また庭へと戻る道中で、ハネトカゲもといバドリナードと、メオと別れた。人間であるメオは大分別れを惜しんでくれたが、別れてしまえばあっさりとしたものだ。
　見えなくなるまでクーの上から手を振って、クローシェもそれなりに別れを押しんだ。
　ふたりの姿が見えなくなってから、クーは再び走り出す。
　そうして休憩を挟むことをになったのは、川辺を離れ、庭にずいぶん近づいた辺りでのことだった。

＊＊＊

「少し早いが、今日はこの辺りで野宿にしよう」
　そう言い出したのは他ならぬクーだった。
　木陰に身を寄せて伏せた彼の背中から、まずフォルカーが飛び降りて、クローシェを抱き上げて下ろしてくれる。
「本当に早いな」
　フォルカーは懐中時計を覗き込んでから、軽く肩を竦めた。こちらの世界に合わせた時計の針は、夕飯にはだいぶ早い刻限を示しているところだ。というよりも、むしろこれは、
「おやつの時間だ」
　クローシェは目を瞬かせる。
　時計を横目で見やったクーの耳が、わずかに動いた。
「今日は一日クーちゃんの上だからなぁ」
　苦笑して、フォルカーはクーの首を撫でた。
　クーの背中の上は快適で、馬に乗るほど運動らしい運動を必要としない。というより、振り落とされることもないので余程左右に船を漕がない限りは眠ってしまっても落ちることが無い。
　そんな塩梅であるので、当然のことながらクーの上に乗っていると腹が減るのが遅い。
　クローシェはなんとなく、自分の腹部に手を当てた。途端にくつくつと、上から笑い声が降って来る。
「昼食は多めにいただきましたから、冷たいものでもいただければ充分ですよ」
　伏せてなおクローシェより高い位置に頭がある、クーの声だった。見上げてみると猫のような顔をして笑っている。
　それを見たフォルカーはひとつうなずいてから、クーに預けた荷物の中から瓶の詰まったバスケットを出させた。そこから小さな瓶を取り出して、中身を川で汲んだおいた冷たい水で割る。
　割ったものを口に含むと、甘く爽やかな、柑橘類に特有の味がした。オレンジエードだ。
　大きなシチュー皿に入れられた分を、クーが満足気に舐めているのが意地らしい。まるで何かと競うような飲み方を見守るフォルカーが少なからず嬉しそうな顔をしている。
「今日も暑いからしっかり飲めよ。特にクーは汗が出ないんだから」
　言いつつ、フォルカーはエンブリオにもオレンジエードを分けてやる。ただし使う器は何匹かいるエンブリオに対してひとつ切りだ。
　フォルカーが契約しているエンブリオは基本的にどれも小さいから、それで十分に事足りる。
　誰も彼もに飲み物が行き渡ったのを見届けてから、ようやくフォルカーは自分の分をコップに注いだ。それと入れ違いにクーがシチュー皿の中身をすべて舐め取ってしまったから、フォルカーは自分の分に口を付けるより前にクーの分を継ぎ足してやる。
　そうしてようやく、この大男は一息入れることが叶うのだ。
　一口オレンジエードを飲んでしみじみと意味の無い声を出す様は、本当にお疲れの様子に見えた。
「お父さんも暑くてつかれた？」
　と聞くと、
「もう歳かな」
　と笑う。そのままくったりクーに寄り掛かるのを見て、クローシェもクーの毛皮に埋れた。
　——実のところ、とても不思議な話だが、クーの毛皮はひんやりとしている。やわやわ触っていると少しずつ体温が移って程好い温度になるが、それまでは氷と水のあいのこに触れているような気分になる。
　そんな毛皮のクーは、この暑さの中ひとが毛皮に埋もれて来ることについてなにか文句を言うわけでもなかった。別段、埋もれて来ることを喜ぶわけでも無いのだが。
　しばらくもふもふひやひやした毛皮の中で転がっていると、クーがひとつ尾を揺らす気配があった。
「クローシェ、頼まれごとをしてくれるか」
　うなずいて返すと、彼は毛皮の中から肌掛けを一枚咥えて取り出す。丁寧に畳まれたそれはを受け取り、クローシェはクーの目線が動いた先を見る。
　——ちょうどそこで、フォルカーがクーの毛並みに埋もれていた。
　というよりも、飲み物の入ったコップを片手に寝息を立てている。
　クローシェは狼の言わんとしていることを悟ると、彼の手からコップを取り、代わりに肌掛けを掛けてやった。コップの中身をクーのシチュー皿へ移してから、自分もいっしょに肌掛けの中へくるまる。
　にわかに、フォルカーの目が開いた。伸ばされた手がそっと髪を撫でてくれる。
「夕飯には起きるから、ちょっとだけ、休ませてくれ」
　うんとうなずくと、少しの間を開けて、髪を撫でてくれた手が頭を抱く。
　クローシェは別段嫌がりもせず、黙って彼の腕の中で目を閉じた。

＊＊＊

　閉じていた目を開いたのは、傍らの父親が肌掛けを跳ね除けて起き上がったせいだった。
　まだぼんやりとした頭に、先人を切って調味料の焦げる香りが切り込んで来る。
「ゆ、夕飯！」
　フォルカーが小さく叫ぶと、のっそり寝具——もといクーの体が動いた。
「できていますよ」
　またのっそりとクーが動く。火箸を一本口に咥えて、頭の方にある焚き火に掛けた網の上を慣れた様子で弄る、そんな動きだ。
　まだ変な眠気のある頭を振って、クローシェはクーが弄っている網の上を覗き込む。
　じゅうと音を立てながら梃子を利かせて返されたのは、三角の形をしたご飯の塊だった。つまるところおにぎりという奴である。正確には焼きおにぎりというべきか。
「お手に取ってどうぞ」
　とクーは猫のように笑う。
　フォルカーはしばらく狐に摘ままれたような顔をしていたが、そのうち促されるまま網の上でこんがりと焼き目のついたおにぎりを手に取った。
　和食、と呼ばれる類の料理は、彼の好物だ。それが両手に収まっていることに対し、今更のように不思議そうな表情を覗かせてから、フォルカーは彼の手のひらほどある大きなおにぎりを半分に割る。すっかり硬くなった表面が軽快な音を立てるのを聞きながら、クローシェはそれを眺めていた。
　中のご飯はまだふっくらしていて、表面の味付けが行き渡らないことを危惧したらしく、鰹節とじゃこが混ぜ込んである。
　ふたつに分かれたおにぎりは直角ばかりが目立つ、他の角がまろい直角三角形になっていた。その独特な形の焼きおにぎりを、フォルカーは懐紙に包んでクローシェに手渡してくれる。
「クーちゃん、いただきます」
「ん」
　クーは満足そうに尻尾を揺らした。
　それから思い出したように、おにぎりにかぶり付きかけたフォルカーを呼んで何やら瓶を押し付ける。クローシェはその間に、あつあつの焼きおにぎりを口いっぱいに頬張る。
「今日はずいぶん待遇がいいんだな」
　口の中でざくざくと焼きおにぎりを噛み砕く音に紛れて、フォルカーがぼやく声が聞こえた。続けてややくぐもった、焼きおにぎりをかじる音。
　飲み込むタイミングはふたりとも同じだった。
　そのまま二口目をかじるクローシェに対し、フォルカーは先ほどクーから受け取った瓶の中身を煽る。至極満足そうに喉を鳴らす音が耳に届いて、どうやら彼が冷えた米酒を煽っているらしいとクローシェにも知れた。
　事実、二口目をかじる直前のフォルカーは喜びの表情を隠し切れていない。
「何か言うことは」
　とクーがフォルカーの顔を覗く。
「今度何か好きなものを食わせてやろう」
　フォルカーはクーの頭を撫でた。
　クーはほんの少し目を細めて、
「次が焼けますよ」
　と憮然とした声で言う。どうやら主人であるフォルカーの対応が、あまり気に入らなかったようだった。
　けれどもフォルカーはそれを気にするでもなく、残る焼きおにぎりを大口で平らげ、次の焼きおにぎりに手を伸ばす。
　そうして改めて、彼はにっこりと笑うのだ。
「そもそもお前は大事な悪魔だから」
　好きなものを食わせる以外に、愛情を示す手段も無いのだと。急に元気を取り戻した悪魔の主人は、実に満足そうに、告げた。

（差し出された包みごと口に押し込んで、しばらくもぞもぞと動いたあと）

そこでサラマンはふるふると首を振った

謎のネタが分からない上に、親方呼びが気になるらしい。
どうせろくでもないものだとは分かっているようだ。

森の木々に隠れて……というほど隠れてはなく色々はみ出しているが
少女は獣の視線をしっかりと感じていた

ふと目を凝らすと獣の背には子供が乗っているのが見えた
少女は二刀を掴み、獣と子供の前に立ちふさがる

獣の前に立ちふさがりながら少女は声を張り上げる