらしい。
完全にとはいかないが——
どうせ着替えるのだからという事なのだろう。
そう考えたのにも理由がある。
水場の怪異というのは危害がある場合基本は溺れさせられる。
それは即ち水に引き込まれる事に他ならない。
結局の所、着替えるのも面倒だし、
どうせ服が汚れているのだからといって、
横着しようとしているのである。
——現在、もうすぐ夏休みという事もあり、
プールには水がはってある。
コースの数は６つ。
全長は２５メートル。
深さはそこまででもない、が——
立つ事も泳ぐ事も出来ない状況であれば、
十二分に溺れる可能性はある。
そして——
「“７コース”あるわね。」
プールへと到着した魅月はじっと眼を凝らし、
月灯りだけを頼りにプールの様子を探ると、
なんと、コースは６つしかないはずなのに、
コースの数が７つになっていた。
１コースから７コースまで。
それだけを聞くと実の所、
普段のプールと大差はない。
なぜならば——
「存在しない第４コースが存在している。
　幻の第４コース、
　４コースがあるという事は——」
そう考えるようにつぶやく魅月の足が、
自然と第４コースへと進んでいく。
「——つまりは死のコースという訳ね。
　それにしても困ったわ。
　自らの意思に反してそこに向かっていく。
　——まぁ……」
(抵抗していないのだから当たり前といえば当たり前なのだけど)
ふふっと笑って楽しそうに第４コースの上に立つ。
すると——
魅月の足首にうっすらと透けてみえる手が伸びて——

——ザパァン！

魅月の身体は、
水の中へと勢いよく引きずり込まれた。
警戒してはというか、
こうなる事は魅月は分かっていたはずである。
だが——
魅月は抵抗も何もせず、
いきなり水の中に引きずり込まれる事で、
思いっきり水を飲みこんだ。
抜けていく空気、
肺を満たしていく水。
呼吸の出来ない苦しみにもがく。
だが、
身体を動かそうとしても押さえつけられているかのように動けない。
溺れる。
溺れている。
暗い闇の水の底で溺れている。
どんどんと体に水が溜まり空気が抜けていく。
もがく、もがく、もがく。
けれど、もがいた所で体は動かない。
ますます空気はなくなっていく、
苦しくて、苦しくて、苦しくて——
そして、魅月の力が抜けた。
全ての空気を吐きだして——
意識も闇へと堕ちてゆき——

——嗤うような声と共に、魅月を拘束する力が離れ——

ようとした時だった。
「——。」
溺れ死んだと思われた魅月の腕がゆっくりと動く。
そして、ゆっくりと手は伸びていき——
離れようとした何かを掴む。
——ゆらり、と何かに操られるように
魅月は何かに操られるかのように、
掴んだ何かの抵抗をものともせずプールの縁へとたどり着き——
陸へと何かを投げるように叩きつけた。
何かから伝わってくる感情は動揺と恐怖。
水の中へと犠牲者を引きずり込み、
仲間を増やしていくそれにとって初めての出来事。
それもそのはず。
溺れ死んだ人間が、
肉体の無き霊体を掴んで縁までたどり着き、
あまつさえ、それを投げ飛ばすなど——
誰も理解も想像も出来はしない。
死んだ人間は動く事はなく、
霊は常人であれば掴むことはできない。
水の中に棲む霊に、水の中で挑んで力勝ちする事も。
しかもそれが——
完全に力負けしていた相手がなのである。
そして、その手は今もしっかりとつかまれている。
動揺も恐怖もして当然。
理外の存在であるものだとしても、
そのまた理外に遭遇しているに他ならないだから。
「——！げほっ……！」
肺に溜まった水を吐きだして、
空気を取り込む魅月。
咳き込みながら息を整えていく。
流石に完全に気分が良くなるにはまだまだ時間がかかる、が——
「——やれやれ、苦しいわね。
　本当に。
　警戒せず捕獲出来て良かったわ。
　想定外の何かであれば——
　そのまま潰そうと思ったのだけど、
　少しは言葉が分かりそうな相手だしね。
　喋って貰うわよ？
　私の知りたい事を。……コホッ……。」
呼吸を整え水から上がる魅月が瞳を開くと、
そこにいたのは一人の水着姿の男子生徒の霊。
「——さぁ、会話を楽しみましょう？
　もう逃げられないのは分かっているわよね？」
震える霊にうっすらと笑みを浮かべる魅月は、
彼の返答を待たずに言葉を紡ぎ続ける。
「——聞きたい事はただ一つ。
　貴方以外の怪異の話を聞きたいの。
　後は二つ。
　音楽室と、７番目について。
　——言わないという手段もあるけど……
　まぁ、それならそれで良いわ。」
さぁ、どうするの？と首を傾げながら、
腕をつかんだまま霊を強制的に立たせ、
問いかけながら顔を寄せる魅月に、
『……
　なんなんだ……
　なんなんだお前ッ……
　確かに死んだはず、
　心臓も止まったし、
　完全に溺れ死んだはずだろう！
　なんで、なんで生きているッ……！
　どうして、俺の腕をつかんでいるんだッ……！』
魅月の言葉よりも、
今の現状が受け入れられないらしく、
どうしてこうなっているのかを問いかける霊。
「質問に質問で返すな——
　とはよく言うものの……」
まぁ、仕方ないか、
そう答えを返すのなんて分かっているとのように嗤い——
「当然といえば当然ね。
　まぁ、私はそういう存在なのよ——
　といっても良いのだけど、
　溺れた後私を動かしたものが何かを見て貰った方がいいかしら？
　それで全て理解できるはずよ——
　見えないなんて言わせないわ。」
その言葉に魅月をじっとみる。
否。
魅月をではない。
その後ろ。
何も無いはずの空間を凝視し硬直する霊。
その顔がみるみるうちに恐怖に歪む。
それはそうだろう。
自らが取り込んだより遥かに多くの霊が魅月の背後に存在する。
——普段、そして……霊にすら見えないのは、
存在が希薄だからではなく——
ただ気づかれまいと霊がしているだけの話。
他人が見る必要なんてない。
それはただ魅月だけが知っていればいいだけの事。
そして——
それだけではない。
魅月にはそれがどう見えるものなのか分からない事ではあるが——
呪いの為に魅月には霊を無尽蔵に集めてしまう要素がある。
だが、それは霊であればみえるはず。
それ故に——
魅月の元に集まってしまうのだから。
『あ……あ……』
霊の表情が恐怖に引きつる。
理解してしまった。
理解せざるをえなかったが故に。
自らが相対しているものは、
どうしょうもない何かなのだと実感させられるが故に。
「それで、答えるの？
　答えないの？
　どちらの答えでも——少しくらいしか差異はないわ。」
だが、
そんな霊の様子をどこ吹く風で決断をせまる魅月の前に、
霊はただ頷く事しか出来なかった。

——七不思議、残る怪異である音楽室と七番目。
その内容をプールの怪異である霊は語る。
七番目に関しては完全に分かっている訳ではない。
だが、それでも知っているだけの事を。
まず、最初に語ったのは音楽室の怪異について。
それは——
誰もいない教室にピアノの音色が鳴るというなんともシンプルなもの。
特に危害らしい危害はないらしい。
良くある話のように、
昔コンクールに参加が決まった生徒がコンクールが始まる前に事故死して、
未だに未練が立てずに演奏を続けているというものらしい。
そして、その音楽は誰かに聞いてほしいが故に、
夜、音楽室に誰かが居る事が引き金となっているという。
「ま、危険がないなら何よりね。
　それで、もう一つも少しは知っているのよね？」
『——ああ。
　七つで一つ。
　お互いが何を考えて何をしているのかは知らないが、
　お互いがどういう存在なのかくらいは知っている。
　——俺が、本来あった第４コースを夜に泳いで溺れ死に、
　それがきっかけで今は第４コースが存在しなくなった。
　……仲間を求めて引きずり込む怪異である事を他の怪異も知っているように。
　ただ——
　最後の一つだけは違う。
　あれは——他の六つを体験して初めて——
　七つ目として機能し、
　それを知った者は死ぬ。
　そういうものであるが故に。
　だから、知っている事は殆どない。』
さぁ、早く話してと微笑む魅月に、
実の所自分は詳しく知っているわけじゃない。
と釘を刺してから話を始める。
話はそう長い話ではなかった。
単純にしてシンプル。
六つの場所を巡り、開かずの間の扉を開けろ。
そこに七つ目の不思議の真実がある。
相応しきものの前に鍵は現れる。
それだけである。
「まるで宝探しね？
　——でも、探す必要はないのでしょうね。」
『……
　ああ。そうなるように出来ている。
　それが仕組みだ。
　どうしてなのかは分からないが——』
「まぁ、分からなくて当然ね……」
『——何……？』
「その問いはどうして七不思議なのかと聞くようなものよ。
　六でも八でもなく七でなければいけないのか。
　その問いに答えられる人間なんていないわ。
　さて……と、それじゃあ——」
話を聞き終わりもう用はないとにっこりと霊に微笑む魅月。
『……好きにしてくれ。』
どうにもならないと諦めた様子の霊に魅月は——
「じゃ、成仏させてあげるわ。
　——縛られていても良い事はないわよ。」
『——は？』
何事もないようにそっと霊の手を離し、
霊の額へと指を伸ばし触れる。
「あら、取り込むと思った？
　それとも消滅させると思った？
　それでも私は別に良いのだけど……
　まぁ、情報料という奴よ。
　——さ、大人しくしなさい——
　少し見せてあげるわ。」
少しの間、静かな時間が流れる。
魅月も霊も微動だにせず、
どちらも何も喋らない。
そして——霊から一筋の涙が流れ、
薄れて消えてゆき——
『——ありがとう。』
——やがて姿が完全に消え失せた。
「——成功、ね。
　……何かどっと疲れたわ。
　いえ、ここで終わる訳にはいかないけれど……
　……悪霊の類、
　地縛霊の上他者を取り込んでるから、
　成仏という手段を使うのは消耗が激しい……
　——他の霊を使って干渉、
　過去の記憶を覗き見て、
　近しいものの霊をサポートしながら説得……って……
　これがもうちょっと大人しい霊なら——
　そこまで問題ないのでしょうけど……
　……最初に脅しつけておいて本当に正解ね。
　初めてにしてはよくやった……のかしら？」
その様子を見てほっと一息ついて、
やれやれとでもいうように首を軽く振る魅月。
「——ま、それにしても……
　早く着替えないとね。
　——風邪は引かないけど気持ちが悪いのは確かだし——
　音楽室に行く前になんとかしないと……
　……
　……ま、血だけは落とせるだけ落としておきましょうか。」
ああ、本当に——厄介な話。
そう呟いてプールの怪異の事を忘れて、
自分のやると決めた事を成していく。
本来ならば関わらないでもいい話。
けれど成すと決めたからには最後まで。
七不思議を完成させて、
七不思議を終わらせる。
七という数字には様々な意味がある。
その一つに【完全】という意味合いがある。
それ故に、七つで一つである事で完全であり、
七番目にして完成するという事でもある。
それ故に、七番目は六つの後に来て不完全を埋める。
完全で完成された物の前に、
不要な登場人物など必要ない。
それゆえ、不純物である七つを知ったものは死を迎える。
だが——完全であるが故に、
後は終わり、消え去るしかない。
死が無い女と知った者の死で完成する七不思議。
果たしてその邂逅は、
何をもたらし、何を失う事になるのだろうか——
——願わくば、
悲劇という名の不幸ではなく、
喜劇という名の幸せであらん事を——